第4話 来客
不承不承といった様子で店内に脚を踏み入れた少女に名前を尋ねるも、随分と上目線で名乗られた。
「見ず知らずの
「はあ、さいですか。シーナちゃんね」
「誰も『ちゃん』付けで呼んでいいとは許してませんわ」
家名とは日本で言う名字に当たるものなのか――。教えたくなければ無理強いはしないスタンスで会話を終了し、とりあえず他人行儀な言葉が苦手な俺にとって名前を知ることが出来ただけでも良しとした。
店内を物珍しそうに観察して落ち着きのないシーナをマッサージベッドの上に座らせ、お客様用の施術衣上下セットを手渡して「これに着替えてくれ」と伝えるとキョトンとした顔で首を傾げられた。
「この衣服にですか? 何故そのような命令を私が受けなくてはならないのですか」
「命令って……あのね、当店ではマッサージを受ける際に専用の衣服に着替えてもらう決まりなんだよ。まあ、オイルマッサージがご所望であれば上半身裸であってもいいんだけどね」
「は、は、裸⁉ わわわわかりました。いい今すぐききき着替えますから少しお待ちください!」
ニヤリと笑いながら冗談っぽく返すと、『ボンッ』とガスボンベが爆発するような音が聞こえシーナの頭から湯気が立っていた。忙しなく口を
「あ、着替え方はわかるかい? もし分からなかったら教えてあげるけど」
「結構ですので少々お待ちくださいっ!」
まさか男である俺が女性相手にオイルマッサージをするわけもないのだが、そのあたりの知識がなさそうなシーナは何を想像したのか、勢いよくカーテンを閉めるとすぐに衣擦れの音をたてて着替え始めた。
「脱いだ服はベッド下の
返事はない。なにやらデリカシーがないと不満を垂れている声が漏れ聞こえ、少しからかいすぎたかなと反省。
着替えが終わるまでの間に消毒手洗いを済ませ、ハンドタオルで水気を拭き取ると鏡に映る老けた顔をチェックする。客観的に見て接客業に向いているとは思えない男がじっと睨んでいた。髪はボサボサ――無精髭は伸びっぱなし――眉間には深いシワが刻まれている。なんとかシワが消えないか指先で伸ばしてみるも、離すと再びシワが寄ってしまう。
近頃金策ばかりに追われていて、最低限の身嗜みに気を遣う余裕もなかったことに今更気が付き、まずはシェーバーを手に取り汚らしい要素を削ぎ落としていく。
「こんな身なりじゃ馴染みの客だって離れていくわけだ」
髭を剃ったついでに伸びていた髪を手近にあったハサミで適当に切り揃え、再び鏡に映る自分をチェックして「こんなもんか」と準備を済ませた。
「そういえば、あの神と名乗っていた老人が語っていた話は、あながち嘘ではなさそうだな」
この世界の住人が慢性的な疲弊状態に陥っている――そりゃあ日本だって通勤電車に乗れば右も左も疲れ切った顔をした社会人で溢れかえっているが、この世界の住人はもっと根本的な部分で身体に問題を抱えている気がしてならなかった。
目抜き通りですれ違った人々の殆どは、身体の各部位が不自然に歪んでいることで全身のバランスが顕著に崩れているように窺えた。
それに、やたらと武器を携えた方達は何処かしら病気か、はたまた目に見えない怪我を抱えて無意識に患部を庇いながら歩いている姿も多く見受けられた。
中には人間の常識が通用しなさそうな種族も多いので一概に断定は出来ないが、基本的な体の構造に大きな違いはないよう二思えた。
「ちょっと、この私を待たせるなんて随分と失礼ではありませんか……あら、随分とさっぱりなさったんですね」
「この土地で初めて客を相手にするもんで、身嗜みだけはしっかりしておかないといけないと思って自分で切ったんだよ」
「いいんじゃないかしら。殿方はスッキリされてる方がよろしいですわよ」
以外にも高評価で、ふと見せた笑顔に振られたばかりの傷心アラサー男は不覚にもどきりとさせられてしまった。
「ま、
「それはどうもありがとう」
やはり高慢なことに変わりはない。
「それより着替えさせてどうなさるのですか?」
「そうだね、じゃあ先ずはベッドにうつ伏せに寝てもらえるかな」
「こ、こうですか?」
施術を受ける患者さんがうつ伏せになる際に顔をはめるフェイスホールに、恐る恐る小さな顔をはめ、普段通りに手首をつかんで持ち上げるとシーナは必死に振りほどいて怒鳴ってきた。
「な、な、何をするおつもりですか⁉ 私に触れていいのは生涯の伴侶となる殿方だけですよ!」
「いや、触れないとマッサージは出来ないし。疑問を解消したくてやってきたんじゃないのかな? それなら先ずは体験しないと何も判らずじまいだと思うけど」
「うう……貴方に言われなくても重々承知していますよ」
しばらく深呼吸を繰り返し、「コレはノーカン」と何度も呟いてようやく決心したシーナはどうぞお好きになさってくださいと体を強張らせ、今度こそ素直に横になった。
「ん? なんだ……この光は」
「ちょっと、覚悟を決めたんですから放置なさらないでくださいっ」
シーナの首筋から後頭部――そして側頭部へと緑色に淡く灯る光の筋が枝分かれして伸びていた。作務衣の裾から地肌が露わになっている腕や足も同様に光り、その線上のいたるところに強弱はあれど光る点が幾つも散らばっている。
間違いでなければ、人体に数百箇所存在する
「ちょっとごめん、背中を見させてもらってもいいかな」
「え? ちょ、な、なななにをなさってるんですかぁぁぁぁ!」
「やっぱりだ……コレは
「どうでもいいですので、背中を覗くのを一刻も早くやめてくださいまし!」
作務衣の襟首から無断で乙女の柔肌を覗いていた俺は、目尻に涙を浮かべて起き上がったシーナに思い切り頬を叩かれ、
「最低ですっ、貴方という人間を見損ないましたわ!」
「あ、ちょっと待ってくれ」
結局施術が出来ないまま怒り心頭のシーナにひたすら頭を下げたが、引き留めることは出来なかった。
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