PoV方式-B 

 新島太郎が、新人アルバイトとして指導担当の可香谷(カガヤ)に連れられ社屋に戻ったころには、陽は傾き一日は終わろうとしていた。

「お疲れ様。新島」

「あ。いや、ありがとうございます」

 本当に疲れた。

 雑誌編集者の醍醐味を味わってみないか? 可香谷からメールが来たのは昨日の夜。今日は授業がなかったので、朝からバイト、しかも外回りと聞いて、浮かれ気分で承諾した。

 朝6時に駅前で待ち合わせた可香谷は、巨大なショルダーバックにハンチング帽。釣人が着込むようなブラウンのジャケットを着込んでいた。社屋では仕立てたばかりのスーツに身を包んでいるので、ラフ……雑? な服装の先輩に面をくらった。

「そんなに驚かないでくれ。今日の仕事には必要なんだよ」

 彼女の説明が分からず首を傾げていると、そのまま電車に乗せられて2時間。たどり着いた田舎駅からレンタカーで40分。山中の名前もわからない湖まで連行された。

「釣りですか?」

「釣りといえば釣りだね。この格好は釣りのためなんだけどね」

 要領を得ない説明だったが、湖のほとりのログハウスに入り、新島は可香谷が何をするためにここまでやってきたのかを理解した。

 ログハウス内に積まれた大量の本と紙束。その中で、釣り人ファッションに身を包んだ中年男性が頭を抱えていたのである。

「こんにちは。先生。原稿の調子いかがですか?」

 原稿の催促。確かに出版社の編集らしい仕事だったように思う。そこから数時間、可香谷と共に“先生”の異聞転換や資料整理に付き合い、最終的には明日締め切りの原稿を手に入れて戻ってきた。

「今日は新島がいたから一日ですんでよかったよ」

「もしかして、あのログハウスに泊まることがあるんですか?」

「網川先生はあそこで暮らしているわけだからね。それはそれとして、君が資料探しに付き合ってくれたおかげで、締切超過確実の網川先生から原稿が回収できた。大金星だよ」

 可香谷に褒められると悪い気はしないがとにかく疲れた。新島以上に疲れたであろう可香谷のショルダーバッグを持ち、編集部のフロアに戻る。

 可香谷のあとについて編集部に顔を出すと、編集長と尾崎が編集会議用のテーブルに大量に資料を広げているのが見えた。

「お、噂の新人、新島君じゃあないか」

 編集長が新島たちを見つけて手を上げる。

「二人ともおかえりなさい。聞きましたよ。大金星をあげたんだって?」

 尾崎にも網川氏の原稿の話は届いていたらしい。可香谷と共にテーブルに向かうと、労いの言葉をかけられた。

「本当。今日は彼を連れて行って正解でした。ほら、照れていないで胸を張りなよ新島。こういうときは素直に喜ぶのが編集者として長生きするコツだよ」

 ただのアルバイトであるし、編集者になりたいわけでもないが、先輩3人が誇れというのに恐縮するのは却ってよくない気がして、その場で小さく頭を下げた。

「ところで、お二人は……何かの調査ですか?」

 資料の散らばったテーブルをまえに可香谷が首を傾げた。

 新島が働いている編集部は、『ヌゥ』とよばれるオカルト専門雑誌を発行している。『ヌゥ』には作家による連載や読者投稿コーナーのほかに、編集部が怪談話を検証するコーナーが設けられている。採用されてから読んだバックナンバーをみるかぎり、コーナーが開設されるのは不定期なのだが、それは目の前で広げられたような資料による検証と、現地調査のいずれもそれなりに時間を要するためだと言う。

 採用されて4か月。新島が検証に加わったことはないが、編集部の面々が時折テーブルで資料を広げて会議をしている光景はみたことがある。同じフロアの週刊誌などの編集部には、飯野編集長と愉快な仲間と揶揄されているらしいが、オカルト誌というマイナーそうな雑誌で雑誌部門の売上上位に食い込んでいるのは、この編集会議の効果だという。

