PoV方式-5 ****/09/25 14:30~16:00
道寺山ビルを裏手に控える飲食店街につくと14時30分を回っていた。
平日のランチタイムを賑やかす学生たちは大学やバイト先へと散っていき、ベッドタウンに暮らす住民たちの訪問も減る。飲食店街は昼の喧騒を抜けて一呼吸をおき夜に向けた準備を始める頃合いだ。
マボロシで早めの昼食を摂ってきたので空腹感はない。そのまま、道寺山ビルを探して裏手に回ろうと考えていたが、交差点の端にある喫茶店に足が止まった。週末に山路から聴いた話を思い出す。
山路は友人Aから道寺山ビルの怪現象に関する話を聴いた。日曜日に送られてきた追伸によれば、後日、山路は同じ喫茶店でからビルの廊下の防犯カメラ映像を“聴かせてもらった”らしい。当時、Aが持っていた映像はオーナーにコピーさせてもらった一部に過ぎないため、音の正体はわからないものの、誰もいない廊下を複数人が通り過ぎる足音が何度も録音されていた。電話の際に、彼が“あんな音”と口走ったのはその時の映像を思い出したからだそうだ。
おそらく、私は山路とAが会った喫茶店の前に立っている。2年前に店の客が道寺山ビルの噂をしていましたか? そんなことを尋ねても店員が覚えているとは思えないが、ダメで元々。それに、入口のメッセージボードに書かれたキッシュセットの文字が目を惹いた。
想像の2回りほどボリュームのあるキッシュを食べ終わり、私は些か後悔を覚えていた。味は申し分ないし、何なら通っても良いくらいだ。だが、これでは探索中に眠くなりかねない。眠気覚ましにコーヒーを頼んでみたものの、少し休んでからでなければ探索は始められそうにない。
4人掛けのテーブル席が3つ。カウンター席が3つと小規模な店舗だが壁にはめ込まれた硝子の中に飾られたドライフラワーの展示に心が和む。テーブル席に座っていた3人組の女性たちは常連らしく、時たま店員の女性と談笑している。
流石に道寺山ビルに関する話題が出てくるような偶然はないので、まずはコーヒーを持ってきた女性にこの店は長いのかと尋ねた。すると、彼女よりも常連たちのほうが先に来月で開店5年目だと回答した。
若いのでアルバイトだと思っていたが、店長で、しかも聞けば年齢は上だった。夫の転勤でこの街にやってきて念願の喫茶店を開いたのだという。転勤族なのに喫茶店を開いて大丈夫なのか? そんな不躾な質問に、夫は転勤というより転職なんですと、店長は笑って答えた。
そんなやり取りをしていると常連の一人が私の顔に見覚えがあると言い始め、カウンター席に呼ばれて芸能人かと質問攻めにあう。珍しい体験に困惑しているうちに、店長が古い雑誌を持ってきて、私の書いたグルメレポートの記事を開いた。
「篠崎ソラさんですよね。グルメレポート大好きで昔から読んでいるんです」
思わぬところにファンがいて、私は思わず赤面した。そこから先は話が早く、飲食店の取材なのか? うちの店も良かったら記事に載せてもらえると嬉しい等、常連と店長の話題に華が咲く。雑誌や自分の記事に関する反響を聴けるのは嬉しかったが、道寺山ビルの話題を切り出すまでにややしばらくの時間を要してしまった。
一通り熱気が収まりかけたところで、道寺山ビルのことを尋ねてみると、意外なことに全員がすぐに「裏手の廃ビル」だと検討を付けた。
「えっと、そんなに有名なんですか?」
「この辺でいわくつきと言えばあのビルだからね。学生さんとか会社勤めの人は知らないかも知れないけれど、私たちみたいに一日中このあたりにいる面子なら誰だって聴いたことがあるんじゃない」
彼女たちも口をそろえて、山科さんや山路が話していたのと同様に、道寺山ビルは人がいない廊下で足音がするという噂があったと話す。それ以外にも、夕方に通りを歩くと外階段から誰かに見られているという噂もあったらしい。
