PoV方式-D
可香谷智実(かがや-さとみ)が会議室Aの扉を開けたとき、同僚の土井基樹(どい-もとき)は暗い会議室の壁にプロジェクターの光をぼんやりと浴びせているところだった。
「ええっと……業務中にアダルト動画とか観てる感じ?」
「部屋に入って一言目がそれ。いまに人事に通報されるぞ」
声は聞こえるが姿は見えない。可香谷は夜目が利かないのだ。会議室の電気をつけると、機械の後ろで薄目を開けたツーブロックの男が可香谷を睨んでいた。
「やっぱりアダルト動画?」
「だから、なんでそうなんだよ」
「顔が」
土井は目元を掌で覆い、小さくため息をついた。
「同僚がセクハラで処分されるのは見たくないぞ」
「土井君にも私を心配する程度に同期入社のよしみがあるんだね」
「業務に支障が出るだろうが」
あまり楽しくない回答に、可香谷はほんの少し顔をしかめた。
「それで、何やってるんですか」
「編集長から聞いていないのか。会議の準備だよ」
「聞いてないです。あ、そうそう。飯野編集長から、急ぎPCをもった土井を編集部まで連れ戻せって」
「用件を先に言いなよ。でもいいのか。せっかく準備しているのに」
可香谷は土井が何の準備をしているのか教えられていない。良いかどうかの判断はつかなかった。
「“検証中の件で意見を聞きたい”らしいよ」
土井は飯野の言葉そのものを受けて数秒固まった。飯野と尾崎が新島の話に固まったときと同じ空気を感じた。
「可香谷は太郎と外出していたんだよな。太郎も戻ってきているのか」
「戻ってきてますよ。編集長と尾崎さんに質問攻めにあってる」
「そういうこと。たしか例のVHSは太郎が持ってきたんだろう?」
「土井君も知ってるの? あの怖くもなんともないビデオ」
知っているさ。土井はそう言って、会議室のスクリーンを降ろす。会議室の明かりは点ったままだがPCの画面を写し、動画ファイルを選択する。
「これだろう」
「なんでPCに新島の盛ってきた映像が入っているの?」
「“怪談の解体”。ボツになった企画のこと覚えていないか」
それは可香谷自身が提案した企画だ。忘れるわけがない。“怪談の解体”。言葉にしてみれば陳腐な表題で、企画内容もまあそれほど面白いものじゃない。オカルト・ホラー作品に時折みられる“実話怪談”・“都市伝説”の嘘を解体する。怪談になれていない人たちが、何をみれば怪談を理解し、そこに紛れた嘘とそれ以外を識別できるようになるかを示してみよう。
オカルト雑誌に掲載するには場違いな企画だが、編集部内では興味深いと好意的に受け取られた。問題は題材だ。
認知度が少なく、かつ編集部の面々だけで嘘だと看破できる、他方でほんの少し“本物”であると感じられる程度の題材。そんな都合のよいものが見つかるわけがなかったのだ。
「太郎の持ち込んだ映像はPoV方式自主製作映画としては質が悪いがわかりやすい。それで、編集長もこれを題材に企画を再構成してみようと思った」
そうなのか。
「そう言えばテーブルに地図を広げたりビルの模型を置いたりしていたけど、それも検証の前準備?」
「あの二人は僕が会議室を開ける前からやってたよ。でもPCを持って戻るというのはまたなんでそんな指示がでた?」
「新島が変なことを言い出してね。編集長はそのVHSは深夜の廃ビルでの撮影というんだけど、新島は昼間の映像をみたって」
「昼間?」
土井がPC画面で動画を再生する。確かにビルの前で撮影された映像だ。背景は暗く、カメラのライトが四名の演者を映している。
「これのどこをみて昼間だって、太郎は。再生デッキかモニターが悪くて白飛びしたんじゃないか?」
「確かにこの映像で昼って言うのは難しいね。でも、白飛びにしては変なんだよ。新島はビル内はちゃんと暗いって」
「ちゃんと暗い? それは変だな」
そう。随分と変だ。画面が白く飛んだという話なら、ビル内の映像だって明るく見えていなければいけない。ちゃんと暗いという感想は不自然だ。
「ここじゃどうにもならないな。とりあえずは編集部に戻ろう」
土井は画像の分析を早々に諦めて、電源を切る。編集長はこの割り切りが欲しくて土井ごと戻ってこいと言ったのだろうか。
―――――――
新島太郎という青年は賢い。それは大学の成績をみれば明らかで、全く興味が持てないものであっても教本が適切なら正しく教本の通りに物事を再現できる。
本人曰く、静海谷大は身の丈に合わない進路だったらしいが、大量の過去問が存在する大学入試では最大限に彼の能力が発揮されたことだろう。
一方でこの青年はあらゆる物事への関心が薄く、熱意というものに欠ける。何に特化することもない奇妙な観察力を維持するため好奇心にブレーキをかけている。尾崎は彼をそのように評する。
飯野の見解はもっと単純で、この男はまだ好きなものを見つけられていない。ただそれだけだ。だから、そのひとつになり得るかもしれないとアルバイトとして採用したし、可香谷の下で様々なオカルト・ホラーの現場に触れさせている。
