第17話 最悪

 ノワールとブランが行方不明となったダンジョンに辿り着いた頃には、既に太陽が傾き始めていた。本来であれば日没間近にダンジョンに足を踏み入れるのは、よほどの酔狂か蛮勇だと初めて目にする本格的な魔法杖を手にしたシーナが説明をした。


「モンスターは夜に活性化する種族が多いですの。だからマチダは決して無理をしないで、私の後に続いてくださいまし」

「わかった。だけどシーナまで巻き込んで申し訳ないな」

「今更ですわ。私だってノワールになにかあったら後悔してもしきれませんもの。ライバル――いえ、親友の為ならハイラット家の令嬢として危険に身を投じるのもやぶさかではありません」

「なんだか、初対面の頃は生意気な奴だと思っていたけど、実はシーナって人一倍優しいんだな」


 友を心配する横顔に顔が緩み、自然と伸びた手で頭を撫でると、夕陽に負けないほどシーナの顔を赤く染まり慌てふためいた。


「な、ななな、何をいきなり! 時と場所を考えてくださいませっ!」


 時と場所を考えればいいのかと邪な考えが頭をよぎったが、さすがに口にするほど馬鹿ではない。


「そうだな、今は救出に集中しよう」


 微かに血の臭い漂う風が吹き抜けてくるダンジョンにとうとう足を踏み入れた。


       ✽✽✽


 意識が朦朧とする。体のあちこちが既に満身創痍。灯りトーチの魔法で暗闇が支配するダンジョンを照らして、虚ろな顔で避難場所を求め彷徨い歩いていた。

 想像を上回るモンスターの襲撃に幾度も遭い、おかげで魔力も底を尽きかけていた。いったい何時間こうしているのか、時間の感覚もとうに失って定かではない。道中に人一人やっと潜って入れる洞穴を見つけ、一時の休息を挟んでいた私の肩には「死」の一文字が重く伸し掛かっていた。


「ねえ、姉ちゃん。私のことウザったいと思ってるでしょ」

「なに。急に」


 一度腰を下ろすと二度と立てないほどの疲労で口を利く元気もなかった私に、全身傷だらけのブランは足首に添え木を当てながら唐突に尋ねてきた。


「だって、私がダンジョンに行くなんて言わなかったら、こんな事態に巻き込まれなかったわけじゃん? これまでのこともあるし恨まれていてもおかしくないな〜って」

「うん。思ってる。前から」

「あはは、だよね〜。でもしょうがないじゃん。姉ちゃんは鈍臭いんだから」

「……急にダンジョンに挑もうとした。どうして」


 普段の人を舐めたような態度ではなく、乾いた笑い声を漏らして答えると周囲の岩壁に反響してモンスターが嘶く声がビリビリと肌を震わせる。この階層の主だ侵入者である私達を探しているのかもしれない。


「さあ? なんだか毎日つまらなくて、ほら、私って何でもできるじゃん? 学校も案外楽だし暇潰しに冒険者の真似事でもしてみようかなって思ったからかな」

「ブラン、馬鹿。一人でダンジョンに行くの、自殺と一緒」


 私とまるで出来が違うブランは、神様が天賦の才を幾つも与えていたせいで努力というものを知らずにここまでやってきた。一を知って百を知るような才能だからこそ、妹にとってこの世界は退屈そのものなのかもしれないが、そんなことは凡人の私になんの関係もない。

 地響きとともに足音がこちらに近づき、息を殺すと洞穴の前を通り過ぎていった。


「ほら、飲みなよ。魔力尽きそうなんでしょ?」

 残り僅かとなった回復薬ポーションを差し出され、突き返す。

「いらない。ブラン飲んで」

 悔しいけど、妹が飲んだほうが生存率は高い。

「それじゃあ遠慮なく。それじゃあ行こっか、姉ちゃん」


 体を十分に休めることもままならなかったが、再び生存をかけた戦いが始まる。


       ✽✽✽


 覚悟はしていたが、ダンジョンに足を踏み入れてすぐ小型のモンスターがひっきりなしに襲いかかってきたことに悲鳴を上げていた俺は、シーナの肩に縋りついて離れなかった。もはや大人の威厳など何処かへ吹き飛んでいたが気に掛ける余裕もない。


「こんなところをあの二人は進んでいったのか?」

「この階層はまだモンスターのレベルが低いようなので大したことはありませんわ。あのお二人も問題になるとは思えませんが、アレを見てくださいませ」

「……あれは?」


 シーナが指差した先には陥没事故でもあったような穴がポッカリと口を開いていた。恐る恐る近づいて中を覗くも、底が見えないほど深く闇の中から下腹部に響くような化け物の声が響いてきた。

 シーナは魔法で倒したばかりのコウモリに似たモンスターを摘み上げると、穴の上にかざして落としたみせた。


「これはダンジョンの罠の一つで、天然の落とし穴です。この上を気付かずに歩いた冒険者はご覧の通り深い深い底へと落ちていって――この通りですわ」

「うわっ、下層のモンスターが待ち構えてるのかよ」

「最悪のケースは、太刀打ちできないモンスターが跋扈ばっこしている下層に落とされて即死ですわ」


 落ちきた死骸を巡って底で何かが争っている呻き声が聞こえる。自分を死骸と置き換えて考えてしまい後退ると、穴の側にあってはならないものが落ちていることに気がついて拾い上げると、表紙に書いてある名前を見て確信した。


「これ……ノワールのノートじゃないか」

「なんですって⁉ 確かに、これはノワールのものですわ」

「ってことは――」


 二人して穴を覗く。罠が発動しているということは即ち誰かが落ちたということ。問題はそれが誰かということだが、こうして物的証拠が残されている限り落ちてしまったのはノワールとブランの二人である確率が高かった。


「行くしか……ないよな」

「ええ。他に選択肢はありませんわ」


 なんとか二人とも堪えていてくれ――。

 唇を噛んで神に祈った。



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