第十一章 プライベートストック・プロポーズ

 静かな夜だった。琥珀亭も客が引け、カウンターには私しかいない。それもそのはず、そろそろ閉店の時間だ。


 さて、これを飲み干したら帰ろうか。そう思った矢先、琥珀亭の扉が開いた。夏の夜風と共に入ってきたのは孫の大地だった。


「あ、ばあちゃん」


 孫は私を見るなり、にこやかに笑い、いそいそと隣に座る。


「なんだい、大地。眠れないのかい?」


 この孫は琥珀亭の三階に部屋を借りて住んでいる。いつもならこの時間は寝ているんだが。


「うん、寝酒でもと思って」


 彼は尊に向かい、人なつこい笑みを浮かべた。


「ねぇ、尊さん。美味しいラムください」


「美味しいって言われてもな。お前、何でも美味い美味いって飲むじゃないか」


 尊が苦笑しながら、酒瓶の並ぶ棚に視線を走らせる。


「んじゃあ、今日はこれにしようか」


 そう言って尊が一つのラムを取り出した。


「お、飲んだ事ないですね。それにしましょう!」


 大地がまるで発車前の車掌みたいな手つきをする。......まったく、この剽軽なノリまで死んだ旦那そっくりだ。

 私は苦笑しながらハイライトを取り出した。


 尊が用意したのは『キャプテン・モルガン・プライベートストック』というラム酒だった。

 ラベルには髭をたくわえた勇猛な顔をした男が描かれている。


 彼の名はキャプテン・ヘンリー・モルガン。17世紀にカリブ海で活躍した海賊だ。

 海賊といっても大英帝国軍の軍事参謀として、海賊たちだけでなく、帝国のお偉方からも尊敬される人物だったらしい。チャールズ二世がナイトの爵位を授与しているほどだ。


 大地はしげしげとラベルの男を見つめながら、グラスが出てくるのを待つ。

 尊がロックにしたラムを差し出した。


「これね、自家消費用にストックしてたものを製品化したんだよ」


「お、んじゃ美味いに決まってますね」


 大地は胸一杯に香りを吸い込み、夢見心地な表情で唸った。そしてちょっと口に含み、満面の笑みを浮かべる。


「はは、こいつぁ美味い」


 ......酒好きは私に似たんだね。思わず苦笑してしまった。


「どれ、私ももらおうか」


 私が言うと、大地が目を丸くする。


「ばあちゃん、ラム酒なんて珍しいね」


「いや、お前の顔を見ていたら飲みたくなった」


 尊が「わかります」と笑って、私のグラスを用意してくれた。


「大地ほど美味そうに酒を飲む男もいないですよ」


 味をみてみると、確かに美味かった。濃厚で甘く、香り高い。


「こいつぁ、ラム・コークにするのなんか勿体ないね。このままロックが一番だ」


 そんなことを言うと、大地がニッと笑う。


「自家用にしたいくらいだもんなぁ。自分だけこっそりと楽しみたくもなるよ」


 そして、ラベルの勇ましい男を指で撫でながらこう言った。


「もしキャプテン・モルガンが宝の島にこっそり財宝を隠してるとしたら、こんな酒も一緒にありそうじゃない」


「はは、随分とロマン溢れることを言う」


 孫はたまにこういう夢見がちなことを言う。それは間違いなく、死んだ旦那から受け継いだ性分だ。だからこそ、私はこの孫が可愛いんだがね。


「お前がキャプテン・モルガンだったら、宝島に何を隠す?」


 何気ない私の問いに、大地は即答する。


「千里」


 千里とはこいつの彼女の名だ。ふわふわした可愛い子だが、なかなかのしっかり者でもある。


「お前は本当に千里ちゃんが好きだなぁ」


 尊が呆れたような顔をする。だが、その目は眩しいものでも見るように細められていた。


「だって、千里はモテるんですよ」


 そう言って、大地が唇を尖らせた。


「初めて会ったときは、地味な印象だったんです。でも、俺にはすっごく可愛く見えたんですよ。周りの友達に『あんな子がいいの?』とか言われて悔しかったなぁ」


「良かったじゃないか、ライバルが少なくて」


 尊が笑うと、大地が肩をすくめる。


「でも、俺と付き合い始めてからどんどん綺麗になって、垢抜けてから告白とかされるようになってさ。俺と付き合ってるのにですよ?」


「なんだ、それは自慢か? いいじゃないか、そんな人気者を彼女にできたんだから」


 この孫は惚気話でもしにきたのだろうか? 呆れる私に、大地はふてくされた顔をした。


「そうじゃないよ、ばあちゃん。俺と言う彼氏がいるのに言いよって来る男が絶えないのが問題なんだよ」


「もしかして『大地になら勝てる』と思われてるかもって気にしてるの?」


 尊が言うと、大地は黙ってラムを口にした。無言の肯定だ。


「馬鹿だなぁ」


 尊がカウンターの向こうで腕組みをした。


「そんなもん、男の勲章じゃないか」


「そんな千里ちゃんが迷わずお前の隣にいてくれるんだぞ? 鼻が高いことはあっても、いじけることはないさ」


 尊は大地を弟のように思ってくれているらしい。カウンターの向こうから、大地の頭をワシワシと乱暴に撫でた。大地もまんざらでもないのか、されるがままになっている。


「そんな千里ちゃんを閉じ込めようなんて、小さい男になっちまうぞ」


