9月25日
※これは、9月18日の深夜、私が飯野の部屋で確認した際の映像の記録である。聴き取れなかったり、映像が確認できなかった点は再現していないので了承願いたい。
*****
――黒い画面にノイズ。画面は変わらぬまま、ひび割れた音が入る
「静海谷大学映画サークルぼんち、撮影開始しまーす」
「その陽気な掛け声必要か? 編集する身になってみろよ」
「え、でも■■さん撮影開始していないでしょ? ほら、カメラの調整してる」
「撮ってるだろ。ランプついてる。この部分、カットしなきゃいけないんだぞ」
「えっと、ごめんなさい。やっぱりカチンコ買うべきかな。ああ、そうだね。この人数だと誰がカチンコ持つべきかって話になるよね。うーん。難しいな。次の作品までには真剣に考えなきゃ。え、他班からカチンコ借りればいいじゃない? そこは譲りたくないのよ。ただでさえ、ちゃんと撮影できてないって笑われてるんだから。■人で撮影なんて無理とか言われたら悔しいでしょ。
いいから、■■さんの準備ができたところで撮影開始しますよ。気を取り直して、5秒後から本撮影スタートです」
話者の口元から胸元にかけてのアップが映る。オレンジ色の服の胸元がふくらんでいることと、指先のネイルアートから、おそらくは女性。彼女は胸元で両手の人差し指をクロスし×印を作っている。以降、この人物をAと称する。
「私たちは今、N市のKビル前にいます。ここは本当に危険なスポットと言われている為、仮名でしかお伝えできません。これは視聴者の皆さんへの配慮ですので、ご了承ください。■■さんもビル名が映る場所は画面に入れないでくださいね。
私たちは今回、このKビルにまつわる噂の検証を行います。」
Aの台詞が終わるのを合図にカメラが右へとずれていく。Aの隣に、白いセーターの人物、赤のジャケットを着た人物、そして、迷彩のパーカーを着た人物が映る。いずれも胸元と口元までしか映らないため顔はわからない。白の人物は初めにAと掛け合いをしていた男だ。以降、白の男をB、赤の人物をC、迷彩の人物をDと称する。
Aの説明を引き継いだのはBだ。胸元で×印をつくり口を開く。
「Kビルは、■■年前に建てられた雑居ビルです。建築当時は、1階から5階まで、様々な店舗、事務所が入居する予定だったといいます。今では、全てのテナントが退去。借り手がつかず、オーナーも困っているとか。今回私たちが調査するのは、ビルが廃墟になった原因なのです」
Bの説明を聞いて、AとCがわざとらしく口を塞ぐ。BはAの方を向いてわざとらしく笑みを浮かべて身を屈める。Aを怖がらせるための素振りなのかもしれないが、画面上はただ大学生同士がじゃれているようにしか見えない。
「ここからが怖い話ですね。ビルが廃墟になった原因、それは■■■■■■……」
「外階段にはのっぺらぼうがでる」
ノイズで隠れたBの言葉にかぶさるようにCが説明を繋いだ。声からするとCも男。彼も話すときには胸に×印を作っている。
「誰かが非常階段から覗いている。顔はどんなに確認してもよくわからないらしい」
「でもさ、3階とか4階にいる人の顔が見えないのはよくあることじゃないの?」
Cの説明を聞いて、Aが首を傾げた。台本通りのはずだが、演技臭さがない。
「それがそう単純な話でも■■■」
「向かいのマンションから望遠鏡で確認した人がいる。顔がぼやけてみえなかったらしい。服も背格好もわかるのに顔だけは真っ白で見えないらしい」
Cの回答が途切れて、今度は迷彩服のDが回答を繋ぐ。声は女性だ。Dもまた、胸元で×印をつくることを忘れない。Dの回答に、A、B、CはDの方をみてしばらく固まった。3秒ほど硬直が続くとカメラマンがカメラの縁をトントンと叩く。
その合図で我に返ったのかAが頭を振り、カメラに向き直る。
「それともう一つ、退去者が続発した理由と言うのがビル内に響く音です」
A以外が手を降ろし、一様に首を傾げる。導入部の演出としてはちょっとウザイ。
「誰もいないはずの部屋で声がする。廊下を歩いていると天井から足音が聞こえる。常に誰かがビル内をうろつく音がする。噂が積み重なって、このビルは呪われていると言われています」
「呪いねぇ。それで、廃ビルになった今、僕たちで確かめてみようってわけだ」
Bのまとめに、Aが大きく頷いた。
「そのとおり。幸いなことに音がしても呪われて死んだという話は聞きません。緊張感は足りませんが、ホラードキュメンタリーの練習にちょうどよいでしょう」
