まがった僕のしっぽ3
*
日曜日の朝。
今日は約束通り、ねねと朝食を食べる。
「さて、ねねちゃん」
「はい!」
朝六時半から起き、既に着替えも済ませてうさちゃんも装備完了の準備万端なねねに、朝ごはんにしましょうか、と声をかけると「はいっ!」と一段と弾む返事をして手を挙げた。
よっぽど楽しみにしていたのだろうか。
それならば、こちらも気張らねば。
「では、昨日お伝えした通りにパンちゃんのパーティを始めましょう」
「パンちゃんパーティ」
「そうです、まずは昨日お見せしたこちらを」
サンドイッチ用スライス食パンのパックを取り出すと、ねねは期待で大きく目を見開いた。
*
昨日は土曜日。
政府から配給される生活必需品定期便。
外出制限された都民の生命線とも呼べる食品や生活雑貨・衣料品の宅配が届き、ねねやさくらさんと一緒に片付けをした。
一人暮らしから二人と一匹暮らしにグレードアップした我が家、先週比でほぼ倍量の大サイズダンボールに入った食料品を確認しながらあれは野菜室これはチルドなどと出しては冷蔵庫に詰め替え、お菓子用の箱を用意し台所の隅に設置するなどした。
「ロボちゃん、パンちゃんは?」
「パンちゃんはここに」
長期常温保存可能なデニッシュロールと塩パン以外は、三秒解凍対応のチルド品ばかり。最新式の解凍機能がついた我が家のオーブンレンジに感謝。並びに提供元のラジオスポンサーにも感謝。焼きたてパンもホカホカおにぎりも食べ頃解凍出来るコイツは優れものなので、毎週美味しい試食品を頂いてはしっかり宣伝させて貰っております。(毎週水曜日の六時半には抽選で毎週一名様に試食品付きプレゼント企画もやってるが、この時間は毎回リスナーのコメントも反響もいいので楽しいしね)
「れいぞうこにしまうの?」
「そうです。普通のパンとは違って、美味しさを保つために冷凍しておかないといけないのです」
「おいしい?」
「とても美味しいです。でも、こちらは来週のお楽しみ」
明日はこちらを使いますよ、とサンドイッチ用の10枚切スライスパックを見せる。
「明日は、これを使ってパーティをしましょう」
「パーティ?」
「ねねちゃんは、紅茶とオレンジジュースのどちらが好きかな?」
「マロちゃん!」
そーかマロ気に入ったかぁーと、私は準備しておいた紅茶の希釈用ポーションと長期保存可能オレンジジュースのミニパック(100ミリリットルサイズ十二本入り)を静かに背後に回し、後ほど床下収納に仕舞ったのであった。
*
「さて、パーティを始めましょう」
「はい!(たのしみ!)」
喜んで頂けてるようで何より。まず、薄切り食パンを二枚手に取り、十字に四等分する。
「で、これをご用意します」
頭上の棚から取り出したのは、薄型の紙箱。表面は切り絵モチーフのカラフルな森の音楽会が描かれている。表面には「森の恵みアソート(お試しパック)」と書かれ、色とりどりの可愛い動物達が弦楽器や鈴を鳴らして踊っている。
「これなーに?(かわいい!!)」
「開けてみますか」
下部のスリットからミシン目に沿ってパッケージを破かないよう開けて見せると、中には使い切りサイズのチューブに色とりどりのジャムが十本。
これもまた、スポンサー提供品だ。
「はい、今日はこちらのジャムでジャムサンドパーティを致しましょう」
「これジャム?」
「そうです。ねねちゃん、ジャムは好き?」
そういえば、アレルギーばかり気にして聞いてなかったと一瞬焦ったが、ねねはすぐさま「すき!!」と手を挙げ元気にお返事。
「ぜんぶ、いちごちゃん?」
「いいえ、いちごちゃんは一つです。他は全部違う味」
「ジャムっていちごじゃないの?」
なるほど、いちごジャムしか知らないのか。それなら更に楽しんで頂けるか……いや、未知数か。
なるべく酸っぱそうなのは避けさせるとして。
いかん、パン好きイコールジャム好きだろうの適当推理で始めてしまったが大丈夫かこれ?仕切り直そう。
「実は、ジャムはたくさんあります」
「そうなの?」
「果物の数だけ、ジャムはあります。ねねちゃんは、好きな果物ありますか?」