「信じてないわけじゃないけど、不安になりますよ」


 しかし、まだ大地はふてくされたままだ。


「気持ちはわかるけどね」


 私が苦笑した。


「だったら、お前が千里ちゃんに恥じない男になればいいんだよ。簡単じゃないか」


「簡単じゃないよ」


 大地は盛大なため息を漏らす。


「俺、将来も定まってないんだぜ。親父の小料理屋を継ぐにしても、チェロを続けるにしても定期収入もないしさ」


「そんなもん、私らの前で言うことかい」


 私は豪快に笑い飛ばしてやった。バイオリン教師の私にも、バーテンダーの尊にも定期収入なんかありゃしない。


「それでも千里はお前についてくるんだ。それだけ、お前を好いてくれてるんだ。感謝しな」


 すると、尊も笑う。


「嫉妬するのもわかるけどね。お前、いちいちマメに連絡して束縛したいタイプだろ?」


「うん。めっちゃ束縛してるかも」


「ほどほどにしとけよ。まぁ、うちの嫁さんいわく、まるっきり束縛がないのも不安らしいがな」


「......ばあちゃん、女って難しいね」


 悲壮に満ちた孫の声に、私は思わず笑った。

 死んだ旦那もこうして蓮太郎に私のことを相談していたんだろうか。そんなことを思いながら。


「まぁ、なんだ」


 尊が大地のグラスにラムを注ぎ足しながら笑う。


「こうなりゃ、嫉妬を楽しめ」


「楽しむ?」


 眉間にしわを寄せる大地に、尊が口の端をつり上げた。


「どんどん千里ちゃんを周りに見せつけて胸張ってりゃいいんだよ。その彼女がお前の隣にいるんだ。それを自慢に思えばいいんだよ」


「......そんなものですかねぇ」


 大地は頬杖をついて、尊を見上げる。


「尊さんもそうなんですか?」


「まぁ、そういうこと。苦労が絶えないのはお前だけじゃないぞ」


 尊が眉を下げる。彼の妻の真輝も相当な美人だからね。


「まったく、男ってのはわからんね」


 私はラムを飲みながら笑う。


「勝手なもんだよ。浮気されてる訳でもないのに妬いたりしてさ。千里が聞いたら怒るぞ」


「ばあちゃんは、じいちゃんから束縛されたことある?」


 大地の目が途端に輝く。


「俺、じいちゃんとばあちゃんの馴れ初め、知りたいなぁ」


 それを聞いた尊までがニッと笑う。


「俺も知りたいですね」


 おっと、矛先がこちらに向かってきたらしい。私は右の眉を上げて、こう言い放った。


「そいつぁ、駄目だ」


「なんでだよ?」


「死んだ旦那との思い出は全部、私がプライベートストックしておきたいものだからね」


「ふふん」と鼻をならすと、大地が口を尖らせる。


 言える訳ないだろう。旦那からプロポーズされて泣いてしまったなんて。この私が、だよ。

 思わず笑みをこぼし、私は孫に言ってやった。


「私にもね、可愛い娘時代があったんだよ」


 孫は口をぽかんと開けていたが、すぐに満面の笑みになった。


「......そうだね」


 孫がこのとき何を考えていたのかは知らないけれど、彼は目を細めていた。それは、プロポーズで泣いてしまった私を見た旦那の顔つきと同じだったよ。


 樹液にも似た色の酒を見つめ、私は口許を緩ませる。

 旦那はナイトの称号を持つモルガンみたいに勇ましい男ではないけれど、私にとって確かにナイトだった。

 蓮太郎への想いを抱える私を、そっと暗がりから助け出してくれたナイトだったよ。猛々しい英雄じゃないけどさ。どこまでも優しい笑顔と、屈託のなさを持っていた。


 そんな彼のプロポーズの言葉だって、たいしたもんじゃない。


「お凛ちゃんの音楽で毎朝目覚めたら最高だろうな」


 オーケストラで演奏した夜、そんなことを言った旦那に、私は笑った。


「それは無理だね。だって私は朝弱いから。あなたのほうが早起きじゃない」


 すると旦那はこう言ったんだ。


「じゃあ、お凛ちゃんを『おはよう』って毎朝起こすのは俺の役目だね」


 そう、それだけ。『一緒になってください』とも『結婚してください』とも言われていない。


 だけど、私は思わず泣いてしまったんだ。旦那のそばにいると、深い海にたゆたうようで心地よかった。それが自分だけに与えられると思うと、感激したんだね。


 出逢ってからの呆れるほど真っ直ぐな求愛。付き合ってからの驚くほどの束縛。正直、うざったいなんて思ったりもしたけど。

 本当は大地みたいに人懐こくて誰とでもすぐ打ち解けちまう旦那に内心やきもきしてたもんだ。


 私こそ束縛したかった。でも素直になれなくて強がって平気な振りをしていた。不安で仕方なかったくせにね。


 同じような想いを千里もしているかもね。そう考えると、私は「くく」と一人笑う。いつか、大地はどんなプロポーズをするのかね。そのとき彼に同じ質問をしよう。


『お前は何を宝島に隠すんだい?』


 きっといつか本当にストックしておきたいものに気づくはずさ。


 いつか大地もこう思うだろう。本当に閉じ込めておきたいのは千里本人ではなく、千里との思い出だってね。だって、こいつは私と旦那の孫だからね。

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