謡う陰陽師

望永 明

2021年8月第一週


「おはようございます。御堂坂路傍みどうざかろぼうです」


「時刻は午前五時五十五分、今朝も自宅からリモートでお送りしておりますアーリーモーニングファイズ。ドライバーの皆さん、医局や会社で仮眠してる皆さま、起きてますか?もうすぐ六時、今朝も今日も東京ネトラジーロから本放送をお送り出来る喜びを噛み締めつつ、まずは今朝の一曲目。ビリー・ジョエルのマイライフからお聴きください……」



二時間後。

階下のダイニングに降りると、壁に備え付けた角丸の白いスマートスピーカーに声をかける。


「アレックス、田児たごさんに繋いで」

『田児さんに、通話中です……接続します』

いよぅー、と軽快なダミ声が、スピーカーから流れ出る。いつものグダグダな反省会の始まり。タブレットをテーブルに立てると見慣れた髭面の太鼓腹オヤジが映り、音声が壁から画面に移動する。

『ロボちゃんお疲れ様でした〜』

「はい田児さんおつー」

ファ〜、と気怠い欠伸が自然と口からこぼれる。

八時までのラジオパーソナリティを終えた直後は緊張がほぐれるせいか、生欠伸が止まらない。

『今日で丁度半年!お疲れさんだよねー』

「ありがと田児さん、やってみるもんだね」

俺でもやれるもんだなー、と呟くと頼んで良かったよ、と画面の向こうで肉厚な丸い髭面がニッコリ。

反省会と言いつつ、八割は仕事後の朝食を摂りながらの雑談だ。

「今朝のニュースでやってた、トラックの横転事故。あれ大丈夫だった?」

『火災の続報も無いし、単独事故で運転手も死んでないっぽいね。だから単なる居眠りだろ。命あるだけラッキーよ』

「最近増えたね、高速の事故」

しゃあないっしょー、と田児さんのため息が聞こえて、ですよねー、と電気ケトルの湯をドリップコーヒーを引っ掛けた愛用のマグカップに注ぐ。今朝は簡単にトーストとゆでたまご。三秒解凍シリーズのサラダを冷凍庫から取り出す。

『今日は何味食べてんの?』

「コールスロー」

『好きだねそれ!?』

昨日もじゃなかった?と指摘され「セントターキーのと味似てて好きなのよ」と素直に答える。

『やめてよセンタのチキン食べたくなるじゃん。他のも味見しといてよ〜?貴重なスポンサー提供品なんだから』

「一通りは食べてるよ」

特注品のバミューダトースター(三枚切り対応品)に冷凍しておいたクメダ珈琲の厚切り食パンを凍ったまま放り込み、チューブバターとチューブこしあんを取り出して準備完了。

「んじゃ、はじめよっか。田児さんも早く飯にしたいでしょ」

『いーよいーよ、俺今日朝から久々のデリ取る』

「朝から?してくれるとこあるの!?」

『あるんだなぁこれが!有難う自衛隊、君らのお陰で半年ぶりにコンビニ飯が食える』

「えええいいなー、リッチだなぁ」

でっしょー!と、放送後の打ち合わせも砕けた空気で緩やかに流れる。

これが私、御堂坂路傍の現在の日常だ。



さっきも田児さんに言われたが、この仕事を引き受けてから半年になる。

いや、成り行きでなし崩し的に引き受けてか。

半年前に起こったバイオテロの影響は未だ色濃く、都内在住者は皆不自由な生活を余儀なくされている。

朝イチのラジオパーソナリティをやっていると、様々な声が寄せられる。今どきラジオなんて、と思っていたのも事実だが、自分は田舎出身だからともかく、都会の人間は今時ラジオなんぞ聴くまいとも思っていた。だが、蓋を開ければ毎朝放送終了直後から無数のメールが公式サイトに寄せられてくる。テレビが公共放送オンリーとなり、動画配信サービスも削除祭りに規制の嵐で有益なコンテンツが刈り尽くされた昨今、毎日定時で聴けるラジオは貴重な情報源と聞く。

