PoV方式-8 ****/09/25 17:00~

「ああ。もしもし? 篠崎、今どこにいる?」

 階段室自体が閉鎖されていて電波が悪いのか、電話越しの飯野の声は何処か金属的で、ノイズがかかっている。

「どこ、と言われても……仕事中だよ」

 ビルの調査は飯野が手配すると言われていただけに、道寺山ビルに居るとは言い出しにくい。

「仕事? 有休休暇中なのに?」

 どうやら職場に連絡を入れたらしい。編集長と飯野が懇意にしていることを忘れていた。オカルト誌と地方雑誌の編集長がどこで繋がったのか、語るに一晩はかかる仲だという。

「あーほら、雑誌記者は、特ダネを見つけたら上司にも明かさないって言わない? オカルト誌にはそういう風習はないの?」

「怖いものを見つけたら早く共有しろとは言ってるね。“本物”だったら危ないだろ」

 “本物”なんてものを信じているとは思えないのになんという口ぶりか。暗に私がどこにいるか知っていると告げているようなものだ。抜け駆けして悪かったとは思うが、飯野が思っているような成果はない。

「はいはい。わかったよ。謝るから。でも、ちょっと電波が悪いから待ってよ」

 落ち着いて扉を開き、外廊下に出る。まだ外は明るく、概ね30分ぶりに浴びた外の光に思わず息が漏れる。携帯のスピーカーが音を拾うと五月蠅いんだよな。電話先の飯野に申し訳ない。

「それで、どこにいるんだ」

「察しの通りだよ。やっぱり気になったから件のビルを見に来ている」

「件の? 道寺山ビルか」

 そういえば飯野は選択肢をいくつか挙げていたか。

「そう。あの後、私も少し調べたんだけれど、ハーフムーンタワーが見えるロケーションだと、やっぱりここが一番確率が高いと思ってね」

 電話先で、飯野が何かを話しているが、やはり電波が悪い。ゴソゴソとノイズが入るおかげで何を言っているのかが聴こえない。聞こえないぞと言って切ってしまうことも考えたが、職場に電話してまで連絡をくれたのだ、何か用事があるのだろう。切るのも忍びなく、私は適当に相槌を打ちながら、外廊下の様子を確かめた。

 4階までと違い、廊下には窓がない。90センチほどのコンクリート製の壁が私たちと外を隔てており、その上は天井まで空間が開いている。

 高層階のベランダは風が強くて嫌われるという話があるように、ここも風が強い。5階からは住居になっているという話は本当で、廊下に面した壁には扉と窓が三つずつ。それぞれに表札と郵便ポストが据え付けられていた。もっとも、階下同様に誰かが住んでいる気配はない。

 廊下からはビル北側の街並みが見渡せる。もちろんハーフムーンタワーの姿も。月の外縁に当たる部分が駅周辺のビルに隠れている点は、映像と異なるものの、ほぼ同一の場所に半月状の建物が見えている。

「私の話を聴いているのか? さっきから妙なところで相槌を打っているぞ」

「ああ、ごめんごめん。電波が悪くて。それで」

「それで? ではない。君は今、道寺山ビルに入ったのか? と聞いているんだ」

 答えたくない。こういうのはできれば事後報告でこっそりと終えたい。他方で、この景色は、飯野の検証が正しかったことの証拠になる。

「今、目の前にハーフムーンタワーが見えているよ」

 今度は電話の先で飯野が息を呑む音が聴こえた。

「それは、5階の外廊下にいるということか」

 答えずとも飯野は私がそこにいることを十分わかっている。私も目の前の光景をどう解釈すればよいのかわからない。確かにここはあの撮影の現場なのだ。だが、二年前、まだ人が暮らしていただろうこのビルで、どうやってあの映像を撮影したのか、そもそもどうして道寺山ビルだったのか。考えようとすれば疑問は多い。

