PoV方式-7 ****/09/25 16:2■~
南側窓全面に張られたテナント募集の貼り紙が日光を遮っているせいで、まるで1,2時間ばかりが過ぎた錯覚を覚えた。あまりに不安で時計を確認したが、まだビルの探索を始めて20分程度だ。暗くなるには早すぎるし、私は4階から3階に降りただけだ。呼吸を整え、動揺を抑えて、件のビデオのことを思い出す。
撮影班は、今の私とは真逆、南北に走る廊下を通って、私が下りてきた階段へたどり着いた。彼らはそのまま2階に降りて今度は北側の通路に向かって進んでいく。3階の映像には、撮影現場が道寺山ビルと示す特徴的なものはなかったように思う。
そういえば、撮影班を先導していた男女は2階に降りた後、一度3階へと戻ってきている。手振れ、音割れが酷い映像だがこのときの台詞は正しく聞こえていた。「上の階から音がする」、先導していた女性がそういったのだ。
耳を澄ませても、ビル内に私以外の足音は響いていない。試しに何度か足踏みをしてみたが、カツンという音が階下に響くものなのか確かめる術がない。携帯電話を下の階に設置して録音してみればよいかもしれないが、やる気は出なかった。
女性は階段を下りる途中だったカメラマンとすれ違う際に、音のことを伝えて、「あなたが最後だよね?」とカメラマンに尋ねている。つまり、彼女は誰もいないはずの上の階から音がしたことに気づき戻ってきたことになる。彼女を追う形でカメラマンも3階に戻り、彼らはこの廊下の端にあった扉を開いて室内を確認した。その後の映像はブレが酷いせいで室内で何かが起こったのかは判別できなかった。
3階南側廊下にある扉は階段手前の手洗いを除いて一つだけ。曲がり角の手前にあるその扉には表札の剥がされた跡と見覚えのある落書きがあった。D組の下部組織であることを示すマーキング。つまり、ここが山路の友人Aが構えていた土地調査事務所というわけだ。
ドアノブに手をかけてみると、意外なことに鍵はかかっていなかった。2年前、山路がAと話した後、逃げるように事務所を引き払ったのだろうか。扉は立て付けが悪く、室内に向けて扉を押すとキィという音が響いた。
足音よりも高く大きいこの音なら階下にも響いたかもしれない。だが、そもそもこの部屋に出入りできたのなら、撮影は土地調査事務所が出払った後に行われていないとおかしい。いくら堅気を装っていても部外者が立ち入ってタダで済む部屋ではない。つまり、撮影されたのはごく最近の可能性がある。
鷲家口眠が例のビデオを観たことがないのはそういうことなのだろうか。ひょっとすると、試されていたのはバイト君ではなく飯野だったのかもしれない。私は廃ビルの中でつい吹き出してしまった。断定するのは早いが、それはそれで面白い結末だ。
気を取り直し、事務所の中を照らしてみる。壁一面に並べられたスチールラックが目を惹く事務所だった。どうやら部屋の壁全てにラックが並べられて、事務机が中央でいくつかの島を作っているらしい。土地調査を生業にするだけあって、書類を多く必要としたのだろう。ラックは全てが天井に届きそうな高さなものだから、暗闇では余計に圧迫感を感じる。出入口がある南側のラックは骨組みだけなのに対し、他三方の壁には背板側板付きで並んでいるのも原因の一端だろう。
足元に気を付けながら中に入り、ラックや机に触ってみると、薄っすらと埃が積もっていた。夜逃げをするにしても、もう少し設備を持って出ればよかったものに。私は事務所の最後に少々興味が湧き、部屋のあちこちを懐中電灯で照らして回った。映画では脇道に逸れて見てはいけないものに遭遇するのだが、現実は甘くない。
これは、心霊スポットを調査した経験側で今回も裏切られることがない。私が見つけたのは幽霊や怪異などではなく、入口とは対角線の天井に残されたドーム型の防犯カメラだった。Aらが自主的に取り付けたものだろう。カメラが忘れられているなら、レコーダーが残っているかもしれない。天井に張られたコードを辿ると、天井をぐるりと一周している。配線の状況を観る限り、他にも3つ。部屋の四隅にあたる位置に防犯カメラが設置されていた。最後の一つだけ回収し損ねたのか。
それにしても厳重な監視体制だ。防犯カメラにはどうしても死角が生まれるが、この事務所で死角が問題視された事情に想像がつかない。山路には関係ないと話していたが、フロント企業として表に出せない業務なども行っていたのか?
