PoV方式-C

「新島。このビデオの中身を観てからウチに持ってきたんだよな」

「ええ。はい」

 ソファに座ったまま、編集長は暫く考え込んだ。眉をよせ机上を睨みつけるような彼女の表情は、働き始めて4カ月。一度も見たことがない顔だった。

「新島君。君がこのVHSを見つけて編集部に持ってきた経緯を簡潔に話せるかな」 

 尾崎の声もいつもより静かで、二人は何かに気づいたようである。しかし、新島はそれが何なのかよくわからない。とにかく、いわれるがままにVHSの入手経緯を思い出す。


――――――

 昔から、相手が欲しがっているものを察するのが苦手だからだ。だから、簡潔という条件付けで話すのはとても難しい。

 ともかく、入手経路を話すなら、まずは新島太郎の身分を伝えるべきだろう。

 新島は静海谷大学経済学部経済学科所属の大学生だ。今年で3年目、周囲は就職活動の準備に入っているが、新島の卒業進路は未定である。高校生のころから、実のところ将来のことをあまり考えない学生だった。

 『学生の身分で一人暮らしを希望するならその価値を示せ』、編集部の面々曰く、モラルハラスメントのような親の要求を前に、新島は自分の成績よりも数ランク高い静海谷大を選んだ。経済学には興味がなかったが、進路指導室に貼られた大学別偏差値表で目に付いたから選んだ。

 大学入学後も、近所のスーパーと本屋、ビデオショップしか行動範囲がない新島の生活では経済学への興味は生まれない。新島にとってお金は持っていれば何かを交換できるアイテムに過ぎず、まあ、それが経済活動というものではあるのだが、いまだにその仕組みに興味がわくことはない。

 それでも、入学後も価値を示さなければ、大学に通うことが困難になりかねない。その一心で3年間、愚直に大学の授業を受け続けた。興味もないのに、授業や周囲の学生についていくため論文や書籍にあたりつづける日々は、いつの間にか新島の日常になり、そして、3年を経た現在、新島の手元には学年トップの成績と卒業必要単位数という成果がついてきた。

 要するに、新島は積極的に大学の授業を受ける理由がなくなったのだ。

 ところが就職など考えもしなかったので、興味がわかず、かといって成績は優秀でも学問には興味がない。突然目の前に現れた“自由”という名前の選択肢に、新島の頭は考えることをやめた。

 困り果てた新島は、学食の掲示板に貼られたアルバイト募集を頼りにこの編集部のバイトに応募し、大学では籍だけおいていた映画サークルに足を運ぶようになった。

 サークルに所属した深い理由はない。敢えて理由を作るなら、映画は日常に指針のない新島にとって時間をつぶすツールの一つだった。観るだけでなく、創りかたもしっておいてもよいかもしれない。そんなところだ。


 さて、そんな調子で大凡2年ぶりに訪れた映画サークル「ぼんち」。

 ぼんちは、歴史が長く、かつ1年に撮影される作品数が多いことが特徴で、地方全体でそれなりに名前が通ったサークルだった。現在も構成員の何割かは「ぼんち」の自主製作映画を観て、静海谷を選んだと語る元ファンの学生たちである。

 当然、サークル活動にも積極的で新島のような幽霊部員は珍しい。撮影・脚本・演技・小道具大道具・音響。各々の得意分野の腕を振るい、数班に分かれて映画の撮影にいそしんでいる。

 新島がサークルを訪れたのは8月の頭。貴重な夏休みを撮影と編集につぎ込んでいる部員たちに、突然やってきた3年生の幽霊部員をかまっている暇はなかった。副部長を名乗る女子生徒からサークル棟の倉庫で好きな作品を探すとよいといわれ、倉庫のカギを渡され、一人、サークル倉庫をさまよう羽目になった。

 映像作品や小道具、上映時のパンフや撮影に使った脚本など、ぼんちの歴史が詰まった倉庫は適度に冷えていて、夏を過ごすにはもってこいだった。再生機器もそろっているので、新島はバイトのない日は倉庫に籠って諸先輩の作った映画を流し見する癖がついた。週に3日も倉庫にこもっている部員がいるという話は、ぼんち内で噂になったらしく、8月下旬になると顔見知りも増えてきた。

 そして、ある日のこと、倉庫に入った新島は“彼女”に出会った。

 名前はよく覚えていない。そもそも名を尋ねたかどうかも記憶に怪しい。ただ、その日は、8月最高気温を記録した暑い日で、倉庫の冷気とサークル棟の熱気で、入り口ドアの前に陽炎が揺蕩っていたはずだ。

