第6話 緊張

 シーナを施術した数日後、俺はどういったわけだか明らかに場違いな一流レストランの、しかも贔屓ひいきの客のみ座ることを許されるテーブル席に座らされていた。

 弦楽器を演奏しているオーケストラの旋律は左の耳から右へと通り抜け、一分が一時間に感じるほどの緊張感のなかで給仕が注ぐ一本2万ルピアという法外な価格の葡萄酒ワインを、見様見真似でテイスティングしながらぎこちないテーブルマナーで味のしない料理を機械的に口に運んでいた。


 一生着る機会などないと思っていた燕尾服モーニングに袖を通した俺の正面、華やかな淡いピンクのドレスを着て胸元には意匠いしょうを凝らした宝石のネックレスを下げているシーナは、申し訳なさそうな顔で視線をそらした。


「君が娘の不調を治してくれたという人間ヒューマンか。たしか……マチダくんといったかな」

「あ、はい」

「そんなに畏まらないでくれ。私は君にぜひ礼を伝えたくてこの場を設けたのだからな。ハッハッハ!」

「もう、お父さんったら。そんな挨拶じゃ余計マチダさんが萎縮しちゃうでしょ」


 シーナを挟むように座る二人は彼女の実の両親。彼女の言葉遣いで初対面の頃からなんとなく察してはいたが、森妖精エルフの中でも相当高貴な家系のようで姉はさる大国の貴族にめとられ、下の妹は箔をつけるために現在留学をしているという。


 三人姉妹を同時に目に入れても痛くないと豪語する娘大好きな父親は、言葉とは裏腹にこめかみに青筋を浮かべながら殺気漂う笑顔を取り繕っている。先程から銀食器シルバーを持つ手が怒りで震えていて、見ていて気が休まらない。

 

 まるで初めて娘が連れてきた彼氏と対面する頑固オヤジだな――と、宏美の両親にご挨拶しに出向いた在りし日を思い出していたところ、「まるで初めて娘が連れてきた彼氏と対面する頑固オヤジみたいですよ」と、おっとりとした雰囲気の母親が場の空気を弁えずに俺の考えていた小言を告げた。

 するとそれを聞いた父親は握っていた銀食器を力任せに折ってしまい、怒張する血管を浮かべたまま必死に笑顔を取り繕っていた。


「ハハハ、カアサンハオモシロイコトヲイウジャナイカ」


 細めた瞳の奥には怒りが満ち満ちている。一刻も早くこの場を抜け出したいと愛想笑いに徹するしか出来なかった。


       ✽✽✽


「マチダ。今日は客としてやってきた」


 俺が場違いなレストランで窮屈な思いをする少し前の出来事――。

 先日来たばかりだというのに、扉を開けて入店してきたノワールは小さい体で大きく両腕を振りながら店内を闊歩すると、勝手にベッドに腰掛けた。


「料金。決めたの」

「一応な。うちは30分から120分までコースが分かれてるんだけど、昨日聞いた物価を参考にして30分で10ルピアにしてみたよ」

「疑問。そんなに安くて成り立つか」


 誰に何を言われようが、当面は改訂した料金で経営をすることに決めていた。一回あたりの料金を高いと感じられてしまうと、顧客の財布の紐は途端に固く閉じてしまう。定期的に来てもいいも思える範疇の値段設定にしないと、一見いちげんさまばかりになってしまい長期的な経営は望めなくなる。開店当初に身を持って知った苦労だ。


「とにかく初めのうちは認知度を上げないと。急がば回れが大事なのさ」

「マチダ。生活費シーナから借りてる」

「うっ、それは言わないでくれ……」


 ノワールの指摘に胸がえぐられる思いがした。悲しいかな、俺の窮状を見るに見かねたシーナは何も言わずに1000ルピアを差し出してきた。庶民の一月分の金額をだ。


「いい歳した殿方がそれじゃあ目も当てられませんわ。当面はそれで糊口をしのいで下さいませ」


 まさか人生の中で十代の女の子から生活費を恵んでもらう日が訪れるとは夢にも思わなかったが、突き放そうとするプライドは空腹という名の現実を前に容易く折れてしまう。

 無利子無期限出世払いの借金を借りてしまった俺は、何が何でも早急に返済をしなければならない。でないと面子は丸潰れだ。


「マチダもこのお店も変。詳しくは聞かないけど」


 ノワールは他に客が誰もいないことをいいことに、空調を勝手に弄って設定温度をあげると本物の猫のように丸まって寛ぎ始めた。後から気づいたことだが、地球では当たり前の電気やガス、水道といったライフラインがこの世界では整備されていないのにも関わらず、このほぐし庵の店内だけは何故だか恩恵を受け続けている。

 店内の照明も水道もパソコンもポスレジも空調設備も、これまで通り使えることはありがたいのだが不思議でならない。

 深くは考えず――あの老人がなんとかしてくれたんだろうと結論づけた。ただ一点……惜しむらくは小型テレビだけ何も映らないことか。


 好奇心旺盛なノワールに一体全体この店はどうなっているのか問い詰められもしたが、なんとも答えようのない俺は虎の子のお菓子を与えて誤魔化したが、仮に異世界からやってきたと伝えたとして信じてもらえず、虫ケラでも見るような目で見下されたら……今度こそ本気で死ぬ気になるかもしれない。

 

「とりあえず、俺は自分が生きていけるだけのお金を稼げれば十分だよ。それよりも疲れ切った人達を癒やすことが大事だしな」


 一度は死のうとした身である俺が、今更不相応な金額を稼ごうと思うほど俗にまみれてはいない。ノワールは「ふうん」と納得したようなしてないような相槌を打って欠伸あくびをした。

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