「練習っていうなよ」
説明が台本を外れたのか、Aの言葉にB、C、Dが笑いあう。不思議なことに、彼らは話す、笑うなど声を発するときには必ず×印を作っている。
――ノイズ、カメラマンの足元に画面がずれるが、録画は続いている。
――雑談をしているが、声は聞き取れない。画面が揺れ移動していることはわかる。
――カメラが持ち上げられると、Dの後ろに写りこんでいた柱がアップにされる。
柱には銀色の板が何枚もはめ込まれている。おそらく、入居テナント一覧だろう。だが止まることなく柱の上まで画面が動き、すぐに通用階段を上るDを映すため、銀板に書かれた文字は見えない。
「まずは2階のドアを確かめるって。入れるならそこから入るらしいよ」
カメラマンは手招きされたDを追って、彼女の脚と自分の足下を映しながら階段を上る。折り返し階段の踊り場を2つ抜けると、二階に着いたらしい。Bが通用口と思われる扉のノブを弄っているが扉が開く様子はない。
「鍵がかかっているみたいですね。3階に行ってみましょうか」
「このまま全部の通用口が開かなくて終わりってオチもあるかもな」
Aの実況に、Cが軽口をたたく。全員で3階に上り、今度はCがドアに手をかける。
「開くよ。この扉。開くのはこの階だけなんだ」
Cではなく、Cの隣にたつDがカメラとA、Bに説明をする。扉の奥は暗くて様子がわからない。カメラが照明をつけるも廊下ではなくAに当たってしまい、Aが咄嗟に目元を隠して何かを口走る。
――ノイズと共に叫び声のような音が入り、全員が身をすくめる。
「何? 声?」
「上からか?」
音に驚いたCとBが非常階段の上を気にする。その横でAがビルの中に駆け込んでいくのが映った。
「ちょっと、■■。まだ外の確認が終わっていない。今の音、上も見ないと」
Aに気付いたBが声をかけるがAは止まらない。
「仕方ない、■■。照明調整して入ってきてくれ」
Bがペンライトのスイッチを入れて、ビルへと入っていく。出遅れたCとDは互いに目配せをするが動こうとしない。おそらく、このタイミングでAがビルに入っていくのは予定外だったのだ。
カメラマンがカメラの縁を叩くと、Dがカメラマンに向きなおって口を開く。
「最上階まで様子をみてきます。■■さんは、二人を先に追いかけておいてください。大丈夫ですよ、何か見つかれば撮影しておきます」
Dがパーカーからデジタルカメラを取り出して指をさす。カメラマンはDの提案に同意したのか、CとDに背を向けてビル内へ踏み込んでいく。
――カメラの照明と先行するBのペンライトだけが光源なので内部の様子はほとんどわからない。しばらく進むと、ペンライトの光源が大きくなり、廊下に所在なさげに立つBとうずくまるAが映った。口元を押さえて天井を見ているAは目を見開き必死に天井の何かを探しており、外で見せた明るい様子が消え失せていた。
AはBのズボンの裾を引っ張る。Bはしゃがみ込み、Aと何かを話しているがカメラはその音を拾わない。その代わりに拾っている廊下を駆け抜ける足音についてカメラマン気にする素振りをみせず、じっとBがAをなだめる様子ばかりを映していた。
音が大きくなるにつれて、画面にもノイズが増える。
視聴者の酔いを誘う映像が数分続き、音も画像も正確に捉えられなくなると、急に
カメラが180度ターンをし、ビルの入口側を映した。ノイズが薄れ、カメラの焦点が定まると、CとDの靴が画面に映りこんだ。
「■■さん、落ち着いた?」
「上の階の通用口は全部閉まっていた」
「じゃあ、あの音は?」
「わからない。向かいのビルの物音が聴こえたんじゃないか?」
「誰かが通用口からビルの中に入ったとか」
「4階は通用口前に段ボールが積まれていたし、5階はチェーンで固定されていたから、ドアを開けるのは無理。誰かがそこにいて、ビル内に入ったとは思えない」
AとBの質問に、CとDは淡々と上階の説明をする。カメラに映ったAは、廊下にうずくまりC、Dの顔と天井を何度も見比べている。
その様子を見かねたのかBが撮影を止めようと言い始めると、怯えていたAの様子が変わった。その後は再び足音が彼らの声をかき消してしまうため、まるで無音映画のような画面が続く。
彼らが話すたびに作る胸の×印で議論をしているのが辛うじて分かるだけだ。議論の詳細はわからないが、一通り話がつくとAは立ち上がり初めと同じ明るい身振りをみせ撮影班を先導する。その横をB、後ろをCとDがついてあるく。カメラは最後尾で4人がビルを歩く様子を撮影している。
