PoV方式-2 ****/09/21~****/09/2■ 

 駅前通りを南に歩くと、右手に私立静海谷(シズミヤ)大学が見えてくる。

 初代学長、静海谷卯太郎(シズミヤーウタロウ)の名を冠したこの大学は、法学部と経済学部、文学部が力を持ついわゆる文系の私大である。

 全国的には名が知られておらず受験予備校などは話題に上げない大学だが、地元では創立時のキャッチフレーズ、「私が知りたいことを教えてほしい。学べよ、語れよ」が今でも語り継がれている。

 創設者の卯太郎氏は資産家だ。静海谷の学史によれば、好奇心は旺盛だが大学創設時までは箱入りで、世間のことをほとんど知らなかったという。親元を離れてこの地方にやってきた卯太郎は、身に余っていた資本を使い、自分の知りたいことを集める大学を設立した。それが静海谷大の創立経緯だと言われている。

 研究に費用をかけることを惜しまない。卯太郎の個人的な欲求を基に建てられたこの方針は、学長が専門性を持たないにも関わらず、多くの研究者と学生を集めた。やがて地域では名のある大学へと成長し、多数の優秀な研究者を擁するようになった。

 「学べよ、語れよ」の精神は、卯太郎氏が逝去した後も本学に受け継がれている。例えば何ら由縁のない私の個人的興味でも取材に応じてくれる研究室がある。おかげで私は静海谷大の研究室のいくつかと懇意にしていて、定期的に訪問している。

 ところが、大学を訪問することはあっても、周辺を探索したことはなかった。この街は学生と隣の市で働く者のベッドタウンで、私の仕事とは少々縁遠い。


 静海谷大の正門から駅を眺めると、駅ビルに隠れて白を強調した丸い壁面のビルが見える。ハーフムーンタワー、25階建ての複合商業施設は、件の映像に映りこんだのと同じ下弦の月の形をしている。北側から見ると上弦の月に見えるはずだ。

 今日の目的地、道寺山ビルは、静海谷大から徒歩で30分ほど南に下った先、学生や仕事帰りの大人が立ち寄る飲食店街の裏に建っている。


*****

 飯野との映画鑑賞会から三日。

 私は仕事の合間に喫茶店「マボロシ」に立ち寄った。マボロシは、私が暮らす街の駅前通りに構える開店18年目の老舗だ。

 ビルの1階、通りに面した全面の窓に面したカウンター席が特徴で、何時間でも通りの様子を眺めていられる。もっとも、これだけなら、巷のチェーン店と変わらない。現に、マボロシの斜め向かい、駅前商店街の入口に構えるチェーン店は連日行列ができる大盛況である。

 それでも、個人的にはマボロシのほうが居心地が良い。それはビルと歩道との境に植えられた街路樹のおかげだろう。これがあるおかげか、カウンターからは通りを眺めていられるが、通りを歩く人々が店内にいる客に目を向けることはほとんどない。

 街の喧騒から半分だけ隔離された隠れ家のような雰囲気を私は気に入っている。

 それにマスターが淹れるコーヒーと紅茶は、取材が行き詰ったときに一息入れるのにちょうどよい。勤め始めて以来、週に3度は通う常連客になっている。

 ところで、この2年ほどに限って、私の興味はマボロシに居付いた新たな常連客にある。この日も“彼ら”はマスターと談笑していた。久住音葉(クズミ‐オトハ)と水鏡紅(ミカガミ‐ベニ)。大学生と年下の恋人、または従兄妹のような二人は、1年前にビルの2階で便利屋を開業した。

 今時、WEBページも持たなければ広告も打たない。マボロシのカウンターに名刺大の犬探しの宣伝を打っているだけなものだから、依頼のほとんどが犬探しだという。だが、彼らが便利屋を営んでいる本当の理由は、“本物”の怪談を蒐集することにある。蒐集の理由は、二人が抱える奇妙な事情に起因するのだが、二人は“本物”とそれ以外を仕分けるのが上手く、また“本物”を見つけてくる打率が高い。

 入社以来、オカルト雑誌の復刊という夢を胸に、手帳にしたためていた未調査の不思議な事件や噂。私の“趣味”としてすら消化されずに消える運命だったそれらは、私の給料の何割かと引き換えに、便利屋によって調査され、仕分けられていった。おかげで随分昔に聞いた噂は減り、それどころか、便利屋が集めてきた遠方の噂が手帳に並び始めている。

 私は、久住音葉と水鏡紅が求めていた、怪談を集めその真偽を判定する依頼を持ってくる客なのである。もっとも、このところは調査を依頼したい噂もなく、店で顔を合わせても互いの近況を交換する程度だった。

