第7話 猫耳少女
「それより何処か不調でもあるのか?」
「ん。夜眠れなくて困ってる」
「その若さで不眠症か。わかった、施術を始めようか」
施術用の作務衣に着替えさせ、うつ伏せに寝かせる。すると昨日のシーナと一緒で経絡と経穴の気の流れが緑色の光によって可視化された。ところどころ弱くなっている経穴の指圧を始めると、シーナより控え目な吐息が漏れ聞こえ妙な背徳感を感じてしまう。
「天柱」から「風池」を適度に刺激し、肩にかけてスムーズに指圧するポイントを変えて行くと――。
「ん……」見た目にそぐわない艶めかしい声を発して、「これは気持ちいい」と満足げな様子で喉を鳴らしたので安心した。
それから体の正中線と両耳を結んだ線が交わる経穴、「
「
「可哀想。なんのことか、ん……わからない」
時折、湿り気を帯びた吐息を漏らしながら答える。
「奨学金もらって、学校に通ってる。無理するの……当たり前」
全身が弛緩し始めたことでリラックスしたのか、フェイスホールに顔をはめながらノワールは身の上話を打ち明け始めた。
自分が店を開いている土地の名も知らずにいた俺は汗顔の至りなのだが、ここ――アストラ市の中央に位置するアストラ魔法学園という全寮制の学校にノワールは通っているのだという。
名前の通り地球上には存在しない「魔法」を専門に学ぶ学校で、毎年優秀な人材を各界に排出しているいわゆるエリート校らしい。
入学の門戸は決して誰にも開かれているわけではなく、在校生のおよそ九割は
聞いていて嫌になる話ではあるが、一般市民の生徒は必死に入学試験を潜り抜けて入学を果たしても、九割に属する上流階級の洗礼が待ち受けていて最後まで馴染めずに心が折れ、自主退学をする生徒も毎年多いらしい。
シーナとは同級生で、彼女は日本でいう小等部からアストラ魔法学園に通っている生粋のセレブ一家の出身なうえに常に成績は学年トップ。
教師から一目も二目も置かれ、あまりの近づき難さに「深窓の令嬢」と呼ばれ敬われているというが、ノワールからすると「ボッチを拗らせているだけ」と気持ちよさそうな声で辛口なコメントを口にしていた。初対面でのあの態度を思い返すと、なるほどと思わなくもない。
ノワールはどうなのかというと、数少ない高等部からの編入組で実家はごく一般的な家庭。常に上位の成績を維持していないと退学処分になってしまう微妙な立ち位置なのだが、幸いにもシーナに次いでの好成績を出しているというが、育ちが違うという理由だけで一部の教師には難癖をつけられ、答案用紙の点数を減点されたり姑息な手を使って嫌がらせを仕掛けてられているというのだから、エリート校が聞いて呆れる。
「これだけ凝ってるんだ。日々どれだけ心労が溜まってるのかよくわかるよ。だけどな、頑張り過ぎると体って器は、簡単に我慢の許容量を超えてしまうんだ」
人にアドバイスできるほどできた人間でもないが、ほぐし庵の経営をなんとか立て直そうと躍起になっていた当時の俺は、周りも見えずにただひたすら働き詰めだった。あのとき宏美が俺になんて声をかけていたのか、それすら覚えちゃいない。
『若いうちの苦労は買ってでもしろ』とは言うが、俺はそれが美徳だとは思わないし、しなくてもいい苦労というものもあると思っている。
「でも、結果が大事」
「はあ……そこまで言うんだったら、せめて疲れたときは俺のところに癒やされに来い」
仰向けになってくれと伝え、ノワールの足首を掴むとベッドの上で曲げた膝の上に乗せて動かないよう軽く掴む。片方の拳で
すやすやと寝息を立てて眠りに就く顔は子供そのもの。だというのに小さな体に抱える心労は計り知れない。
せめて今くらいはゆっくり休めと、上下に動く慎ましやかな胸の上にタオルケットをかけてやろうとした瞬間――扉が勢いよく開け放たれドアベルの音がけたたましく店内に響き渡った。
「お邪魔します」
畏まったスーツ姿の
「奥様の命により貴方を拉致、お迎えに上がりました。おや……失礼、これはこれはお取り込み中でしたでしょうか。それとも事後でございますか?」
真顔で拉致と言い放った男は、感情が読み取れない表情でかけていたメガネを指で持ち上げると限りなくアウトな質問をぶつけてきた。
「いやいやいや、別に
かけてやるはずのタオルケットは宙を彷徨い、騒がしさに目を覚ましたノワールは欠伸をしながら正体不明の男に目を向けると、「オパル。どうしたの」と、さも知人に話しかけるように気安く男の名前を呼んだ。
「これはこれはノワールさん。ご機嫌いかがですか?」
「ん。最高。マチダはテクニシャン」
「待て、その言い方は誤解を産みかねない。ノワールはこの人を知ってるのか?」
「シーナ家の執事」
オパルという男は、どうやらシーナの実家で
「私の受けた命は、マチダ様を無事に目的地まで送り届けること。表に馬車をつけていますので今すぐ乗っていただけますか」
「いや、まだ営業中なんだけど……」
「なら閉店すればいいです。永遠にね」
何かにつけて態度が悪いオパルは、俺を迎えに来たというより喧嘩を売りに来たとしか思えない横柄な態度で、「拒否をするなら力づくでも連れていきますが」と拳を鳴らし始めた。
「オパル。アストラ学園の卒業生。魔法が得意な森妖精なのに近接攻撃も得意」
「物騒な話はやめてくれ。俺は喧嘩一つしたことないんだからな」
「ついてくるのか、それとも来ないのかお決めになりましたか?」
最初から選択肢が一つしかないのであれば、俺らそれを受け入れるしかない。
「わかったよ。取り敢えずついて行けばいいんだな」
考えもなしに返事をしなければよかったと、後になって後悔することとなることをこの時はまだ知らない。
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