第十八話 忠治の息子

「そっだなこと、許されると思うだか」


 雲居が答えたと同時に、醜い声が入り口から聞こえた。全員が振り返ると、崖下で千太郎が気絶させた背の高い青年が立っている。


「草太」

「そうた……」


 少女たちが震えてその青年の名前を呼んだ。幼なじみが激高しているのが分かったのだろう、手を差し伸べようか、忠治たちの背後に隠れようか戸惑っているように思えた。


「おらぁ、しのちゃんとしほちゃんが幸せになれるって先生が言ったすけ、ずっと黙ってたんだぁ、協力したんだぁ」


 ゆらりとでくの坊が揺れる。背には明るすぎる月明かり、影は濃く、恐ろしい魔物に見える。それすら揺れるのは、彼が松明を手にしているからだった。


「それがいねぇなるだって、許されると思うだか」


 青年がその松明を振りかざすと、パチパチと黄色い火の粉が飛んだ。そうしてそれを上から千太郎目がけて投げつけて来た。書生の手には刀がある。千太郎からすれば避けたり切り伏せたりするのは容易そうではあったが、彼の後ろには少女たちがいる。


 何となく千太郎は少女たちを庇う気がした、だから忠治は動いた。書生と娘たちを庇うように男に背を向けて、腕を広げた。


「忠治さん」


 千太郎の悲鳴のような声が聞こえて、背中に壮絶な熱さを感じた瞬間に、銃太郎の、『息子』の声が鼓膜の奥にこだまするように蘇った。



―忠治さん、私は『不能』なんかじゃなかったんです。だから言ったじゃないですか。

―だから言ったじゃないですか、『お父さん』。


* * *


 あの日、襖の向こうの部屋には、印度絨毯いんどじゅうたんの上に赤子を抱いた女が足を投げ出して座っていた。髪型はモダンなおかっぱ、唇だけが燃えるように紅い。


 その女性が、あの、夏の深夜。一夜限りの人と気づいてしまって忠治は絶望した。そう、女は銃太郎が忠治の息子と知っていてわざわざ忠治の元を訪れて子種を授かったのだ。


 女は無表情で美しい赤子をあやしている。そしてこちらに気づいて紅い唇を真横に伸ばした。事実は変えようがない。


 孫と偽ってもこの赤子は、千太郎は、


 忠治の『子供』なのだ。


* * *


 焼けただれたであろう背中を守るために、うつ伏せになりながら耳を澄ませると、千太郎が傍にうずくまっているようだった。幼子のようにしゃがみ込んで、忠治に向かって弱々しく本音を吐く。


「嫌だ、目を開けて。俺、一人になってしまうよ」


 だがこのまま死んでしまえば、忠治は亡くした息子に逢えるであろうか。さよならのつもりで目の前の黒髪を撫でた。孫は、いや『二人目の息子』は、らしくもなく嗚咽して、もう一度名前を小さく呼んだ。だから、どうやら自分は死にそうではないらしいと気づいた忠治は、観念して声を出す。


「お前の存在が、正直俺には重荷だよ」


 やっと薄目を開けてやると、いつもは余裕しゃくしゃくで澄ましている『息子』が、涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていた。それでも忠治が無事と知れて、口角を上げた。


「……なにそれ、酷いや」


 鼻を啜り上げる千太郎の脇には、島根が当たり前のように立っている。二人の間に流れる空気に触れようとせず、かつ泣き濡れる千太郎をからかったりもしなかった。


「忠治さん、さっきの下男は坊主が取り押さえましたよ。背中も……何だこれは大騒ぎするほどのもんじゃあないじゃないですか」


 がっかりしたような島根の言葉に飛び起きると、ピリリとするが背中に痛みはない。急いで該当部に後ろ手を回すが、背広の布が焼けているだけで、全く重傷とはほど遠かった。


 忠治は急に恥ずかしくなって、取りあえず大げさに咳き込んだ。傍らの千太郎は、それでも涙を流して鼻水を啜るのをやめない。だから忠治は優しく声を掛けた。


「千太郎、みっともない。泣き止みなさい……それに俺が死のうがどうしようが、お前にはあの婆さんがいるだろうに」

「あの人じゃ話になりませんよ」


 千太郎は年相応にすっかり大人しくなって、グスグスと忠治の傍にわだかまっている。それを見て雲居の傍に立つ少女が二人、可笑しそうにクスクスと笑みを零した。

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