第十九話 蜘蛛だけが見ていた
島根が葉巻に火を点けると、三人が乗って来た黒塗りの車の周りが一瞬橙に光った。忠治は疲れがどっと襲って来て首をコキリと鳴らした。もう夜明けだ。
雲居たち親子を見送って、三人は無事に崖下まで戻って来ていた。村人たちはまだ不安そうにあの屋敷の周りを彷徨いていることだろう。蔵の中には恐らく少女たちを愛していたであろう純朴な男が、
「はぁ~疲れた、それにしても綺麗な『神様』でしたね、僕あれは割かし嫌いじゃないですよ。女だけど。あと、お人好しの先生もね」
白い煙を吐き出しながら、綺麗に揃った歯を光らせて島根が嗤う。忠治はぐっと近づけて来る元部下の面長な顔を嫌って、手のひらでグイリと方向を変えた。
「お人好しなものか、お前。あの時あの蔵で拳銃を持っていただろ。雲居先生やあの娘たちを撃ったら俺たちこそ『人』ではないよ」
「……忠治さん、僕の部下が殺されたことを忘れたわけじゃありませんよね。あの子たちが逃げ出したのが今夜じゃないか……僕らがもっと早く出発していれば間に合ったかもしれないのに」
わずかな光に照らされた、島根の目が嗤っていなかったので、忠治は決まり悪さに目線を逸らせて車に乗り込んだ。島根もそれに続く。
「上には何て説明しましょうか」
「追っ手がついても雲居先生が可哀想だ。俺たちが『神様』とやらを殺しちまったって言えばいいさ、生死は問わないんだろう」
千太郎は泣いたのが恥ずかしかったのか、さっさと後部座席に乗り込み、日本刀を抱き込んで目を瞑っている。忠治と同じく狸寝入りかもしれない。でも別に聞かれても構わないと感じた。
「お人好しか…、いや少し……同情しただけだ」
雲居の性癖は別として、血の繋がらない親子。忠治たち血の繋がった親子よりもずっと自然に一緒にいるように感じた。そしてそれが少し羨ましかった。
「まぁ、あんな形状のシャム双生児だったら、産まれてすぐに分離手術が可能だけどなぁ、僕でもできちまいますよ」
「田舎だしね、医療の知識のない村人たちには不可能だろう。雲居先生に至っては、ああは仰っていたけれど、『美しい』と感じて切ることなんて思いつきもしなかったんだろうな」
「なっるほどねぇ、まぁ確かに悪くはなかったですよ。美麗なシャム双生児ってのも」
「お前の趣味も相変わらずだな」
「貴方に言われたくないですよ」
「俺はなぁ、島根」
軽口の最後に彼の名前を呼ぶ。島根は「はい」と莫迦正直にそこで黙った。久しぶりに部下の顔に戻った島根に、忠治は心の底を話す気が向いた。
「『親子』というものが、時々分からなくなるのだよ。お前は驚かなかったが、千太郎は『息子』で。そして彼の父親として存在した銃太郎も俺の『息子』だ」
島根は黙って続きを待っている。後部座席の寝息が、不自然なほどピタリと止まった。忠治はそれを横目に語るのをやめようとは思えなかった。
「あの『人魚の肉』の親子は、娘を生き永らせるために、母親は村ぐるみで秘密を守っていたのであろう。『紫の人』の遙と井上先生だって、最初の始まりは親子の情愛だったと俺は思うんだ。子を思う親の醜態はこじらせると愚かだよ、でも……」
車内の千太郎が、薄目を開けて、聞き耳を立てているのがうっすら見えた。でも忠治はそのまま話し続けた。こんな風でしか胸の内を伝えられない、自分を恥じながら。
「でも俺は愚かでありたいと思う、今まで一緒に過ごせなかった分。銃太郎にしてやりたかった分。愚かでありたいと思う」
島根は聞き終わると、長く煙まじりの吐息を吐き出した。げほげほとそれにむせる忠治の肩を、バシバシと容赦なく叩く。少し、嬉しそうにしている。
「それで良いと思います。僕だってこんな身の上だけど、自分の娘がとても可愛いですよ。愚かにだってなろうと思いますし」
それだけ言うと、先に島根が車に乗り込む。忠治が急いで助手席に座ると、
「でも忠治さん、たまには僕のことでも愚かになってくださいね」
と言ってから、自分で恥ずかしくなったのか、誤摩化すように煙に咳き込んでからわずかに嗤った。妻も子どももいるこの元部下が、まるで千太郎のように忠治の愛情を欲しがることに、忠治は何となく笑い飛ばすことも、頷くこともできずにただ黙っていた。
島根が窓から飛ばした、火が点いたままの煙草を山道に残して。車はもと来た町に向かって発進した。車の灯りに照らされた大きな蜘蛛だけが、その様子を静かに見送っていた。
<了>
異形『怪』道中 森林公園 @kimizono_moribayashi
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