「これは新件ですよね。みたことがない」

「編集長がどうしても気になるらしくてね」

「取材、するんですか?」

「どうかなぁ。飯野編集長の現時点での率直な意見は?」

 尾崎と可香谷がソファに座る編集長を見つめる。新島は、飯野の様子よりなんとなくテーブルの資料が気にかかってしまって視線を逸らした。

 地図や書類、どこかの建物の写真を集めたファイル。積まれ、広げられた資料の様子は何度か見かけた覚えがある。地図の上に半月状のオブジェは消しゴムを削って作られたものだが、地図の上にあるというなら建物を模したものなのだろう。

 半月型の建物は珍しい。例えばY市にある高級ホテル。あるいは、近隣であれば大学のちかくのハーフムーンタワーだろうか。

「それで、これは何の検証なんですか。記事にできそうな奴ですか?」

「どうだろうねぇ。飯野編集長」

「どうっていわれてもですね」

 当の本人である飯野は腕組みをしながら資料を睨み付けている。地図に置かれた半月型の消しゴムが、地図上の建物だとすれば、そのほかの小物も建物を模して置かれているはずだ。地図の縮尺はわからないが、各建物は隣接していない。こういう検証をする必要があるとすれば例えば

「見え方の確認をしているんですか?」

 思いつきを口にすると尾崎がぴくりと眉をあげた。可香谷は新島の顔を見て、テーブルに視線を戻し、近くのデスクに荷物を下ろすとしゃがみ込んでテーブルの縁に目線を合わせる。

「あ。なるほど。新島はこういうところは目敏いね。建築学科だっけ?」

「経済学部ですよ」

「へぇ。意外。経済学では模型とか使うの」

「モデルは使いますが、こういうのはやらないです。ただ、あの半月型の消しゴムは建物なのかなって」

「彼にあるのは知識ではなく観察眼だね」

「尾崎さん。それは新人を贔屓しすぎです。彼はまだ全然眼が育っていない」

 編集長が新島に辛辣なのは、先般新島が持ち込んだビデオテープの一件に違いない。そこまで考えて、新島はこの資料の正体に気づいた。

「もしかして、これあのビデオテープの撮影場所探しじゃないですか?」

 新島の予想は正解らしく、編集長が大きなため息をついた。

「別に評価を変えたわけじゃない。これは正真正銘のフェイク。君の通う映画サークルでとられたPoV方式の自主製作ホラーだよ」

 編集長はソファの後ろのデスクから持ってきたVHSテープを机上に置く。背表紙は掠れて、読めるのは9/25という撮影日だけだ。

 そういえば、偶然にも今日は9月25日だ。

「そうなんですか? これ。そろそろ返してもらおうと思っていたんですよ」

「なんだ。持ち出したのがばれたか?」

 茶化す尾崎に新島は頬を膨らませた。

「持ち出したんじゃなくて貸してもらったんです。飯野さんはこれが“本物”だって信じてくれないですし長く借りておくのもよくないと思って」

「新島君はあれを本物の呪いのビデオだと思うのかい?」

 尾崎が裏返った声をあげた。どうやら彼も飯野と同じ意見らしい。

「絶対本物ですって。サークル部屋の奥に封印されていたって、先輩が持ってきてくれたんです」

――“本物”のビデオ観てみたくはない?

 声をかけてくれた先輩のことを新島はよく覚えている。あの目が嘘をついているとは思えない。 

「この前も言ったろ、新島。これは本物なんかじゃない。それに、本物を見せるなんてのはホラー映画の古典的な売り文句じゃないか。そもそも2年前の撮影でVHSテープを使うやつがいるか」

「2年前って、何言ってるんですか。VHSなんだからもっと古い」

「古くないよ。随分新しい映像だ。全く、これだからホラー映画初心者は。担がれてるんだよ。それにだな、百歩譲って担がれても構いはしないが、深夜の廃ビルに侵入するだけの映像じゃ、呪いとしてはパンチが薄すぎるよ」

 編集長の指摘に、新島は首を傾げた。尾崎も頷いているが、二人とも何を言っているのだろうか。

「そのビデオ、撮影されたのは昼じゃないですか? 初めの映像とか外階段の映像は全部とても明るいじゃないですか」

 今度は新島の発言に二人が首を傾げる番だった。何か変だ。新島は腹の奥が重たくなるような気分の悪さを覚えた。

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