「例のビデオ、たぶん静海谷大の映像サークルで作られたものだと思う。飯野のところの新人さん、静海谷の学生でしょう?」

 飯野からの返答はない。何か返答しているような気がするが、金属音や雑踏のようなノイズが酷くて聞き取れないのだ。こちらから呼びかけてみるが、うまく伝わらない。ビル全体どこに行っても電波の入りが悪いのだ。これでは居住にも向かなかったに違いない。

「聞こえているか?」

「ここは本当に電波が悪いみたい。これじゃあ聞こえないから一度」

「切るな」

「何で」

「切ったらどうせかけなおさないし、しばらく出ないだろう。まだ用事が終わっていないんだ。このまま、どこか、電波の入りやすいところに移動するんだ」

「そんなこと言われたって、この建物全体的に電波が悪いから1階、いや出たところからだから4階におりればいいかな」

「それはダメだ」

「何でよ」

「はじめに電話に出た時、階段のところにいたんじゃないのか。今よりも声が聞き取りにくかった。電波が悪いところを経由したら電話が切れてしまう」

 それはありうる。だが、下りるなと言われると行き所がない。

「それなら屋上に上がろうかな。さっきの階段は上まで続いていたから」

「篠崎、私の話を聴いていたか? その階段を通れば電波が切れる。急いで別の階段をあがれ」

 幾分か飯野の声が慌てている。あまりのんびりしていられない話なのかもしれない。北東側の階段が使えないのだとしたら、南東側の階段か、通用口から移動するしかない。だが、この階にも通用口があるのだろうか。あったとしてもこの階も3階までと同様に表からチェーンとボルトで固定されているのなら、扉を開くことはできないだろう。

 それなら南東側の階段だろうか。だが、その結論はちょっと違和感がある。そうだ。初めに南東の階段に入った時、懐中電灯の光は天井らしきものを映していた。だが、今通ってきた北東の階段では、天井は視えなかった。構造の違い、1階下から明かりを向けた、要素はいくつかありうるがそれでは説明がつかない。だから違和感があった。だが、北東側の階段が5階しかなかったのだとしたら話は異なる。

 南東の階段は非常階段だから最上階まである。5階より上は居住スペースなのだからその階段が繋がっていないということも充分にありうるうる。

 それなら、6階への階段は、南東とは別の場所にある。例えば、建物の東側のどこか、とか。

 思った通り、角を曲がると中腹、丁度、下の階では通用口に通じる廊下がある地点の東側に階段があった。代わりに、通用口に通じる廊下はない。おそらく、北側の扉から通じて、一つの部屋になっていたのだ。一階層に3部屋。6階も7階も同じ構造をしているだろうからまずは上ろう。電話はまだ通じていて、電話口で飯野が延々と何かの話をしている。だが、やはり外廊下に比べて電波が通じない。

 急いで7階までのぼってしまい、屋上に出るのが賢明だ。

【道寺山ビル5階の構造】

    <南側>

 階段□□□□□□■■■

  ■■■■■■□■■■

  ■■■■■■□■■■

  ■■■■■■□■■■

  ■■■■■■□□階段

  ■■■■■■□■■■

  ■■■■■■□■■■

  扉■扉■扉■□■■■

 階段□□□□□□■■■

    <北側>


 6階は5階と変わらず、平凡な住宅エリアのように見えた。5階同様に通用口に向かう通路はない。繋がっているのは南北の外廊下だけ。おそらく北側に出入口と非常階段があり、南東の壁には階段がないはずだ。

 通路には二つ掲示板が設置されている。住民たちへの連絡はこれで行うということか。貼り紙はほとんど剥がされていたが、二つほど、大きく×印の書かれた貼り紙が残っているのが目を惹いた。意味はわからないが、少し、気味が悪い。

 探索は飯野の電話を終えてからにしよう。7階に向かうために階段に戻ると、6階と7階の間の踏み板にも、大きくカラースプレーで×印が描かれているのが目に入った。

「なに。これ……」

 ビルに入った中で一番気持ちが悪い。いったい誰が何のためにこんな落書きをしたのか。6階までは普通のビルだったのに、ここにきて薄気味悪さが強くなる。だが、下に戻るのも少し怖い。だから、とにかく7階、そして、その先に上るしかない。

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