入居者が喫煙していたのを見たに過ぎないと思うのだが、私の意見には店長が異を唱えた。聞けば、4年前に起きた事故もその誰かの視線のせいだと噂されたらしい。
「見物という意味では私も興味があるので同じことをしかねないんですが……」
「そういうんじゃないんだよ、篠崎さん。あれは、なんというか人じゃないんだ」
常連客の中でも一番年長のミキさんが眉間にしわを寄せる。彼女は実際にそれに見られたことがあるのだという。通りを歩くときに視線が刺さっていることはわかるし、見上げれば外階段から覗きこんでいる顔が見える。それなのに、容貌はおろか男か女かすらわからなかったという。
「それにね、本当に怖いのは視線じゃないんだ。あれが見ているってわかった途端、妙な音がするんだよ」
「妙な音ですか」
「そう。通りに他に誰もいないのに、近くをたくさんの人が走っているような」
どうやら、ビルの外でも似たような音が聞こえるらしい。他の常連は、その話は流石に盛りすぎでしょうと笑っていたが、ミキさん自身は至って真剣な眼差しだ。
「ちなみに、そういう噂っていつ頃からあったんですか」
噂の真偽のせいで彼女たちの仲が険悪になるのもよくない。話の切り上げ時だと思って最後の質問を投げかけたところ、全員が顔を見合わせた。
「いつ頃からだろうね。店長は店を開いたころから聴いたことあるかい?」
ミキさんに話を振られて、カウンター内にいた店長が困ったような顔をした。食器を洗う手を止めて、タオルで手をふきながら何度も首を左右に傾げている。
「そうですね、ビルの噂はミキさんたち以外も知ってる人が多いんですよ。ただ、普段は心霊スポットの話なんてしないですからね。よく噂を聴いたのは、開店して1,2年くらいの頃じゃないでしょうか。向かいのマンションで事故があったから、不謹慎ですがそういう噂が流行ったんですよ」
ミキさんたちも店長の言葉に続いて、そうだそうだと頷き始める。
「昔はそんな話聞かなかったんだよ、歩瀬さんが古本屋やってたころなんかはさ」
「そういわれればそうね。あそこにYマートが入ってからじゃない?」
Yマート。2階に入っているドラッグストアチェーンの名前が出てくると、常連たちの話が怪談話から、半年前におきたという殺人事件の話に移り変わっていく。立地が悪かったのか、呪われていたのか、Yマートはすこぶる運がなかったのだと彼女たちは口々に語った。
「そういえば、廃ビルになってからというか、店長が逮捕されてからはめっきりその噂聞かなくなったねぇ。オーナーも引っ越しちゃったって話だし、噂の旬が過ぎたってことかな」
ミキさんが感慨深げに話をまとめると、常連たちの熱気が冷めていくのがわかった。彼女たちにとっても道寺山ビルの噂を思い出すのは久しぶりだったらしい。
区切りも良いので常連と店長にお礼を言い、怪談話を記事にするかはさておき、良ければまたキッシュを食べにくると伝えて店を出ることにする。店先まで送りにきた店長に私は頭を下げ、最後に一つだけ気になっている質問をした。
「店長があのビルの話をするときにやってた指のやつ、何かのまじないですか?」
「見られちゃっていました? 恥ずかしいなあ。篠崎さんは観たことがない?」
店長が口にしたホラー番組を私は観たことがない。随分と古い番組だったと思うし、当時、私はテレビでホラー番組を見るという習慣をもっていなかったのかもしれない。店長曰く、怖い場面をたくさん見たあとで、出演者が魔よけのまじないをするときにそのポーズをとるのだという。
「効果があるなんて思っていないんですが、子供心に覚えちゃって。怖い話とか、苦手な話題をするときには無意識にやっちゃうんですよ。恥ずかしいですね」