私の声を聴くだけで安心する、というメッセージを受信するたび、嬉しさと同時に複雑な気分になる。ネットラジオも普及し、あれだけ多数いた配信者たちも今は何処に行ったものか。軽く検索しても西日本の配信者ばかりで数も毎日減少傾向とあっては、西からの電波受信が日に日に悪化している中では需要も薄いのだろう。東京のFMラジオで息してるのなんぞ、きっと公共放送とウチくらいなものだし。

朝食がてら明日の打ち合わせと選曲の確認を済ませ、後は気になるメールをピックアップする。曲のリクエスト、感想、そして要望。大体八割感想だが、その中から今朝流した曲や記事の感想、思い出なんかを書き添えられたメールは有難い。これなんかいい、明日アタマで紹介しようなど組み立てる。大体夕方には紹介したいメールをまとめて田児さんに確認メールを送り、夜に最終確認してまた明日。

その他有り余った時間は、のんびり過ごす日々。

どうせ三時半起き厳守なので、夜九時就寝の身としては昼間は取り立ててする事も無い。掃除して、洗濯して、飯食って仕事を済ませて。慣れたら些末なルーティンワークの繰り返し。でも、仕事は好きだし幾らでも昼寝が出来る性分なので世間一般ほど現状を窮屈に感じていない。世間の悲壮さや漂う空気に鈍感でいられるのも多分持って生まれた性分であり、我ながら得な性格をしていると思う。


さて今は昼過ぎだが、ミルク一杯で既に気怠い。たまにはと、気合いを入れて掃除をしすぎたか。

マグカップを濯ぎ自分の口も濯いでも、やはり生欠伸が出る。こんな日は寝るに限る。


「アレックス、二時間タイマー入れて。時刻になったら起こして」

『スマートフォンとタブレット両方にタイマーセットしました。本日は外出緩和デーですが、出かけられますか?』

「いや、夕方に少し出たいくらい。政府の通知アラームは切っておいて」

『アラームを消音設定に切り替えました』

「はい、ありがとう」

静かな一人暮らしのせいか、最近アレックスに話しかける回数が増えた気がする。特に返事が返ってくる訳でもないのに謝辞を述べ、そのまま二階の寝室に上がった。



という訳で、飯も食ったし昼まで仮眠かなと思っていたら。


『新規アドレスからメールを受信しました』

アレックスの音声ガイドに「?」と首を傾げる。

新規アドレスから〜とは、仕事用のメールアドレスではなく個人的な私用アドレスに受信した際しか言わないはずだ。

「アレックス、誰から?」

『該当者無し。ミーフォンより送信されており、アカウントはKKKdeluxe…@……』

アレックスの諳んじるアドレスに覚えは無い。

「後で読むよ。そのまま未読にしておいて」

『承知しました。同アドレスから新規メール受信。後ほどご確認ください。それではおやすみなさい』

はーいおやすみー、としなくていい返事をしつつ、心地よく午睡に落ちた。



しばらくして。

階下でチャイム音とアレックスのアナウンスが聞こえた。


『ご主人様、来客です』

来客?と頭にハテナマークを浮かぶ。


二階寝室の天井埋込型スピーカーに起こされ、蒸れた癖毛を掻き毟りながら、のそりと上半身を起こす。まだ一時間ちょいしか寝てねぇじゃん、と仮眠抜けきらぬままタブレットを手元に引き寄せて室内家電の管理アプリアイコンをタップする。

この家は、東京での芸能活動で知り合ったパトロンからポンともらった最新ハイテク戸建だ。都内(とはいえ辺鄙な場所だが)一階は防音密閉シャッター付きガレージ(東京では車持ってないけど)プラス三階建て。だから実質二階から上が居住空間なんだが縦にバカ高い外見から「グレーボックス」と命名された長方形三段重ねの縦長一軒家。防音性とセキュリティに特化しており、内からも外からも遮断・密閉された快適な空間を実現した、正に自分向きな物件。

短所は家と言い難い箱型で嫌でも目立つ外見だが、このご時世には僥倖とも呼べる快適空間を維持出来る貴重な物件な上、外から人がやってくる事も無くなった=目立っている外見すらも気にする必要が無くなったのだが。

訪問客だと?このご時世に?つーか、わざわざウチに来るとか何者?