「んー……(どうしよ、言っていいのかな)」
「何でも言ってみて。この中にあるかも」
ねねはどことなくモジモジして、うさちゃんをなでなでしてから「あのね」と口を開く。
「りんごちゃんとね、バナナ」
「りんごはあるね。バナナは……おお、ある!」
意外!バナナジャムってあるんだなと感心する。
「ホント!?」
「あったあった。じゃあ、テイスティングしてみましょう」
青森つがるりんごジャムと、岡山でぇれぇバナナジャム、と記されたジャムのチューブを取り出し、先のツマミを切り取ると四等分したパンに薄くジャムペーストの線を引いていく。
「はい、おひとつどうぞ」
「いただきます!」
最初にりんごジャム、次にバナナジャムのペーストを添えたパンをパクパクっとねねは口に入れ。
「おいしーい!」
喜び爆発させた満面の笑みに、提供者も嬉しいやら安心するやら。
「良かった。他にも色々あるけど、試すかな?」
「うん!どれ、おいしいのロボちゃん?」
「うーん。まずはマーマレードなんかどうかな」
「ママちゃん?」
言って「あ、しくじったか」と思ったが遅い。
みるみるねねの顔がくすんでいく。
「ママちゃん、来る?(やだ)」
「いや来ません!来ないし関係ないよ?」
「ホント?(おこらない?)」
「ホントです」
怒る?食事中にか?
……しかも、ねねのこの怯えよう。
どれだけ荒んでやがったんだアイツ。
「ねねはね、たべるのがね、おそいから」
「ゆっくり食べたらいいじゃありませんか」
「いいの?」
「構いません。その方が、味もしっかり分かるでしょう?よく噛んで、感謝して味わった方が食べ物も喜びます。ねねちゃんはお行儀が良いし」
ね?とさくらさんに目配せすると、うんうんと頷く。
「ねねちゃん、だいじょうぶ?」
「大丈夫ですよ。だから、ゆっくり、味わってお食べください」
「……よかった」
心底ほっとした様子の女児に胸が痛む。
こういうしょんぼりな空気に弱い。
幼少時の自分を思い出すから。
……物心ついた頃には既に親はなく、親代わりは祖母の梅婆よりもむしろ五歳上の兄だった。
茶の間でしょんぼりしていると、決まって兄に気付かれて「どうしました?」と問われる。
私が重い口を開くまで、ずっと傍らで正座して待たれている時間の気まずさ。
それでも、兄にそうした時間泥棒の件で責められた事は一度もなかった。
「何も知らずにいるより、ずっといいですから」
たどたどしく、要領を得ない口ぶりで詫びると、大体いつもこんな感じでしれっと流される。
兄なら、こういう時はどうしてくれただろうか。
ふと思いつきで口を開く。
「ならいっそ、全部食べて仕舞いましょう」
「たべる?」
「怖いママちゃんを、マーマレードと一緒に食べてしまうのです。言霊ごとね」
言霊というのはね、と説明する。
「私やねねちゃんや、さくらさんが語る言葉。おはなしすることば。わかるかな?日本語でも、英語でもなんでも」
「うん、わかる」
「それでね、日本人は昔から、言葉には命が宿ると考えていました。だって、ありがとうと言われたら嬉しい。おはようおやすみと交わすだけでお互いに気持ち良くなる。逆もあって、悪口を言われたら悲しくなる。言葉には、不思議な力があると考えたんですね」
ねねは神妙な顔で真剣に聞いている。
「だから、日本人は昔から言葉を大事にして来たのです。それこそ、生きている命であるみたいに。そのぐらい、言葉は大事なものなのです」
例えばコレ、と国産オレンジマーマレードのチューブを取り出す。
「不思議ですよね。ママ、とマーマレード。ママは英語で、マーマレードの元になった言葉はポルトガル語だそうです。でも、どちらもママと発音する」
「ポルトガルってなーに?」
「外国です。ヨーロッパってわかるかな?」
「うんとね、フランスとね、イタリア!」
「お!すぐに二つも出てきましたね!偉いですよねねちゃん」
んふふ、とねねははにかむ。
「なら、スペインはわかるかな?その隣」
「パエリアちゃんのくに!」