そこまで目立つポーズでもないし、気にかける人なんてほとんどいないだろう。素直に感想を伝えると、店長は少しだけ耳を赤くして、ミキさんたちには言わないでください。私、怖い話が苦手なんです。とちょっとした打ち明け話をしてくれた。
どこかで会っても言わないですと約束をし、私は喫茶店を後にした。腕時計は15時40分を回ったところだった。
*****
交差点を渡り、飲食店街から一本南の路地に入る。飲食店街の建物はどれも高くて4階建てだ。陽の光を遮ることはないと思っていたが、夕方が近づくにつれ、店の明かりがない路地裏は薄暗くなっていくようだ。
噂は噂に過ぎないし、テナントが撤退して以降は立ち消えている。これから検分するのは単なる廃ビルに過ぎないのだと思っているが、それでも薄暗くなり始めた路地裏に、喫茶店での長居を後悔してしまう。
調査は明日以降にするという考えも頭をよぎるが、他方で互いに関係性のない人々から異口同音に同じ噂が聴こえてくる、そんなスポットを見つけたのは久しぶりで好奇心を抑えるのは難しい。
道寺山ビルは前情報の通り、裏通りから更に北へと抜ける十字路の角に建っている。飲食店街の裏通りに面する北側に正面入口を構え、東側と南側はそれぞれ道路に面し、西側はぎりぎり一人が通れる程度の隙間を残してビルが隣接している。ビル正面も歩道ぎりぎりまでせり出しているものだから奇妙な圧迫感があった。
正面ドアは山路の話に聞いていた通り自動ドアで、ドアの右手、西側の端にはエレベーターが設置されている。もっとも、ビル全体が既に電気を落としているのだろう。自動ドアも全く反応しないし、エレベーターの回数表示は消えている。
正面から覗ける限りでは、エレベーターと逆、ビルの東側の奥に開けた空間がある。現在はソファや椅子、調度品等が一切ないためがらんどうの空間だが、おそらく待合用のロビーだ。
正面入口が使えないということは、テナントが全くいない廃ビルとみて間違いない。ドアから離れて見上げてみる。4階までは通りに面して窓が並んでいる。どの窓にも不動産屋のテナント募集の貼り紙が目立つ。2階の貼り紙だけが初々しく、その他の貼り紙は日焼けはないが、端が剥がれていたりくすんでいるものも多い。3階よりも上は以前から空き部屋だったわけだ。
東側に回ると、見覚えのある外階段とポストが顔を出す。撮影班がビルの前に立つ画面と目の前の光景が重なる。東側外階段の向かいには、道寺山ビルと同じ7階建てのマンションがある。2年前、外壁工事中に転落事故が起きたという建物だ。話にだけ聞いていたが、直に眺めてみると既視感がある。
「あの工事作業員」
そうだ。映像のラストに出てきた向かいのビルは同じ外観ではなかっただろうか。DVDプレイヤーを持ってこなかったことが悔やまれるが、戻ったら確認してみる価値はある。私は携帯を取り出し、マンションの写真を撮った。シャッター音がいつもより大きく響いた気がして、思わず身体を仰け反らせた。
見たところ、マンションの共同玄関は、道寺山ビルの通用口と向かい合わせに設置されている。もし、ミキさんの言う通り、このビルの外階段から妙な視線が合ったというなら、マンションの住民たちは厭な思いをしていただろう。仮に単なる噂だったとしても、ストレスは大きかったはずだ。
マンションの住人にはその噂が届いていなかったことを願うが住人が発端であった可能性も否定できない。件の映像の撮影現場、道寺山ビル自体の噂などといった切り口で見るのではなく、相隣トラブルの経緯などを調べていけば案外と噂の発端が見つかるのかもしれない。
ふと気になって外階段を見上げてみるが、幸いなことにそれらしい気配はない。時計は16時を指している。色々と考えたいこともあるが、まずは陽が落ちる前にビルの探索を終わらせてしまおう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます