PoV方式-1 ****/09/18

 若い男性の叫び声が入り、スピーカーが音割れを起こした。

 続いて走るカメラマンの衣擦れの音。女性の焦った声が聞こえるが、衣擦れとカメラマンの息遣いが大きいため、声の内容は聞き取れない。

 画面構成も酷い。視聴者の三半規管を壊すことが主目的だと言わんばかりにカメラを振り回しており、たとえそこに何が映っていようとも、視聴者に残るのは頭痛とめまい、吐き気の三点セットだけだ。


 ホームビデオ、ハンディカムなどで撮影し、まるで当事者の記録映像のような内容の映像作品を作る。こうした撮影手法は一般にPoint of View Shotと呼ばれている。そして、この手法で作られた実録風映画は一部でPoV方式と呼ばれる。

 低予算フェイクドキュメンタリー映画がヒットして以降、その撮影手法は主にホラー映画で注目を浴び、有象無象のPoV方式ホラー映画が生まれた。

――山間や廃墟、心霊スポットを訪れた主人公たちが“本物”に遭遇する。

 言葉にすると陳腐だが、POV方式は陳腐な設定に奇妙な現実感を与える。予算も抑えられるのだから一石二鳥であり、類似の映画が量産されるのも理解できる。

 但し、ホラー映画愛好家には残念なことに、一部の愛好家には喜ぶべきことに、類似品の量産は、質の悪い映画の増加にも繋がる。私たちの目の前で流れている映像は質の悪い映画の典型と言って差し支えがない。


 この映像の主人公たちは肝試し……それとも何かの調査だったか? ともかく男女5人で深夜にとある廃ビルに踏み入り、そこで何かを発見した。

 魔女、狼男、幽霊、呪い。彼らが怯えたものの正体は1時間以上映像を見てもわからない。先頭を切ってビルを探索する男女が恐慌に陥って以降、カメラマンは彼らが見たモノを撮影できないばかりか、自身も混乱に陥りカメラを振り回し続けている。

 これが記録映像だとしてもカメラマンとしての自覚が足りない。もうかれこれ10分、カメラマンは撮影機材を振り回し、息を切らしてビルからの脱出を図っている。そこに一切の説明はない。

 そして、5人が廃ビルから抜け出して数分、周囲の割れた声がトーンダウンを始めると、カメラマンは役割を思い出し始め、視聴者を意識した構図での撮影が再開される。結果、ビルが薄暗い路地に面していたこと、画面の右手側、車道と歩道の境界にはオレンジと黒のストライプ模様が入った金属板が立てられている。ビル、あるいはビルの外で何かの工事をしているらしい。

 金属板の先、車道の反対側にはマンションが建っている。カメラがズームされると、エントランス前にヘルメットを被った現場作業員が立っている。

 撮影班の面々は柵に手をかけて、作業員に声をかけ始めるが台詞は聞き取れない。カメラマイクの質が悪いか、彼らの声が大きすぎるのだ。しかし、作業員はマンションの上を見上げたままで撮影班に反応しない。

 作業員が何をしているのか。どうして、撮影班の声は彼に届かないのか。その謎を解くカギはない。カメラは作業員から離れ、自分の背後、たった今、自分たちが下りてきたビルの外階段を映す。何かが下りてくるのかと期待をするが、特に何の反応もなく、画面は突然ブラックアウトする。


 このVHSテープは元々擦り切れており、ブラックアウト後1分ほどしか再生ができない。エンドまで再生すると画面は消えてきゅるきゅると頼りない音と共に冒頭へ巻き戻る。これ以上の再生は、テープの更なる劣化を招きかねないし、何しろこの映像には取り立てて見るべきところがない。

 持主の許可を得ずにビデオデッキの取り出しボタンを押すと、デッキから掠れた背表紙が顔を出した。辛うじて、9月25日という日付はわかる。撮影年と場所を記載したようであるが年と場所は読めない。

「最悪だね。肝心なところは手振れが酷すぎてこれでは観るに堪えない」

「だから、本物だっていう論法?」

 飯野楠美(イイノ-クスミ)、オカルト雑誌出版社の記者である彼女は、知らないうちに手洗いから戻ってきており、背後の椅子に腰掛けていた。机上に置いたグラスをなぞりながら、ビデオデッキの前にかがむ私を見る彼女は、ほんのりと頬を赤らめており、大分酒が回っているように見える。

 私も酷い顔をしているかもしれないが、それは飲酒の影響と言うより、先ほどの映像に酔ったせいである。あの映像が悪い。


 私が飯野と出会ったのは6年前。駆け出しの記者として途方にくれる毎日を過ごしていた頃、知人の要望で美術館の怪談屋敷展示に協力したのがきっかけだ。

 『あまりに突飛な展示だと館長以下職員が難色を示した。助けてほしい』、当初、私は知人の申し出を固辞したのだが、どういうわけか隣で電話を聞いていた編集長がやる気を出した。どうせ取材が止まっているのだからネタを掴んで来い。そんな業務命令で美術館を訪れたところ、飯野と遭遇した。

