第16話 火急

 ブランがほぐし庵に訪れてから数日後、営業時間中にも関わらず店内に勢いよく飛び込んできたシーナが、荒々しい足音を響かせ力任せにカーテンを開くと悲痛な声をあげて俺を呼んだ。その瞳にはふとした拍子に溢れてしまいそうな真珠大の滴が溜まっていた。


「マチダ、大変なの! ノワールが……キャアアアアア!」

「うわっ、なんだ君は。堂々と覗いといて悲鳴を上げられるなんて心外だぞ」


 施術を終えて作務衣から着替えていた常連客――中年のオッサン――のあられもない姿を目にしたシーナは、慌ててカーテンレールの音を鳴らして俺を見つけると、顔をクシャっと歪ませて駆け寄ってきて胸に顔を埋めてきた。


「おいおい、一体どうしたっていうんだ」

「マチダ……どうしよう……。ノワールが、ノワールが」

「いいから落ち着け。息を整えろ――ヒッヒフー」

「それはお産の時だろ」


 一先ず、そそくさと着替えを終えた客の精算だけ済ませ、過呼吸になりつつあったシーナを落ち着かせてから話を聞くことにした。あまりの狼狽っぷりに話を聞く以前から嫌な予感しかしなかったが、ようやく冷静さを取り戻したシーナの口から何が起こったのか――事の顛末を聞いた俺の声は思わず上ずってしまった。


「ノワールが迷宮ダンジョンで行方不明だって⁉ なんでそんな馬鹿な真似を!」

「わからないわ……だけど昨日から姿が見えないの。最後にノワールの姿を見た目撃者の証言によると、ブランの後についていって一緒にダンジョンに立ち入ったらしくて……今は学校側も大慌てで緊急会議を開いているはずですわ」

「そんな……なんで二人きりで行ったんだ」


 ダンジョンとはこの世界に点在している地下へと続く深い迷宮の総称である。

 俺は一度も訪れたことがないし訪れる予定もなかったが、体に傷を負って来店してくる冒険者の話でどういった場所なのかはある程度理解はしていた。ダンジョンとは少しの判断ミスが命取りになる危険な土地――天然のトラップが冒険者の行く手を阻むように幾重にも張り巡らされ、下の階層に降りるほど強力なモンスターが待ち構えていて、冒険者の隙を窺い襲いかかってくる。


 運が良ければ財宝を手に生還し、高確率で何かしらの代償を背負って帰還する。

 冒険者は一攫千金というが、失う代償は時として計り知れないほど大きい。複数の職業からなる混成チームを従えて挑むのが鉄則中の鉄則だというのに、一人は高校生、もう一人は中学生に相当する年端もいかない年齢の学生が足を踏み入れるなど死ににゆくようなものだ。


「学校側が二人の捜索依頼を提出してくれさえすれば、あとは冒険者が集まり次第ダンジョンに救出に向かう手はずになってるはずです……ですが」

「なんだよ。はっきり言えよ」シーナの煮えきらない態度を問い質す。

「その、昔からエリート志向の高い学園と現場で汗水流して働いているギルドは犬猿の仲なんですの。学園の上層部の中には冒険者に借りを作るような依頼を提出することを躊躇っている大人もいると聞いてます」

「なんだってこんな非常事態に……そんな子供じみた理屈で二の足を踏んでるんだ」

「私もそう思って、個人的にギルドに依頼を出そうと道中ギルドに立ち寄りましたの。ですがタイミング悪く依頼が立て込んでるようでして、直ぐに必要な冒険者を揃えられないと断られてしまいましたわ……」

「それじゃあ八方塞がりじゃないか」


 頼るべき人間がいない状況で、腕を組んで何かいいアイデアは浮かばないか思案を巡らせるも、灰色の脳細胞が導き出した答えは一つしかなかった。


「……仕方ない。俺が二人を探してくる」

「ちょっと、自分が何言ってるのかわかってますの? 貴方はただの人間ヒューマンであることをお忘れではなくて? そもそも剣だってろくに握ったことがないでしょうに」

「ああ、シーナの言う通り俺はただの非力な人間だ。だがな、誰からも手を差し伸べてもらえない状態で困ってる人を見捨てるような人間にはなりたくないんだ。それにシーナも助けに行くつもりなんだろ」


 シーナは背中に見たことのない立派な魔法杖を背負っていた。これから一人ダンジョンに突貫しかねない装備を見た俺は、誰にも明かさずにいた身の上話を初めてシーナに明かした。


 地球という別次元に存在する惑星の、「日本」という小さな島国からやってきたことを。

 神と名乗る老人の計らいで、年の瀬に人生に嫌気が差して自殺を試みようとしていたところを救ってもらったことを。

 そして棚から落ちてきた二度目の人生を、困っている人のために生きようと決めたことを包み隠さずに伝えると、返ってきた言葉は意外なものだった。


「えっと……それでは、マチダはいつか故郷に帰ってしまうの?」

「いや、どうやら一方通行のようで二度と日本には帰れないらしい、って聞くべきことはそこなのかよ。もっと驚くポイントがあるだろ。俺が異世界からやって来たとかさ」

「あ、確かにそうでしたわね。でも、これで一つ判明したことがあります。マチダの不思議な力は確かにこの世界に暮らす人々を救ってれる神の御業に違いないですわ」

「神の御業って、流石にいいすぎだろ。俺はただの人間で、しがないマッサージ師だよ」


 シーナは微笑むと、一言呟いた。


「やはりマチダはただの人間ではありませんね」



 ほぐし庵の戸締まりをしっかりと確認し、臨時休業の張り紙を貼り終えるとシーナと共に二人が消息を断ったダンジョンに向かった。


「待ってろよ、必ず助けるからな」

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