先行するAとBのペンライトが左側に2度消えることから、撮影班はビル内の廊下を左に曲がっていることがわかる。撮影班はやがて廊下の突き当りの扉にたどり着き足を止めた。ペンライトに照らされたクリーム色の金属扉を開けると、更に暗い部屋が顔を覗かせる。
――不意に壁を叩く音が入るが、今度はAらの話し声が音をかき消す。
「階段室、だよね」
「暗くない? 窓ないの?」
「階段って窓なくてもいいの」
「灯りのスイッチは入らないね。ブレーカーが落ちているのかな」
「そりゃ、廃ビルだからね」
「廃ビルになってそんなに時間も経っていないし、管理している人とかいないの?」
「まあ、ほら、夜に来なければ蛍光灯は確かめないし、メンテナンスが行き届いているように見えても非常灯がつかないなんてことはよくある」
Bの雑学が披露される横で、カメラは階段室の暗い様子だけを映す。カメラの照明に照らされた数段先の階段が見える以外、画面は暗く、階段室が全体としてどうなっているのかはわからなかった。
「それより上から音がしない?」
Aが、階段を上り、上階を覗きこむ。
「音?」
「気のせいだよ気のせい。目的は上? 上ってみようよ」
Cの提案に、Aが首を横に振った。音がするから嫌だという主張に、B、C、Dが顔を見合わせる。Dが何か話しているが聞き取れず、カメラは頑なに上に行くことを嫌がるAを映すままだ。
「ビルの見取図だと反対側にも階段があった。一度2階に降りて別の階段から上にいってみよう」
Bが提案した代案を受けて、Aは再び全員を先導し階段を下りる。引き続き、カメラマンがしんがりだ。撮影班とC、Dは一つ目の踊り場で立ち止まり、ポスターの剥がされた痕跡などを確認していく。すると、既に2階に到着したAが息を切らせて駆けあがってくる。
「聞こえた? 今の。■■さん、後ろに誰もいなかったよね」
今までカメラマンが後ろを気にしたシーンはなく、C、Dは踊り場にいる。BはAと一緒に階段を上ってきた。カメラマンの後ろには誰もいないはずである。
「そんなことない。聞こえたよ。確かに誰かがいる」
Aはそう言って3階へと戻る。Aは話すときに胸元で×印を作るのを忘れている。
「そんな音聞こえたか?」
Bの問いかけにC、Dは首を振る。Bは少し考え込むとカメラについてくるように合図する。Bは話すときに胸元で×印を作るのを忘れていない。
撮影班が3階に到着すると、Aは3階の廊下を戻っている。ペンライトの明かりが右側へと消えるのをみて。Bが走り、突き当りで自分のペンライトを振り回した。
「部屋が開いている」
後を追ったCが、さっきまで閉まっていたはずの部屋の扉が開いているという。
「■■、いるの?」
部屋を覗き込みBが声をかけるが返答はない。カメラとBが入って室内を照らすと、照明の先でAがぼんやりと立っている。
「なんだ、返事しろよ」
――画面のノイズが酷くその後の様子は分からない。画面が正常に戻った時には撮影班は階段室まで戻っており、2階へと階段を降りている。
撮影班はそのまま階段に戻り、2階へと進む。2階では何も起きることがなく、黙々とビルの廊下を確認するだけだ。そして、ビルの反対側の階段にたどり着く。
「やっぱりこっちも変な音がしない?」
落ち着いていたAが全員に話しかけるが、皆首を傾げる。
「変な音ってどんな?」
「なんだろ……■■■■■■」
――突然響いた金属音で声が遮られる。だが、Aらはその金属音に興味を示さない。
「とりあえず、さっきよりはましだろ。上がってみよう。目的は上なんだから」
少しとげのある口調で言い放ったBがAの代わりに先頭に立ち、階段を上っていく。Aはカメラに向けて不安げな表情を見せるが、そのままBを追って階段を上り始める。CとDは二人の様子が心配だと話すが、特に異論を述べることもなく、彼らに追従する。
無言のまま階段室を上る撮影班を数歩後ろからカメラが追いかける。カメラが3階と4階の間の踊り場に到着すると、AとBがもめている声が聞こえた。
「だから、入りたくないよ。変な音がしたんだよ」
「そんなこと言ったって、全部の階を確認するって企画だろ」
「何もないんだからいいじゃない」
「何もないって……この階が一番怪しいだろ」
「そんなことない。そんなに見たければ■■くんだけ行けばいいじゃない」