「はい、正解!ヨーロッパの南にある国です。別々の国の言葉で、全然意味も違います。でも同じ響きだなんて不思議ですね」
「マーマレードはママちゃんじゃないんだ」
「そうですね。マーマレードはマルメロジャムが訛ったものだそうですので、最初はオレンジですらなかったみたい」
マルメロの検索画像を探してタブレットを見せると、梨!とねねは元気に答えた。
「惜しいですね。マルメロは西洋カリンと呼ばれていて、梨とはまた違う果物だそうです」
「ちがった?」
ビクッとするねねに、大丈夫ですよと繰り返す。
「間違えばいいんです。間違えたら、正しい意味を何度でも学び直したらいい。それが普通」
「フツー」
「そう、普通。だからね、沢山間違えて、その都度正しい意味をキチンと学びましょう。お手伝いしますから」
ところで、と話を仕切り直す。
「ねねちゃん、ママ怖いですか?」
「えっ」
ねねの肩が跳ねたのを見て、私は更に踏み込む。
「他にも怖い人、たくさんいた?」
「……うん。ママまちがえたらね、いっぱいペチンするのね。でもね、ママはね、じっとしてたらこわくないよ」
「そう。他には?」
「……アオパパとババちゃんはこわくなかった。でもね、他のパパはみんなこわかったの」
「他にもパパいたの?」
「いっぱいいたよ!いっぱいペチンされたし、コラーってするの。こわかったのね。でもね、めんぼうでね、ほっぺたのうらゴシゴシしたらね、みんなパパじゃなかったって言われた」
ねねの一言に頬がひきつる。
マジかよ霧香。納得しかないが笑えねぇーな。
それなら、とマーマレードのチューブをかざす。
「こわいママを、マーマレードと一緒にガブッと食べて仕舞いましょう」
「こわいママを、ママで?」
「そう、言葉遊び。だけど、とても大事なこと」
そう、言葉はとても大事。
ずっとずっと兄や師匠に言われ続けてきた言葉。
『お前の言霊は強すぎる』
『言い方一つ間違えれば、人をいともたやすく死なせることができる』
ずっとそう言われて育った。
その厳しい指摘に間違いはなく、実際私は何度も間違えて他人を殺しかけた。
たとえ幼児であったとしても、その言葉が伝える意味が通じたなら、放った言葉は「言霊」となり祝詞にも呪詛にも変わる。その意味する結果がどうなるか、放った本人の意図とは異なる結果となったとしても。
言葉一つで。言い返しただけで。罵詈雑言をそのまま跳ね返しただけで。
小学校一年生の時、三階の音楽室から同級生六人を飛び降り自殺させかけた。
その直後、いじめっ子に同調していた同級生らが続けて飛び降りようとした時に事態に気づいた兄が止めなければ、私はクラス全員を飛び降り自殺させるところだった。
私は家でずっと言霊に注意するよう言われて、外では極力声を出したがらなかった。無口で暗いと思われ、ずっといじめられていた。
その日も音楽の授業で、ろくに声を出さない私は周囲から囃し立てられたのだ。
『こいつ歌えないんじゃーん!!口パクって言うんだぞそういうの〜〜』
『お口きけないの〜?しゃべれないとか赤ちゃん以下かよー!!』
『先生〜〜ろぼう君が歌ってませ〜〜ん!これサボりだと思いま〜〜す』
『サボり!!サボり!!サボりは死ねよ!!!』
『もう〜〜みんなやめなさい〜〜歌える子だけで歌えばいいから〜〜』
『えーーー!!そんなのズルじゃん!!お前、黒板の前で一人で歌えよ!!』
『そうだぞ!!ズルするやつは死刑だ!!死刑死刑!!シーね!!しーね!!』
『もうみんな〜やめなさいってば〜〜別にいいでしょ〜授業進まないから〜』
『ダメですーーー!!ズルはしね!!ズルはしね!!』
『そこからジャンプしてこいよ!!そしたら許してやるよ!!』
『ほらほらさっさと飛べよ!!お前暗いしうざいし、死んじゃえよ!!』
それで、プツッと何が切れてしまった。
『じゃあ、お前らが飛べよ』
自分でも驚くほど、教室の隅々まで声が響いたのを感じた。
直後、六人が恐怖で顔を引き攣らせ「ぎゃーーーーー」「イヤ、やだーーーーー!!」と叫びながら外廊下へと飛び出し、絶叫を残して次々とベランダから階下へとまっすぐ駆け出すやぽんぽん飛び降りていった。グチャ、とか音はせずバーン!と結構派手な残響音がしたのを覚えている。その後は、階下から絶叫が幾重にも響いて学校中がパニックと化した。