 でも今日は違う。私は音葉の隣に腰掛け、件のビデオについて話すことにした。


「飯野さんの会社の新人バイトって、静海谷大の人じゃない?」

 ビデオの内容について話すと、紅がそう切り出した。ハーフムーンタワーが映るロケーション、撮影班の年齢、ビデオを手にした経緯から近郊の大学生とイメージしたのだろう。だが市内にすら静海谷大以外にも大学はある。

「篠崎さんは出身じゃないから知らないか、静海谷の十八番だよ、その作品」

 得意げに話すが紅もこの街の出身ではないし、私よりも年下のはずだ。昔を知っているとは思いがたい。最後のは嫉妬かもしれないのでまずは話を聞くことにする。

 私は紅茶を一口飲んで、彼女に続きを促した。

「映画撮影サークルぼんち。平仮名でぼんちって書くんだけど、50年近く前からある映画撮影サークルなんだって」

 静海谷大は創立50年だから、創立当初からあったことになる。

「映像関係のサークルというと静海谷学長のご子息の関係でしょうか」

 意外なことにマスターもこの話に興味があったらしい。食器の手入れをしながら話題に混ざってくる。

「マスターの言うとおり、静海谷卯太郎の一人息子、静海谷灯郎(‐トモロウ)が立ち上げたサークルらしいです。学長の抜けてる坊ちゃんが作ったから、ぼんち。名付けたのは灯郎本人なんだとか」

 紅によれば、ぼんちはSFや怪奇小説を題材にしたショートフィルムを得意とする。学生向けの映画祭でいくつも受賞歴があり、界隈ではちょっとした有名どころらしい。ぼんちがそのジャンルに拘るのは、初代主催者の灯郎の趣味に由来するというくだりは、卯太郎氏の血縁を感じるエピソードだ。

「灯郎さんは趣味の人だったけれど、創設メンバーにはしっかり先を見る人もいたんだって。灯郎の思いつきを実現させるための撮影施設は大掛かりになりかねないし、かといって彼が卒業した後に維持費が出せるかはわからない。他方で、当時のぼんちに脚本がかけるのは灯郎しかいなかったので、普通の作品は作れない。

 それなら、いっそのこと自分たちはSF・怪奇作品に特化すれば、アマチュア映画祭の賞金も狙いやすいし、似た趣味の参加者が集ってサークルが維持されるんじゃないかって。元々、当時の映画祭とかでは同ジャンルの作品が少なかったし、灯郎の趣味部屋をひっくり返せば、アイディアは山ほどあったみたい。

 今は流石にアイディア一本で賞金が取れるほど甘くはないみたいだけど、それでもぼんちがSF・怪奇作品に強いことは変わらない。50年引き継がれたノウハウは学生映画界では強い武器なんだよ」

「ところで紅ちゃんはなんでそんなに詳しいの」

「ちょっと前までレンタルショップでバイトしていたんです。そこの店長がアマチュア映画とかミニシアターのフリークで詳しかったんですよ」

 紅は頬を膨らませ音葉の脇腹を突く。不用意に紅の気に障る発言をしてカウンターに突っ伏す音葉も随分と見慣れた光景になった。

「それじゃあ、もしぼんちが撮影していたなら、サークルを訪ねれば撮影当時の事情とかがわかるかな。静海谷大のサークルなら、外部の取材を拒否しないでしょう?」

 紅と音葉が顔を見合わせ首をかしげた。先に口を開いたのは音葉だ。

「篠崎さんが観た映像はVHSテープなんですよね」

「そうだよ。撮影されたのは早くても2年前。記録媒体に拘るのに背景の建物で撮影時期がわかってしまったのは作品の演出としては惜しい」

 二人で顔を見合わせている様子を見ると何か思い当たることはあるようだ。私が頼んだ紅茶のお代わりがカウンターに置かれると、音葉が再び口を開いた。

「少し前に、鷲家口(ワシカグチ)先生がぼんちを訪れているんです」

「鷲家口というと、検視官の鷲家口眠(‐ネムリ)? なんでまたそんなこと、静海谷には医学部はないし、あの人は都の出身でしょ」

 鷲家口眠というのは、音葉たち便利屋の知人の検視官だ。彼らが旅先で遭遇したいくつかの“本物”の怪談に絡んで、死体の検視を務めたのが縁で付き合いがあるという。私も何度か会ったことがあるが、掴みどころのない男で胡散臭い。

「僕たちも細かく聞いていませんが、教え子の遺品整理だそうですよ」

「教え子が呪いのビデオに殺された?」

「まさか。そんな案件ならあの人は遺品整理なんてしないですよ。ともあれ、あの人はああ見えて周囲に溶け込むの上手ですからね、あっという間にサークル全員を手懐けたんだそうです。そこで、彼らが撮影していた過去の作品、そして本物だと言って憚らないビデオなんかも含めて在庫全ての上映会をやったんです。1週間かけて」

 それは気の毒だ。学生はさぞかし迷惑だったであろう。顔に気持ちが出ていたのか、音葉と紅も何も言わずに大きくうなずいた。

「僕たちは事後に話を聴いたんですが、その時に鷲家口先生が言っていたんですよ。『呪いのビデオと冠しておきながら、DVDの作品ばかりがあるのはどうなんだ』って。フェイクでも良いから元のフィルムがあったほうがそれらしさが出るだろうし、若いと思っていても世代差を感じると嘆いていたのでよく覚えているんです」

 つまり、鷲家口眠は静海谷大でVHSテープを見ていない?