「それじゃあ、映画にならないだろ。わかった、まずは5階まで行こう。5階でも何も収穫がなかったら、俺と■■だけで4階も一通り回る。■■は階段で待っててくれればいい」
「えっ……それは、いいけど」
「決まりだな」
BはAの手を掴み強引に5階へと進む。不安げな表情を見せるC、Dと共にカメラマンが後を追う。カメラが追いつくころにはBらは扉を開けて5階廊下に出ている。
「外廊下だ。こんな風になっているなんて」
「外の空気が吸えるのなんとなく安心するね」
5階廊下は窓がなく、外の景色がはっきりと見える。手すり越しに差し込む月とビルの明かりのおかげで夜なのにビル内よりも遥かに明るい。撮影班は腕を伸ばして肩をほぐす等、リラックスした雰囲気をみせた。
「あれ。誰だ?」
廊下の異変に気が付いたのはBとDだ。Dが声を上げ、Bが廊下の奥を指す。二人に促されるように奥をみたAとCは口を押える。遅れてカメラが撮影班の視線の先を映し出す。廊下は突き当りまで明瞭に映っている。カメラに映っている撮影班の後ろ姿も誰一人不明瞭なものはいない。にも関わらず、廊下の奥に立つ人だけが真っ黒に塗りつぶされており、表情はおろか服装すら見ることができなかった。
「管理人とかじゃないのか」
「廃ビルだよ。こんなところに誰もいるわけないじゃない」
「あの、すみません」
A、B、Dが声をあげても影は反応を示さない。そもそも、それは顔まで黒く塗りつぶされているので、撮影班に気づいているのかすらよくわからないのだ。
撮影班らは影に近づくべきかどうか迷い、互いに顔を見合わせる。
「ねぇ。あんなの誰が用意したの」
「知らないよ。俺じゃない」
「そうやって、私を驚かせる企画なの? ビルに入った時からずっと知らないふりをしていたけど、これも全部■■たちが考えたことなんでしょ」
「違う。本当だ。だいたいここで撮影しようって言いだしたのは■■だろう」
「だったら、あれはなんなのよ。なんで■■■、■■■■なの」
恐怖に耐えかねたのかAが×印をつくるのを忘れて声をあげた。すると、今まで無反応だった影がぬるりと向きを変えた。真っ黒で凹凸のない姿なのに、影が撮影班の方を向いたのがわかる。カメラが一歩後ずさり、遅れてBたちが影の変化に気が付いた。彼らは全員、Aと影を交互に見る。
「違う。私のせいじゃない。知らない。違うよ」
Aは必死に弁明するが、Aの声が廊下に響くたび、影は動き、ついに撮影班の方へ向かって近づき始めた。撮影班の全員が息を呑み、その後はもう何がなんだかわからない。声を上げ、カメラを押しのけて階段室へと逃げ込んでいく。カメラは撮影班たちではなく、近づいてくる影を捉えながら後退し、階段室に入った時点で撮影を放棄した。カメラマンの動きに合わせて上下するカメラはピントを合わせることもできずにただビル内を映す。
5階で迫ってきた影が階段を追いかけているのかもわからず、時折Aらのパニックに陥った声がマイクを通して聞こえてくるだけの映像が続き、やがて、彼らは侵入に使った通用口からビルの外にでる。非常階段を駆け下り撮影開始場所に戻ってきて数分。5階で見た影がなんだったのか、誰の仕込みだったのかと言い争いを続ける撮影班。時折ピントがあった場面では既に誰も胸元で×印を作っていない。
自分たちが作ってきたルールも忘れて罵りあうも、誰も影のことを知っている者がいない。その状況を理解して、全員が声のトーンを落としたところで、ようやくカメラが役割を思い出し、ビルの周囲の状況を撮影する。
ここでようやく、ビルが路地裏に属していること、ビルに面した車道にオレンジと黒のストライプ模様が入った金属板が立てられていることがわかる。ビルが工事中だった、あるいはビルの面する車道で何らかの工事をしているのだろう。
金属板の先、車道の反対側にはマンションが建っている。カメラがズームされると、エントランス前にヘルメットを被った現場作業員が映った。
撮影班の面々は柵に手をかけて、作業員に声をかけ始めるが何と言っているのか声は割れて、聞き取ることができない。それにも関わらず、作業員は一切撮影班に興味を示さなかった。
カメラが作業員を映すのを止めて、自分たちが下りてきたビルの外階段を映し、画面がブラックアウトする。
*****
こうして、ビデオは唐突に終わりを告げた。
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