 知人はどうしても怪談屋敷展を開きたかったらしく、私に断られた直後に、伝手をたどって飯野に連絡をつけたのだという。既にアドバイザーがいるなら帰ればよかったのだが、業務命令を気軽に放棄できるほど当時の私は強くなかった。

 結局、飯野と同席させてもらい、知人に質問されるがままに、美術館の館長に対して怪談の知識と魅力を語る羽目になった。もっとも、この場がとても心地よく、帰宅する頃には、私は飯野とすっかり意気投合していた。

 以来、こうしてお互いの家を訪れては、集めた怪談を肴に夜を明かす仲となった。ちなみに、後に知ったのだが、知人に飯野を紹介したのはあろうことか編集長で、編集長と飯野は昔深い仲にあったのだという。飯野から馴れ初めを聞かされた私が、とりあえず編集長にクレームを申し入れたのは言うまでもない。

「とにかく頭が重くて目が痛い。映像として0点で内容以前の問題だと思う」

「それは同感。私も持ってきたバイト君を叱りつけたからね。新人のバイト君、大学生なんだけどね、彼曰くサークルの倉庫で“本物”として封印されていたんだと」

 呪いのビデオなんてもののが流行ってから、オカルト界隈では定期的に“本物”のビデオが出回るようになった。オカルト好きが欲しいと思うように練り上げられた贋物であることは、この類の趣味を持つ者なら常識だ。

 雑誌の記事埋めとして面白く取り上げるのはOKだが、これぞ本物と鼻息を荒くするのはオカルト雑誌記者として赤点だ。

「篠崎はそういうところがオカルト誌に向いてない。編集長のことバカにするけどさ、あいつは篠崎の性質を良く見抜いたと思うよ」

「それって私と編集長、どっちを褒めているの?」

「それは篠崎がどうなりたいかによるね」

 飯野は軽く笑いながらこちらにおいでと手招きをする。立ち上がり、リビングテーブルに近づくと、飯野はテーブルに置いたパソコンを起動した。画面には動画編集ソフトが表示されていて、先程の映像が映っている。

「さて。私は新人君に比べると、この手の作品は見慣れている自負がある。篠崎の言う通り、これを安易に本物と言うのはホラー好きにも、このビデオの作者にも失礼だというのが私の見解だ。

 でも、どうしてもバイト君は本物だと譲らないんだ。だから、私も彼の主張に付き合ってこうしてビデオを画像解析にかけてみた。そうしたら」

「一週間以内に誰かに教えないと死んでしまう呪いにかかった?」

「そういうときに見せるなら篠崎以外にするよ。呪いの話をする友人がいなくなってしまうからね。そうだな……それこそ編集長愛すべきバカに見せるのがいいんじゃないか?」

 飯野は画面を見つめて目を細めた。右目の下の泣きぼくろに目を惹かれる。飯野のこういう表情が羨ましい。私は彼女のように惹かれる表情を作ることはできない。

「話を戻そう。このビデオは手振れが酷くて見れないが、コマ送りで切り出すと観れるシーンもそれなりにある」

 それはそうだろう。

「つまんなそうな顔をしない。そこで、何か面白いもの、本物の印、あるいはフェイクであることがばれるアラがないか確認してみた。そしたらね、これ」

 飯野は動画再生ソフトで一つの場面を表示する。ビデオの終盤、廃ビルの5階外廊下を歩くシーンだ。

「この映像の端、外の景色に注目」

 画面端に映りこんでいるのは、撮影当時の夜景だろう。マンションやオフィスビルが見えていて、撮影場所の廃ビルが街中にあるとわかる。ビルの合間からは月が見えている。ほぼ円形。満月だろうか。

「日付と月齢でおおよその撮影年はわかるかな」

「そういう発想するのは君くらいだよ……できるの?」

「得意な知り合いに頼んだらひょっとするとね。それで、月齢での時期の特定じゃないんでしょ、見せたいのは」

「外の景色のここ。見覚えない?」

 飯野が画面の端を示す。背景のビル群に一つだけ半月状に膨らんだビルがある。

「……ハーフムーンタワー?」

 ハーフムーンタワーは、隣駅の北側にある半月型の高層ビルだ。全25階建て、15階までは複合商業施設、16階以上はオフィスと住宅が織り交ぜられている。重厚な正式名があるが、その見た目からハーフムーンタワーという名が定着している。