 私の問いに音葉は頷く。

「ちなみに、その時、僕も、鷲家口先生からぼんちの選りすぐり作品のコピーを渡されました。中にはホラーも混ざっていて、篠崎さんが観た……ええっと、PoV方式でしたっけ。一人称視点の映像作品もあったんです。紅の言う通り、彼らが得意とする作品のひとつだと思いますが、鷲家口先生が興味を持って在庫を漁ったなら、見逃すというのも考えにくいような気がします。

 いずれにせよ、ぼんちは逃げないでしょうから、まずは新人さんにビデオの出元を確認してみるのがよいと思いますよ」

 結局、まずは飯野の追加調査待ちという結論で落ち着き、その後は、音葉たちが観た映像サークルぼんちの妙なこだわりを持つ映画の話を聴いて一日を終えた。


*****

 ところが、その翌日。飯野の調査結果を待つ私の下に新しい情報が舞い込んだ。

 その日、私は同僚の取材に同行し、フラワーアレンジメント教室を訪問した。

 同僚が担当している連載記事で、街で趣味の教室を開いている人たちをリレー取材しているのだ。前回は市の外れの山で陶芸をしている男性を取材したのだが、彼が紹介したのが今回の取材先、講師の水科由理(ミズシナ-ユウリ)さんだ。

 取材自体は、件の映像とは何ら関連しない、いたって普通の仕事だった。ところが取材後の雑談の中で水科さんの口から道寺山ビルの話題がでた。

 きっかけは、同僚が次回の取材先の候補を知らないか尋ねたことだったと思う。趣味の教室を開く者同士は繋がりが深いだろう。そんな安直な同僚の発想は連載5回目でついに暗礁に乗り上げ、水科さんが私たちに紹介する相手を探すため、書斎から名刺帳を持ち出す事態となった。

 水科さんは名刺帳を捲りながら紹介先を探す間に私たちの趣味について教えてほしいと切り出した。これを受けてあろうことか同僚が私の“趣味”を開陳したのだ。

 今興味を持っているものは何か?という水科さんの問いに、私は仕方なく件のビデオテープの話をした。撮影場所についてはハーフムーンタワーが見える場所らしいという話をしたところ、水科さんは名刺帳を捲る手を止めしばらく考え込んだ。

「篠崎さん。もしかして、その撮影に使われたビルって、2階にドラッグストアが入っていて、上の方にマンション、中間は色んなテナントが入っていませんか」

 ビルの構造がわかるような部分は極力話していないつもりだったが、水科さんが話すビルの構造は、飯野が調べた道寺山ビルの概要と一致した。そして、極めつけに彼女は撮影に使われたビルは、道寺山さんが管理しているビルだと思うと述べた。

 きっと、その言葉を聴いた私は酷くマヌケな表情をしていたに違いない。

「数年前、道寺山さんという生徒がいたんです。篠崎さんの話を聴いて、彼女の父親が持っているビルが、いわゆる“出る”物件で困っていたのを思い出したんです」

「出るって、その……何が?」

「さあ、細かい話までは。声や音がするという苦情が多いという話だったと思います。2階のドラックストアのバックヤードとか、各階の共有廊下で複数の人が走っている音とか、何かを話している声がしていたのだそうです。けれども、音や声は聴こえても姿が見えない。入居者やテナントから気味悪がられて父がノイローゼ気味だと彼女が漏らしたんです」

「それって……例えば必ず何時に出るとか話していましたか?」

「そこまでは聴いたことがありません。ですが、彼女は、何年も聞こえないこともあれば毎日聞こえることもあると話していましたから、その」

「不規則だった」

「おそらくは。それがかえって父親を悩ませていたようです」

 撮影場所の候補の一つ、道寺山ビルは曰く付きの場所だった。思わぬ情報だ

 できればその話をした生徒と話してみたい。山科さんに申し出てみたが、2年前に教室を辞めてしまったのだという。彼女が教室を辞めたのは引っ越しがきっかけで、連絡先も交換していないため現在の居所は分からないという。

 マボロシで話を聞いた時と同じように、あと一歩のところで情報が手をすり抜けていく。しかし、ビデオを見つけた当事者以外からこうも情報が出てくると、好奇心がくすぐられる。

 撮影場所と確定できないにしろ、道寺山ビルを訪れてみたい。気がつけば、私は翌週の仕事のスケジュールを見直し、ビルの情報を集める準備を始めていた。

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