クラスメートと担任はガタガタ震えていたが、それを見てなお数人が「飛ばなきゃ、飛ばなきゃ」とぶつぶつ呟きながらジリジリベランダへと不規則に歩き出し、「いやだ、体が止まんない!」「行きたくない、とびたくないーー」と泣きながらベランダの手すりにしがみついてわあわあ泣くのを他人事のように見ていた。担任は失禁していた。「飛ぶ、飛ぶ、止め、飛ばない、飛ぶやだ、やだ、やだ」とぶつぶつ言いながら、目が天井を向いたまま鼻水垂らして、最後にはアーアッーと呻いて、立ったまま失神していた。
その後、「飛ばなきゃ、飛ばなきゃ行けないけど、死んじゃう、死にたくない!!でも飛ばなきゃ、飛ばなきゃ」と叫んでベランダにしがみついたまま離れない同級生らを引き剥がそうとする他クラスの担任や校長教頭が必死に児童の飛び降りを阻止しながら助けを求めるという阿鼻叫喚を目の当たりにした。
救急車が何台も来て、担任は翌週から別人になっていた。
結局、実際に飛んだ六人全員が大怪我ながら一命を取り留めたが、飛ばなかった同級生も家に帰ってなお「飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ、飛ばないと、飛ばないと」と強迫観念めいた衝動に襲われ続けてノイローゼになり、夕方には二人が自宅マンションから飛び降り未遂しかけ、とうとうウチの神社へどうにかしてくれと同じクラスの残り全員と保護者が詰め掛ける事態にまでなった。
同級生は、全員真っ青な顔で「飛びます、飛びます、飛びます」と泣きながらも、視線で助けを求めているのがありありとわかった。
皆、それ以外口に出して言えなくなっていた。
夜には一睡も出来ず、気づいたら窓やベランダに出てしまうため親も眠れぬ夜を過ごしていた。全員が目の下にドス黒いクマを貼り付けてズラッと境内に並んで震えながら、土下座して待っていた。
飛ぶ、飛びます、飛びます、飛ぶ、飛ばなきゃ……。
言霊の衝動に抵抗する同級生の弱々しい声が、ずっと境内に響いていた。
だが、私が見たのはそこまでだ。
術の後始末は全て兄がしてくれた。
もとい、私には何もさせてもらえなかった。
術のお師匠に、そうせよと命ぜられた。お前は手出しするなと。
私は何もできなかった。放った言霊の始末さえできなかった。
全て済んだ後。
絶対に怒られると思って、家で震えて待っていたのを覚えている。
その時の心境が、今目の前にいる少女の怯えた姿と重なる。
『良いですか路傍。よく聞いてください』
帰ってきて、兄は暗い居間で灯もともさずに静かに向き直って私を諭した。
その時の事を思い出しながら、優しく語りかける。
あの日の兄がそうしてくれたように。
「ねねちゃんは、間違えていいんです。でも、間違えたからといって叩かれたり怖がらせたりされるのは違う。どうであれ、暴力は間違いです。ペチンも怖いのも、してはいけない事ですから」
『貴方のした事は間違いです。でも、貴方は自分の身を自分で守ったのです。そこはキチンと褒めますし、良くやりましたとコッソリお伝えします。師匠には内緒ですが』
「いいの?」
「いいんです。でも、間違えたら、間違いを知っている大人はそうじゃないよ、と叱ります。叩いたり、怒鳴らなくてもこうやってお話したら、ねねちゃんはわかりますよね?」
「うん」
叩いたり怒鳴ったり、親なら時には腹が立って誤って、そんな事もあるだろう。だが霧香に限ってはきっと自分勝手に怒り散らしては八つ当たりが関の山だろう。そもそも後悔しそうにない。
幼稚でワガママで、いつまでも利己的で思い通りにならなければ爆発して周囲を焦土にするまで引けない負けず嫌いで。
相手が誰だろうとヒステリックに吠えて暴れる姿しか思い浮かばない。私の偏見は大いにあるだろうが、好意的には到底受け止められない性分の女だった。