「あれが建ったのは2年前くらいだよね」

 飯野が頷く。画面にハーフムーンタワーが映っているなら、このVHSは直近2年間で撮影された映像ということになる。2年前ならVHSなんて当の昔に骨董品で、わざわざこれに記録していること自体がこの動画のアラともいえる。

「わざわざVHSに記録したことについては努力賞は送りたくなるだろう?」

 現実を感じさせるな。それが飯野のホラー映画に対する心情である。全面的に同意は出来ないが、理解はできる。

「そんな目で見るなよ。作品のミスをあげつらうだけじゃ大人げないだろう。私が興味深いと思っているのはここからだよ。ビルの5階からハーフムーンタワーがみえる、そういう場所を実際にリストアップすると」

 画面は切り替わり隣駅の地図が映る。ハーフムーンタワーの場所に青い印が打たれており、そこから南側の一定範囲が扇状に塗られる。そして、扇の中には3つの黄色い印が打たれていた。

「この3カ所のどこかが撮影現場なの?」

「おそらくね。建物の角度からすると、一番怪しいのはこの道寺山ビル。7階建てで2階には薬局、5階より上は住居になっている。奇しくもハーフムーンタワーと同じ用途で使われていたビルというわけだ」

「雑居ビルなんて概ねそんな使い方だと思うけど……」

「篠崎は手厳しいね。せっかく作品との符合を見つけてあげたのに」

「今はそのビルはあるの?」

「登記簿は抹消されていないから、解体はされていないと思うけれど、実はまだ見に行っていないんだよね」

 なんだ。詰めが甘い。というか、なぜ2年前の情報だけを集めたんだ。

「知り合いに道寺山ビルの近くで取材していた奴がいてね。ビルに立ち寄ったときのことを覚えていたんだよ。本当なら、今すぐにでもビルに行って5階の景色を確かめてきたいところだけれど、今月は締め切りが近いし仕事が詰まっていてね。行くのは来月のお楽しみにしてある。それに、どうせ行くならVHSの出所も覗いてきたいじゃないか、パート君よりも優秀な期待の新人がいるかもしれない」

「そうやって新しい人探してるの? 意外な新事実だね」

 学生時代に戻りたいかい? と飯野はからかう。酒のつまみが切れたと席を立つ彼女を見送り、私はパソコンの映像を改めて再生した。コマ送りできる分VHSよりも遙かに見やすい。

 それでもなお、この映像のストーリーはつかみにくい。冒頭部、ビルに侵入する前に、撮影班はビルの前で撮影の理由について説明をしている。会話の主体は、ビル内で先行して探索をしている男女で、彼らが撮影班の牽引役、あるいは発起人といった役回りとしているように見える。コマ送りにして初めて女性が話す際に何度か両手の指で×印を作っていることに気付いたが、該当部分のノイズが酷いため、結局どんな説明をしてビルに入ったのか、女性の×印が何を意味していたのかはわからない。

 説明らしきシーンが終わり、ビルの探索が始まると、撮影班たちはビルの正面ではなく、側面にある外階段へと向かっていく。外階段の端には入居テナントの一覧が記載されたプレートが掲げられている。カメラがこれを映すのはほんの一瞬だったので、コマ送りにして初めてわかる新情報だ。もっとも、画面が暗く正確な名前はわからない。2階だけは有名ドラッグストアのロゴと同じ縁取りが見えて、何が入っているのか予想がついた。

 しかし、ビル内の様子を見る限り、ここは廃ビルという設定だと思うのだが、テナントの表示が残ったままというのは杜撰ではないだろうか。閉店時に看板を下ろすのを忘れたのか、撮影の都合が良いビルで深夜に撮影を行っただけなのか。

 仮に、この映像が道寺山ビルという建物で撮影されたものだとして、飯野の知人はドラッグストアを利用した記憶がある以上、同時期、あるいはその前に撮影された映像なら廃ビルという設定で映像を撮ったことになる。

 それにしてはビル内の映像がしっくりこない。

「酔うからダメだって文句言うわりに真面目に観ているね。気に入った?」

 スモークチーズを抱えて戻ってきた飯野は、テーブルの隅の小物入れからDVDを抜き出した。

「篠崎ならそういう反応すると思ってさ。あのテープは何度も観られたものじゃないし、何より新人君がサークルに返さなきゃいけない。ゆっくり楽しみたいならこれをみなよ。同じ再生ソフトとデータを入れてあるからコマ送りも楽しめるよ」

「さすが、手際がいい」

「そうそう。もっと褒めなさい」

 私は画面から目を離して、DVDを受けとった。酔いが回ってきた頭では動画の精査はしにくいし、後は元気なときに観なおせばいい。今日のところは、つまみを食べつつ四方山話に花を咲かせるとしよう。

 気になったホラー作品は時間をかけて楽しみ倒す。それが私と飯野の楽しみ方なのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る