あるいは、誰もいないのに音がするという怪談の真偽を確かめるために死角をなくした? それは流石に酔狂が過ぎる。何より、室内にカメラを設ける意味がない。
考えがまとまらないまま部屋を検分しているうちに、私はこの部屋が想定よりも一回り小さいことに気が付いた。3階と同じ構造をしているならもう少し南北に大きい。ちょうど、ラックが一台奥に収まるくらい……。
「なるほど」
北側の隅に置かれたスチールラックにだけ車輪がついているのをみて、私はこの事務所の仕掛けに気が付いた。車輪のついたラックに手をかけて手前に引けば、想像通り、ラックが動く。その奥には、ラックと壁の間に人が通れる空間がある。
部屋の北側に並べられたスチールラックは、概ね60センチほど壁から離れて設置され、ラックの背後に隠れた空間を作っている。空間の端、東側の壁際には細長い棚が置かれていて、車輪のついたラックは丁寧なことに背板に取っ手が付いている。つまり、この隙間に入った人間がラックを元の位置に戻すこともできる。
北側寄りの防犯カメラは、部屋の端ではなく、スチールラックの上につけられていた。カメラを四隅につけたのは、壁の位置を印象付ける狙いだったのかもしれない。
廃ビルで試すのも馬鹿らしいが、隙間に入り、壁際からスチールラックを動かしてみるとぴたりと元の位置にはまり、私はラックと壁の間に取り残されう。部屋の表側からみたとき、ラックの後ろに人間がいるとは露ほども思わないだろう。
通路の端の細い棚には、下段にダイヤル式の金庫が残されたままだった。灯りを照らしてよく見ると、金庫の下部が床とボルトで固定されている。この固定を外す労力を嫌がって、金庫を残していった。だから、この妙な空間を残すためにラックを残置していった。そんな仮説がよぎる。
金庫の中は当然空っぽだと思うが、試しにダイヤルを回してみる。流石に、適用に回して開けられる代物ではなかったので、私は早々に開錠を諦め、棚の他の段を確認することにした。中段、上段は表のスチールラックと同様に書類棚に使われていたらしい。流石に資料は回収されているが、何冊かノートが放置されたままになっていた。中を開くと細かい字がびっしりと書き込まれている。数字と文字の羅列だが、一定のフォーマットに基づいて記載されているため、日誌のようにみえる。
よくないモノを見つけたような気もするが、他方で退去の際に放置していったなら大した内容ではない可能性も高い。残念なことにレコーダーも見つからないので、私は戦利品としてこのノートを拝借していくことにした。
内容が内容なら、山路に連絡するか、後日こっそり事務所に戻しに来るとしよう。
この部屋で得られる情報はもうない。私はラックを動かして外に出て、携帯電話でラックの位置がわかる写真を撮影した後に部屋を出た。戻ってくる際の保険として、車輪の下にメモ紙を1枚挟んでおく。
これで、万が一のとき、他の誰かが動かしたかどうか識別がつく。
土地調査事務所を後にすると、テナント募集のチラシの隙間から差し込む光随分と弱くなっていて、南側廊下は薄気味悪さを増していた。長居をしてしまったらしい、既に時計は17時を指している。
映像では3階で物色した部屋は一つだけ、撮影班は異常を見つけられなかったのか2階に戻り、北側の階段で5階に上る。部屋を物色した当たりからいっそう手振れが酷くなるため何が起きているのかわからなくなってくる。
外も暗くなりつつあるのだ。撮影班の足取りに合わせて歩くのは無駄だろう。私は、当初の目的に立ち返り、北側の廊下に向かって歩を進めた。
北側廊下には、予想した通り、北西にエレベーターホール、北東に階段が設置されていた。但し、南側の階段とことなり北東の階段は入口が冷たい金属扉で封じられている。おそらくこれは非常階段だ。扉を開けると、南東の階段と同様に窓のない空間に折り返し階段が付されている。先ほどと同じく身を乗り出して上を伺うと、明らかに天井が高い。こちらは最上階である7階まで階段が通じているはずだ。
撮影班は下の階からこの非常階段を上ってきた。3階を通り過ぎたのはおそらく既に探索を終えた階だったから。4階を通り過ぎたのは……4という数字が怖かったからか。もしくは、4階にはまだ入居者がいることを知っていたのかもしれない。戻ったらテナントの入居状況を調べる手がないか考えてみることにしよう。
非常階段は、4階にも扉があること、難なく開くことを確かめて、私は目的の5階の扉前に着いた。
階段はまだ上に続いているが、撮影班は上階を気にするそぶりを見せなかった。それも、5階が空室、あるいは5階の入居者だけに許可をとって撮影したとすれば説明がつく。
各階と扉で隔てられているせいか空気が冷たい。細かく考える前に外廊下に出て目当ての景色を確認しよう。ノブに手をかけてゆっくりと手前に開く。重たい金属の扉が軋む音と共に、階段室に外気が流れ込む。
懐の携帯の着信音が響いたのは、丁度、扉を開ききったときだった。驚いてノブを手放すと、扉が勢いよく閉まり、階段室中にガンッという音が響いた。
「ヒョエィ」
たぶん、そんな声を出していたと思う。私の声は山彦のように階段室で2,3回反響した。無人だというのになぜだか酷く恥ずかしい。
扉を開ける前にいそいそと携帯を取り出して、この失態の原因を確かめた。
飯野楠美。
画面に表示された友人の電話番号に、私はがっくりと肩を落とした。
なんというか……タイミングが良い友人である。
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