一応芸能人の自覚はあるが、住所特定してまで今現在の都内某所へ直接訪問しにくるとは何処の酔狂か。

身内はまず来ない。実家の徳島か、さもなくば警視庁から兄貴が来るか。いや兄貴なら前日から日時まで細かく指定してくるからやはり違う。とすると事務所関係かとも思うが、このご時世にアポ無しとかあり得ん。

全身ジャンプスーツの強盗犯とか新手の完全防備雨合羽セールスマンとかだったらイヤだなー、と思う一方、明日のラジオ冒頭ネタになりそうならいいやと打算も働く。


昨今流行りの即席テロリスト、とは考えたくない。

一番あり得そうだから困るが。

以前の事件を知るならそんな馬鹿げた酔狂に走る奴はいないと思うものの、逆張りの模倣犯がバズり狙いで知名度を稼ぎに来ましたって言うならちょっと怖い。

さて鬼が出るか蛇が出るか、と玄関前のインターホン画面に接続するも。


誰も居ない。

ドア前に人影はいない。


ピンポンダッシュか?

時間を確認する。……当該地区の外出緩和通知が出てから三十分経過している。

有り得ない話では無いが、未成年はそもそも保護者の帯同が絶対のはず。親がいるなら他所の家や建造物へみだりに触れさせまいし、子ども一人で外出させて行方不明になられても外出許可時間以降は問答無用で捜索を打ち切られてしまう。対象地区への消毒剤散布は費用も範囲も時間もバカにならないと聞くし、何より外勤労働者の負担が大きい。

一昔前の小学生じゃあるまいし一体誰だよ、とインターホン画面の記録動画を確認しようとしたその時。

画面の左下端に何か動くものが見えた。

茶色みを帯びた髪。見覚えのある焦茶。

しゃがんでるのか?と思ったら数秒で覆された。

逆だ。必死に伸びをする子どもがいる。


リュックを背負った、白いワンピースの少女。

推定年齢三・四歳児。


児童一人の訪問を想定していない造りの為、玄関脇の来客ボタンに手が届かないらしい。画面の左端で必死に伸びたり縮んだり、抱えていた胴長な白ウサギのぬいぐるみでタッチしようと試みたりと涙ぐましい努力を重ねている。


これが、はじめてのナントカ的な番組なら微笑ましく思えるのだろうが。


生憎、自分は(今現在)独身だ。

しかも(今現在)一人暮らしだ。


……心当たりが無い訳でもなかったが。


『この人物はお知り合いですか?不審人物である場合、セキュリティ会社に直ちに通報致します』

「いや、鍵を開けて中に入れてあげな」


入れたくねぇー。

思う一方で、路頭に迷わせれば確実にアウトになるのも分かっている以上放っておけない。

今なら近隣一帯が除菌剤散布済だ(外出前に感染してない前提なら)中に入れても問題無かろう。もしも死んだらそれまでと腹を括りながら、一旦タブレットを枕元に置くなり掌を合わせ神に祈った。



「ねねちゃんです」

少女は自己紹介だけ済ませると、胴長のうさちゃんぬいぐるみに髪を埋めたまま、リュックを頑なに背負ったままリビングのソファに座っている。ここに連れてくるまでが既に難儀だったが、次はお茶の支度と地味にバタついている。

既に保健所と児童相談所には通報済だ。

だがどちらも「折り返しご連絡致します」で話にならない。

かれこれ三十分は経ったんだが!?と内心気が気ではない。


……この、ねねちゃんと名乗る幼女はとかく頑固であるらしかった。

中に入りなさい、と言われるまで棒立ち、中に入ってもお座りなさいというまで棒立ち、とかく指示待ち状態なのが気になる。幼児ってばもっとフリーダムじゃありません?躾が行き届きすぎてる気がしますが。


