第21話 さらばアストラ
「……え? マチダ、アストラを離れるんですの?」
「いきなり。なんで言ってくれなかった」
俺はほぐし庵の店内で、少女二人に同時に責め立てられるという貴重な体験をしているところだった。別れの挨拶だけ済ませる目的で呼び出し、店の外に貼られている無期限の休業のお知らせについて問い詰められ、シーナとノワールの肩越しに妹のブランまでもがジト目で俺を睨んでいる。
三者に射竦められていた俺はクルススクさんに持ちかけられた依頼の内容をそのまま伝え、熟慮に熟慮を重ねて検討した結果、ザビオ村についていくと決めたことを告げると思った以上に二人と一人はショックを受けた様子でその反応に罪悪感を覚え胸が痛くなった。
「何も相談せず事後報告になったことは申し訳ないと思う。だけどな、誰の予断も挟まずに一人で考えたかったんだ。正直俺にはマッサージしかできないし、任された依頼は荷が重いと思ったよ。なにより俺は医師ではないから正確な診断だって自信を持って出来やしない。だから一時は断ろうと思ったんだけど――」
「だけど、なんですの?」
言葉の節々に棘を感じるシーナの目尻には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
だが、ここで心情に流されて決めた覚悟を翻意するつもりはなかった。
「誰にも助けてもらえない人がいると知ったら、やっぱり見過ごすことはできないんだ」
クルススクさんが再び訪れるまでの時間、自分はどうしたいのか独立をしたときより真剣に考えてみた。
ここアストラの街で生活するのにも慣れ、広くお店も認知されるようになった。かつて日本にいた頃より常連客で賑わっていたと言っても過言ではない。
不調を訴えて訪れる患者が施術後に笑顔でお礼を言って帰っていく姿を見て、マッサージ師冥利に尽きると日々仕事にやりがいを感じていたのも事実だった。
それに――立場上受け入れることは出来ないが、こんな俺を好いてくれる女の子がいてくれることにも深く感謝をしている。最初こそイメージは悪かったが、もし同年代だったら惚れていた可能性だってあったのかもしれない。そんな仮定の世界を思い描くと、すこし頬が緩んだ。
「それでも、急すぎる。心の準備、できていない」
「わかりました……マチダが言うことを聞いてくださらないのであれば仕方ありません。こうなったらお父様に、『マチダに捨てられた』と伝えますわよ」
「おお〜すっかりお嬢様が腹黒くなったね〜。事実はどうであれ、四大貴族の一人を怒らせたらどうなるか想像しただけでも恐ろしいよ。ねえ、今からでも遅くないから、アトラスを離れる決定は再考したほうがいいと私は思うよ」
ノワールの気持ちも、シーナの必死さも、ブランの言い分も痛いほどよくわかる。
俺は自分のやりたいことを成す為に、これから三人を――この街の人達を裏切ることになるのだから、自分勝手もここに極まれりだ。
「マチダ。そろそろ時間だが、別れは済ませたであるか」
「ああ、待たせて済まない。今行く」
気を利かして店の外に出ていたクルススクに声をかけられ、少ない荷物を背負って俺は三人の頭にそれぞれ手を置くと、最後に伝えたいことをそれぞれ口にした。
「ブラン」
「なによ」
「お前は頭もいいし要領もいい。きっとどんな分野でも真面目に取り組めば
「そんなの……マチダに言われなくてもわかってるし……」
「ノワール」
「ん」
「お前は口数こそ少ないが、その分誰よりも落ち着きがあって思慮深い女性であることを俺はよく知ってる。学校で得た地位も成績も、お前自身の不断な努力で勝ち取った立派なものだ。だがな、それは一人で身を削って得てきたものだ。無理は長くは続かない。自分に厳しすぎて自信を失いがち、それに他人より傷付きやすい繊細な心の持ち主のお前に言えることは、もう少し肩の力を抜くことを覚えろ。そして人を頼れ。そうすれば見えてくる世界も変わってくるはずだ」
「……ん。努力する」
「シーナ」
「うう……なんですの」
「お前とはなかなか印象的な出会いだったよな。この世にこんな高慢ちきな女性がいるのかと驚いたもんだが、貴族という立場上誰からも敬われる態度を取らなきゃいけない一方で、実は誰より友達想いの心優しい年齢相応の女の子であることは、俺が誰よりわかってるつもりだ。誰かを助けるために自分の命を投げ打つような真似をできる奴なんて、世界広しといえどそうそういやしない。俺は、そんなお前を心から尊敬するよ。大した奴だ」
柔らかな髪を撫でると碧色の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「マチダ、私は貴方が好きですわ。今だけはどうか行かないでほしいと願う我儘を許してくださいまし」
「ありがとう。シーナみたいな女の子に好かれるなんて、俺もまだまだ捨てたもんじゃないな」
わざと戯けて見せると、ノワールも前に出てきて急に抱きついてきた。
「マチダ。私も好き」
「ええ⁉ ノ、ノ、ノ、ノワールさんっ! いいいいったいいつからですの⁉」
「聞くのは野暮」
二人の掛け合いが見れなくなると思うと、一抹の寂しさが胸に去来する。
ブランに目を向けると、「勘違いしないで」とにべもなくそっぽを向かれてしまい意気消沈していると、小さな声で「嫌いでもないけどね」なんてブランらしい捨て台詞を吐いていた。
クルススクさんのわざとらしい咳払いが俺を呼んでいる。
湿っぽい別れが苦手な俺は、馬車に乗り込むと幌の中から次第に遠ざかっていく三人の姿が、視界から消えるまでひたすら大声で別れを告げた。
出会いもあれば別れもある。
これから訪れる冬のあとに、必ず出会いの季節はやってくる。
神様から打診されたので異世界をこの手で癒やす(救う)ことに決めました きょんきょん @kyosuke11920212
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