今のところ、彼の心が動いた瞬間は数少ない。そのひとつがこのVHSだったのだが、改めて話を聞くと奇妙な点が多い。
「もう一回確認する。ビルの中は暗い映像だったんだな?」
「そうですよ。なんでそこを疑うんですか。なんならいまこのVHS再生してみましょうよ、確かそこのテレビにビデオデッキ繋がってましたよね」
百聞は一見にしかず。新島の言い分は正しい。彼はテーブルの奥においてあるムゥ編集部用のテレビに近づくとテレビ台の扉を開けてビデオデッキの準備を始めた。
「新島君。準備しながらで良いのだが、そのサークルの倉庫にもビデオデッキがあったのかい」
「ありましたよ。普通のPCモニターに繋ぐので、赤白黄のコードじゃダメで、なんか変換用プラグで繋がってました。よし、電源入ったので、早速再生してみましょうよ。みたら編集長の勘違いだってわかると思います」
本当にそうなのだろうか。誘われているような気がする。新島達が戻る前に尾崎が口にした言葉がよぎるが、差し出された手にVHSテープを渡してしまう。
「あれ? 編集長、僕の貸したあと背表紙書き換えました?」
ビデオデッキがVHSテープを呑み込んでいく。背表紙がなんだと言われてもデッキから取り出さないと見ることができない。
「背表紙がどうしたって?」
「いや……気のせいかな…タイトルがサークルでみたときと違った気がして」
「そんなわけないだろう。さすがにそんな手の混んだドッキリを部下に仕掛けるほど暇じゃない」
「そうですよね。でも、たしか8月だったと思うんだよな日付……」
取り出して確認すれば良いものの、新島は再生ボタンを押してしまう。古い映像記録を再生するためにリサイクルショップで買ってきたビデオデッキは、年季のせいか再生までの時間差がある。
うんともすんともいわないビデオデッキに新島が焦れて、端っこを指で叩くときゅるきゅるとテープを巻く音がした。
「おっ、再生始まりましたね」
テレビモニターの黒い画面が何度が歪む。歪むたびに、プツッ、プツッという音が聞こえ、やがて音はひび割れた環境音に変わる。
撮影者がマイクのテストをしているのだ。
『静海谷大学映画サークルぼんち、撮影開始しまーす』
『その陽気な掛け声必要か? 編集する身になってみろよ』
『え、でも■■さん撮影開始していないでしょ? ほら、カメラの調整してる』
撮影前の演者達の声、カメラは音の調整がおわったのか、左右に画面が振られ、周囲の景色が画面に映り込む。
「ほら、やっぱり明るいじゃないですが。あれ、でもちょっと暗いな……」
新島が画面の前で勝ち誇ったように声をあげる後ろで、飯野は息を呑んだ。
画面が明るい。新島のいうとおり、この映像は深夜の街並みではない。画面には一瞬だが通行人が映ったし、カメラはライトを焚くことなく演者達を映している。
何よりも、一瞬映った景色のなかに見知った顔が歩いていた。
「確かに深夜には明るすぎるね。明るさからすると今くらいの時間帯ではないかな」
尾崎もまた画面を観ながら興味深そうに頷いた。今くらいの時間。彼の言葉が何かに引っかかった。
デスクの後ろ、窓に近づいてブラインドの間から外を覗くと赤と青の入り交じった空が徐々に明度を落としながら外を照らしている。モニターに映った画面と同じだ。喉の奥から不快感がこみあげる。
「新島。サークル棟でこれを観たのは何時ころだ?」
「えっ。何時……何時だったかな」
要らないものは広く観察しているのに肝心なところが即答できない。いや、違う。今のは質問が悪い。確認したいのはもっと単純なことだ。
「昼間か? 夜か?」
「あ、そういう話なら昼間ですよ。午前中からサークル棟に行ってて、遅くても14時ころには帰ってますから」
新島がサークル棟でこの映像をみたのは昼間、ながれた映像は昼間に撮影されたものだったという。
飯野がこのVHSを初めてみたのは深夜の自宅、篠崎と一緒に再生したときも夜間だ。
そして、今、夕暮れ時に再生された映像は夕暮れの空の下、PoV方式の自主製作映画の様子を映している。
そして、初めの画面で映された雑踏、カメラの横を通り過ぎたのは篠崎ソラだ。
足下が震えるのはいつぶりだろうか。自分の目が曇っていて欲しい。
「おかしいな。編集長、本当にこれ僕が渡した奴ですか?」
「そうだ。なにかおかしいか?」
何もおかしくあっては欲しくない。飯野は膨れ上がった考えを打ち払う一言を求めて新島を見た。
「僕が見たときは、出演者は3人だったんですけど。一人増えてません?」
――“本物”のビデオ観てみたくはない?
耳許で女性がそう囁いたような気がした。
怖い話:PoV方式 若草八雲 @yakumo_p
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