行儀が良すぎるのか、親の言うなりに生きてきたのか。あの親なら後者が正解ぽいか。


実は、親の目星は既についている。

入れて直ぐに幼女の小ささで気付いたが「誰が最初にピンポンを押したのか」問題。

モニタの録画を確認したら即ビンゴだった。


西園寺霧香。あいつめ。

カメラから隠れるように身を捩っている様が見て取れるのがいやらしい。ちらほら映るスイカップ、くびれたウエストムチムチ腰つき。ご自慢だった肉感的なボディも、今は視界に入るだけで忌々しいとしか思えない。

しかもこいつ、ピンポン鳴らすなり子どもに背中向けて走り去っていきやがった。

プリ〇スは無音らしいが残念だったな、ばっちり別角度のカメラで車体もナンバーも録画済だよファッキンビッチママめが。わざわざ車で乗り付けて子ども置き去りとはおめでてーこったよ!


この期に及んで何を企んでいるのやら。

だが、この「ねねちゃん」の素性は大体知れた。まさか、こんな事になろうとはなぁ……と天井を仰いでる暇もない。相手は子ども、愚図る前に丁重にもてなしてなだめておかねば。後はせいぜい役所の担当職員待ちだが……。


ふと、レモンティーの粉末個包装を開けかけて気づく。


柑橘アレルギーだったら?


手を止め、ノーマルのアイスティーポーションに切り替える。

いかんいかん、早速霧香の幼女トラップに引っかかるところであった。

きっとアイツの事だ、無理やり押し付けたにも関わらず「誘拐された」とか「娘が連れ去られた」とか言い出す案件なんだから。その上で、万一アレルギー発症して命を危険に晒した!などと難癖つけられたらたまったものではない。

アレはそういう女だ。元事務所社長の娘でなけりゃ関わらなかったぞっていう。

……あー、思い出すだけでムカついてきた。思い出しムカムカで胃が煮える。

あ、三歳児にカフェインって大丈夫だっけ?ええっと、ああもう!麦茶が無いんだよ!!切らしてるんだから仕方ない!そこまで知るか!!加糖飲料はこれしかない!!


いかん、落ち着け。

俺ももうアラサーの立派な大人だ。

子どもに当たり散らさず、終始オトナの対応でご安全に和やかにお引き取り願おうではないか。


「はい、紅茶どうぞ」

アイスティーのグラスを差し出すも、幼女は警戒しているのか、胴長うさちゃんをぎゅっと抱っこしたまま手を出そうとしない。

「紅茶は嫌いかい?それとも無糖派?」

幼女はいよいよ顔を埋めて答えない。

困ったな、とクッション片手に向かいへ座ると。


「……ちっこ」

辛うじて聞き取れるほどの小さい声。

三秒のタイムラグを経て、脳が事態を解析した。


「あーはいはい!トイレね!?トイレコッチ!ちっこはコッチ!」

幼女をトイレにご案内するだけでこのクライマックス感。

よちよち内股気味に向かう背中に焦る焦る超焦る。多分今年一番焦った瞬間だった。


……ジャー、と水音が聞こえた。

自分はトイレ脇の廊下で安堵の溜息をつく。

やっべえ。

いきなりの幼児の世話やべぇ。


せめて、もう少し言葉を発してくれたらいいんだが。

そうすれば、もう少しやりようもあるのだがなぁと脳内でボヤく。


「……すみません、てて」

トイレの中から出てきた幼女は、おずおずとこちらを見つめる。


「てて、あらいたいです」

「ああ、手洗いは中にあるでしょ」

「てて、とおい」

「あー……」

手洗い場が高かったか。

やむを得ず、足場代わりに荷物置き用の簡易ステップ台へ立たせて、手洗いは事なきを得た。


「(きちんと手洗い習慣が身についてるのか)」

霧香の子にしてはしっかりしている、と少しだけ幼女を見直した瞬間であった。

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