第1話-4-

〈シング〉の背へと到達しようとしたまさにその瞬間、芋虫の先端がアラセに向かって折れ曲がり、〈瘴気〉を吐き出したのだ。


 それは銃弾の成り損ないで、アラセにしてみれば難なく避けられる程度の代物だったが、決定的な好機を敵に与えてしまった。


「クソッ! 野郎……ッ!」


 小脇を駆け抜けていった〈瘴気〉に煽られる形で、アラセはすぐ側のビルへ叩きつけられている。


 それしきの事で〈ヴァリアブル・フレーム〉は損傷しないが、人間であるアラセ本人はそうもいかない。


 頭蓋骨を衝撃が駆け抜け、相棒の視界に稲光いなびかりのような明滅が炸裂する。


 ――〈シング〉は、遂に地上へと降り立った。


 吾輩の聴覚は、人々の悲鳴を捉えている。


 奴が狙いを定めていたのは、アラセの乗っていた電車だ。


 言うまでもなく、車内には震える人間がひしめいている。


 折悪いことに、早朝の通勤ラッシュでその数は更に増えていた。


 この〈シング〉、通りを逃げ惑う手近な個人を襲うより、鉄の箱にぎっしり詰まった人間を殺害する方がお好みらしい。


 鉄橋にもたれかかった〈シング〉は血まみれの身体を脈打たせ、大きく仰け反った。


 大質量の肉体でもって、電車ごと叩き潰すつもりなのだ。


 遅々とした動きは、しかし無力な人間にとって、振り上げられた死神の鎌と映ったであろう。


 が、アラセにしてみれば、失態を返上するまたとない機会だった。


「待てコラ、テメエエエエッッ!」


 迸る怒号は、〈シング〉の横合いから蹴りの形を取って急襲した。


 突き出された両足が芋虫の胴体に深々と食い込み、〈シング〉の巨体はアラセの強引な突貫によって弾き飛ばされる。


 振り上げていた敵の全身は狙いを逸し、車列ではなく鉄橋の基盤を瓦解させながら地面に突っ伏した。


「とどめだ――!」


 ときをつくり、得物を掲げるアラセ。


 そこに、吾輩の差し迫った声が割り込んだ。


「上だ! 上を見ろ!」


 咄嗟に首を巡らしたアラセ。


 その顔へ濃い影が落ちてくる。


 それは、電車の先頭車両だった。


 基盤が破壊されたことによって、鉄橋の一部が崩落を始めているのだ。


 傾いたレールから勢いよく滑り落ちてくる車両を見て、アラセは声にならない悲鳴を上げた。


「――――ッ!!」


 ――無我夢中だったに違いない。


 アラセは鉄の塊を避けるでもあしらうでもなく、満身の力を込めて真正面から受け止めてしまった。


 驚くべきは、その無茶が成功したことだ。


 電車の表面と擦れ合う紅き〈ヴァリアブル・フレーム〉から、苦鳴のような軋みが響く。


 奥歯を割れんばかりに噛み締めたアラセは、苦しげな唸りをこぼした。


「いいところだったってのによお……。冗談じゃ、ねえぜ!」


 三基のスラスターは狂ったように炎を吐き出し続けている。


 が、さしものアラセでも、そう易々と車体を元の位置へ押し返すことはできないらしい。


 徐々に電車ごと上昇してはいるものの、ある意味空中に縫い止められたと言える。


 それを喜ぶ者がいるとすれば、この世にただ一体だけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る