 彼女は、新島よりも早く倉庫の中にいて、扉を開けた新島をみて目を丸くした。撮影も佳境に入っているはずの8月下旬。編集作業でも大道具を取りに来るわけでもなく、リュックサック一つでやってきた学生に戸惑ったのだという。

 聞けば、2年前に卒業した卒業生であり、当時の友人が「ぼんち」にいたのだという。友人が書いていた脚本には彼女を「あてがき」した配役があり、夏休み期間だけという条件で、役者をやった。久しぶりに友人と大学にやってきて、懐かしくなって倉庫を訪れたのだという。

 新島が、幽霊部員であることや、入部の経緯などを語ると、自分とちょっとだけ似ているねと笑い、新島が視聴した映画のなかのおすすめを紹介してほしいと述べた。友人が戻ってくるまで暇なのだという。

 新島は、ちょうど昨晩借りだした10年以上前に撮影された映画をいくつか紹介すると、彼女はそれらの上映会パンフレットを見比べた。

 そして、新島をみて言ったのだ。

「新島君ってホラー映画が好きなの?」

 好きというわけではない。ただ、編集部で働くようになり、仕事にかかわりそうだと思ったのがホラーを借りていた理由だ。まあ、それと7月に参加した企画会議で可香谷と飯野が話していた“ホラー映画の解体”という企画にちょっぴり興味があった。

「まだホラー初心者だね。じゃあ、私がとっておきを紹介してあげよう」

 新島の説明を聞いて、彼女は悪戯っぽく微笑み、倉庫の奥にしまわれた“本物”の作品のことを話してくれた。


――――――

「新島にしちゃ簡潔な話し方だったが、要するにその素性の知れない女がサークルの倉庫から取り出してきたのがこのVHSという話だな?」

 話の途中で飽きてしまったらしく、編集長はテーブルの上のVHSテープを手に取り弄り始める。

「そうです。編集長はこれをフェイクっていいますけど」

「そりゃそうだろうねぇ。むしろ、新島はなんでこれが“本物”って思ってるの」

 VHSと新島を交互に見やる可香谷の視線に疑惑めいたものが含まれている気がして、新島は肩をすくませた。 

「別にその卒業生の人が何かをいったというわけじゃありませんよ。ただ、あの部室ではVHSテープはこれしか残っていなかったですし、流し撮りで通して撮影した編集前のお蔵入りテープですよ? いかにも」

「“いかにも”ではあるよね」

 可香谷がため息交じりに話を打ち切る。以前、フェイクだと断言した編集長と同じ反応だった。新島は、彼らのオカルト・ホラー映画に関する嗅覚のことを未だに理解できていない。

「まあまあ。新人を苛めるんじゃないよ二人とも。それで、君は飯野編集長に見せるまえにこのVHSテープを見ているんだね」

 編集長と可香谷のつれない反応を見かねてか、尾崎が質問を引き継いでくれた。その尾崎もまた、このVHSが明確なフェイク動画だと話していることは新島も良く知っている。それでも、話しぶりが変わるだけで自然と話しやすくなるものだ。

「はい。見ましたよ」

「内容は覚えているか?」

 全てのシーンを詳細に覚えているかと言われると自信がないが、大凡は覚えている

「オカルト映画撮影の練習目的で廃ビルに侵入する映像をとる話ですよね。ビルの前から始まって、ビルのなか、何階かは忘れましたけど上までのぼったときに何かを見つけちゃって1階まで戻ってくるという構成だったと思います」

「で? 画面は明るかったって?」

「ええ。昼間の撮影でしたよ。深夜の廃ビルだなんて……そういう設定の映画だってことですか? この前、似たようなのを見ました。画面転換ごとに昼間と夜が混ざっちゃっていて」

 確か、死霊の夏祭りとかいう映画だったような気がする。

「いや。そういう話じゃ」

「新島君。さっきの話だとこのVHSは廃ビルの中を探検するものなのだろう? 建物の中は明るかったかい?」

「ビル内は暗かったです。あ、でも窓があるシーンは光が入っていたと思います」

 編集長と尾崎が視線を合わせて二人だけで何かを察している。気がする。

「可香谷。会議室Aまで行ってきてくれ。土井(どい)がいるから、あいつとセッティング中のノートパソコンを持ってきてくれないか」

「え? なんで突然」

「いいから早く。土井には検証中の件で意見を聞きたいっていえばわかるから」

「それくらいなら僕が」

 駆け足の可香谷を止めようとする新島の肩を尾崎が掴む。

「新島君はこのまま事情を聴かせてくれ。君が思っているよりも君の体験は重要なことかもしれないんだ」

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