第12話 クリスマス

 駅から降りて目的地まで向かう道中、コンビニに立ち寄った私は余剰在庫の四号サイズのクリスマスケーキを購入すると、妙なイントネーションのアルバイトにクリスマス祝われながら一年ぶりの商店街を歩いていた。


 人通りはまばら。帰宅を急ぐサラリーマンをちらほら見かけるくらいで誰も彼もが家路を急いでいる。一際強い北風が吹き荒ぶと、見抜き通りは余計に閑散として見えた。


 本来であれば、今頃会社の先輩が予約していたレストランで傍から見れば幸せな一時を送っていたはず。だというのに、私は折角の誘いを前日になって断ってしまった。


「わかった。だけどこれだけは答えてほしい。今も元カレに未練があるの?」


 曖昧に答える私のドタキャンを了承はしてくれたものの、わかりやすく落胆していた先輩が私に好意を抱いていることに薄々気付いてはいた。だからといってクリスマス当日に勇気を振り絞って告白をされたとしても、恐らく私はその場で受け入れることはできなかったに違いない。

 誰かに優しくされるたびに、誰かの惚気話のろけばなしを聞かされるたびに、誰かとの幸せを思い描くたびに頭の片隅に別れた忠志の顔が浮かんで胸が苦しくなる。


「ほんと、私って嫌な女よね。もしも私が男だったら、こんな性悪女願い下げよ」


 進退窮まった忠志を切り捨て、先輩の気持ちに気付いていながらも応えようとしない。誰かを幸せにするどころか不幸に貶めているだけではないか。


 懺悔のつもりで、誰しも恋人や家族と過ごしたい夜に残業を肩代わりし、ようやくオフィスを出た私は自宅とは反対方向の電車に飛び込んだ。

 車窓を流れる住宅街の灯りをぼんやりと眺め、二度と訪れないと決めていたはずの駅の改札口を通り抜けると、万が一忠志と顔を合わせた場合何を話せばいいのか――覚悟もきっかけも存在しないことに気がついたときは困ってしまった。


「クリスマスだからね」と、誰に聞かせるわけでもない言い訳を繰り返してお土産に買ったケーキが、せめて二人の緩衝材としての役割を全うしてくれればそれでいい。

 久しぶりと声をかけ、まずは自分勝手に別れを告げて出ていってしまった過去を謝ろう。それから近況を報告しあって帰るのもよし――だけど、もしも忠志にその気があったなら、途絶えてしまった過去をやり直しても赦されるだろうか。


 一年かけてようやく正直になれた私は、肩からずり落ちたショルダーバッグのストラップを掛け直すと少しだけ勇気が湧いてきて、足早にほぐし庵を目指した。


 腕時計の針は営業時間を三十分ほど過ぎている。冷静になって考えてみると既に店を閉じて帰宅していてもおかしくはない時間ではあった。もしも到着したときに誰もいなかったら――忠志の住むアパートの場所は覚えてはいたものの、流石に元カノの立場でクリスマスの夜間に押しかけるほどの図太さは持ち合わせてはいない。


「しまったな……現実逃避して残業なんてするんじゃなかった」


 いつの間にか小雪が散り始め、体感温度が低下していく商店街を一人急いでいた私は、ほぐし庵にようやく到着したと思った矢先に我が目を疑った。

 いや、夢でも見ているのかと正気を疑った。夢は夢でも悪夢なのかもしれない――なぜなら正面には、固く閉ざされたシャッターに「入居募集」と記されたポスターが貼られていたのだから。


「……嘘。どうして? もしかして閉店しちゃったの?」


 頭によぎったのは最悪な未来。

 私と別れる以前から経営は下降の一途を辿っていたし、別れた後も直ぐに店を立て直すことは難しかったはず。


「もしも、希望を見失って人生に悲観したとしたら……」


 最期に見た忠志の顔は、そんな結末を辿ってもおかしくはない疲れ切った顔をしていたことを今更ながら思い出す。

 かじかむ手でスマホを取りだし、慌てて管理会社に電話したものの営業時間外で通じず、辺りを見渡してちょうどすれ違った通行人に――ここにあった店はどうなったのか――切羽詰まった声で尋ねると訝しげにその人は答えた。


「ほぐし庵? いやあ、ずっとこの街で暮らしてるけど、そんな名前の店知らないよ。確か……ここはずっと空き店舗じゃなかったかな」

「そんなっ、確かにここにはマッサージ店にあったはずです!」

「そう言われても知らないもんは知らないよ。他の人にも聞いてみればいいじゃないか」


 それから私は迷惑を承知で、すれ違う人や近隣住民に同じ質問を尋ねて回ったのだが結局誰もほぐし庵を知っているものはいなかった。

 口を揃えて「そこは昔から空き店舗だった」という絶望的な回答が帰ってくるばかりで、まるで最初から町田忠志という人間がこの世にいなかったとでも言うように誰も彼の存在を覚えていない。

 忠志のことを知っているはずの親友に電話をかけるも、「そんな男は知らない」と逆に頭を心配される始末だった。


 突然寄る辺をなくした私は、足元から崩れ落ちて抱えられていた箱の蓋を開ける。潰れてしまったケーキに涙を落としながら、ホワイトクリスマスに一人途方に暮れるしかなかった。

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