「きっとねねちゃんママは叱り方を知らなかったんですね。でも仕方ないんです、ママもねねちゃんと同じでママになったばかりですから」
そっかぁ、とねねの顔が晴れていくのが目に見えてわかる。
やはり、どんな子でも親の悪口なんぞ聞きたくはないのだろう。
『先方には、僕とおばぁでお詫びに行きます。心配無用です。その上で、もう一つだけ』
「だからね、ねねちゃん。その上で、もう一つだけ」
「なあに?」
「これはおまじない。おんなじ言葉を使って、怖いママちゃんも、怖かった人たちも、マーマレードと一緒にパクッと食べてしまいましょう」
「ママちゃん、食べちゃう!?」
「おまじないだけです。実際には食べません。でも、怖いママちゃんをパクっとモグモグして、もう怖くないぞ!ってお祈りする。そんなおまじない」
「おまじない」
いいのかな?とねねはオロオロしている。
いいですよ、とそっと諭す。
「ママちゃん、ねねちゃんいらないっていったよ?(おこると、いつもいう)」
「だから、こんな事したら怒られる?」
うん、としょんぼり頷く。
「いいですよ。ここでなら」
「いいの?おこらない?」
「おこらないですよ。ナイショです」
「でも(でてけっていわない?)」
やはりな、と思う。
この子は、一体何人の大人にそう言われたのか。
だから。
「あなたは、ここにいていいんですよ」
『貴方は、ここにいて良いのですよ』
昔聞いた兄の言葉を繰り返す。
「怖がる必要は無いですよ。ここにいる間だけでも、怖いもの全部忘れて過ごしてください。こわいこわいのオバケは、パクパクっと食べてやっつけて仕舞いましょう」
どうですか?と訊ねると、ねねは目を見開いて、やる!と手を伸ばす。
「こわいママちゃんたべる!」
「はい、どうぞ」
「そしたら、やさしいママちゃんくる?」
間髪入れぬねねの期待に充ちた眼差しに、思わず胸が詰まる。
「……さあ、どうだろう。やってみましょうか」
「うん!」
きっと、やさしいママは来ないよ。
そう思う一方で、この子はどこに行けば良いのだろう、とふと思う。
私の元に?いや、それは有り得ない。
あくまで、ここは一時の宿代わりだ。
本当は、私は親になる資格など無い。
親を死なせた私に。
穢れた因果を背負った身で、人並みの幸せなど願うべくもない。
兄はそう言えば怒るだろうし、弟なら拳が顔面に飛んできそうだ。
でも。
彼女が帰ってこない事こそ、その因果の証明ではないだろうかと、最近は思わなくてもいい最悪の事態にばかり思考が向かう。
ねねの世話は罪滅ぼし。罪を灌ぐほどにもならない、気持ちを落ち着ける為のおためごかしになりつつあった。
志絵里ちゃん。ごめんな。
君がもし今辛い思いをしているなら、それは多分、私のせいだと思う。
私は、あの美しく醜い母と同じだ。
愛してくれる者を不幸にしかしない。
ちっとやそっとの祝詞やお祓いじゃどうしようもない数千年の悪縁が、私の足元に音もなく鎮まっている。それを兄や弟に押し付けない為に、自決も出来ず漫然と生きているだけ。自殺は悪縁を増強してしまう。いいや、私という御霊の器を喪って、あのおぞましい呪詛が私から解き放たれて兄弟を新たな器とするような最悪の事態だけは避けねば。
その手段すら、思いつかない我が身の未熟さよ。
天命は、まだ私を死なせてくれない。
いや、それも言い訳だ。
母みたいに、醜い生への執着に理由をつけてる自分に自嘲する他ない。
この隔絶された状況なんて絶好のチャンスだったじゃないか。
自分一人でひっそり死ぬなりなんなりしようかと何度も思って、でも彼女が帰る家を守らなければと、無理してラジオの仕事を引き受けて。
親友を犠牲してまで生きのびたのに、そんな簡単に死ぬのか?
死に思考が向かう度、そんな薄暗い声が脳裏に聞こえてくるのだ。
これも言い訳。
見苦しい生き意地にしがみついて、私はまだ死ねないでいる。
「ロボちゃん?」
「ん?ああ、なんでもありません。さあ、食べてしまいましょうか」
「うん!」
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