第2話-1-
「さて、アラセ。約束の金を返してもらおうか?」
その少女は、ガラス窓から広く行き渡る街並みを眺めていた。
絨毯張りの床へ倒れ込んでいたアラセは、上体を持ち上げ、彼女の首筋をげんなりした面持ちで見つめる。
「無い」
相棒の返答は明瞭にして堂々たるものだ。
こちらを振り返った少女は、聡明さに満ち満ちた不気味なニヤケ面を浮かべていた。
アラセの言葉が面白おかしくてしょうがないらしい。
「なるほど、借りた金を返せないと。ああ、それは困った。これでは君を実験台にしてあんな事やこんな事をするしかないじゃないか。そうだ、そうしよう。今すぐやろう!」
ウキウキとした口調で懐に手を差し入れた少女。
アラセは、ぎょっとしたように、
「待ってくれ、ミナ! 返せないとは言ってない! ただ――今は手持ちが無いだけだ」
借金持ちの常套句を吐き出した。
〈シング〉との一戦後、気絶したアラセが連行されたのは、街の中心部にそびえ立つ白亜の城であった。
その最上階に位置する豪奢な一室。
相棒はそこで目を覚ました。
「おめでとう! 金が無いというその返事、今回で二四回目だ。これは二四回、君を自由にできるということかなぁ? 拡張器をどこへやったかな……」
そんなアラセへ開口一番、金の返還を要請する少女の名は――近衛ミナ。
アラセとは浅からぬ縁を持つ、この巨城の若き主だ。
またの肩書を〈ヴァリアブル・フレーム〉の探求者。
年齢はアラセと同じ十七歳。
しかしながら、そこから十つほど歳を引いたとしか思えない外見をしている。
もっとも、理知的に吊り上がる口端とどことなく婀娜っぽい仕草のせいで、幼げな風情は微塵も感じられないが。
「か、拡張器? ……お前、何考えてんだ? ちょっと嫌な想像しか出来ないんだけど!」
「君はボクに何億借りてると思ってるんだい? まあ、大丈夫。痛くしないよ……」
懐中を怪しげにまさぐり、しゃなりしゃなりとミナがこちらへ歩み寄ってくる。
アラセは青い顔で逃げ出そうと腰を浮かしかけた。
が、腕にも足にも力が上手く入らないのか、ストンとへたり込んでしまう。
気を失ったショックから肉体が覚醒しきっていないのだ。
戦々恐々とする相棒の眼前に至ったミナは、膝を折るや、いきなり彼の胸へ抱きついた。
目を閉じ、感じ入るようにアラセの胸郭へ頬擦りする。
小振りな唇を耳朶へ寄せ、うっとりと、
「……君の身体はボクのものなんだ。ちゃんと分かってるのかい?」
とても少女とは思えない、意味ありげな吐息をついた。
……毎度のことながら、何とも奇天烈過ぎる人物である。
これが当代一の天才だと世間で評判なのだから、浮世の考えることはわからない。
「――ベタベタすんじゃねえよ! 離れろっ!」
自身の胸へ顔を埋める幼女にアラセは毒づく。
微妙に名残惜しげなのは、こいつが助平だからに他ならない。
吾輩には、こいつが口ぶりほど嫌がっていないことが手に取るように分かっていた。
まったく、不埒な男め。
――そこに。
折悪く、部屋の扉を押し開けた者がいる。
静かに踏み入って来た人影は密着したアラセとミナを冷淡な眼差しで捉えた。
引き結ばれた口もとが侮蔑の念を露わにしている。
「――あっ! お前……」
蝶番が響く方向へ、アラセは思わず二度見してしまった。
驚きの声である。
見知った美しい顔が、そこにあったからだ。
続いて、ミナが得体の知れない含み笑いをこぼす。
「やあやあ、カナエ。時間通りのご到着だね。結構、結構」
満足げに頷く彼女は、ようようアラセの身体を解放した。
あぐらを掻いたまま動けないアラセの背へもたれかかり、近づいて来る白銀の美少女――カナエという名らしい――を見上げる。
「悪いねぇ、朝から〈シング〉の相手なんかさせちゃって。それで、首尾はどうだい?」
「問題ないわ。あれから動かくなっただけだから。包囲自体は簡単だった。〈瘴気〉も認められない。周辺住民への勧告も終わってる」
美少女は事務的な口調で告げた。
ミナはニコリと笑窪を深くし、
「うーん、ありがたいなぁ。一般人の退避とか、敵の確保とか、フレーム使いはやっぱり有能だねぇ。そうだ、特別報酬を振り込んでおくよ。構わないね?」
「どうでもいいわ、そんなこと。――それより、戻ってもいいかしら?」
すげなく肩をすくめるカナエは、アラセへ視線を合わせようとしなかった。
この場から一秒でも早く立ち去りたい、という願望がその横顔に漂っている。
「まあ、待ちたまえよ。カナエに聞きたいことがあるんだ。ボクの情報網に興味深いトピックスが上がってきてね。君はこの――」
ミナの小さな掌が、アラセの頭をぽんぽん叩いた。
「アラセと知り合いだというのは本当かい?」
「――知らないわ、そんな色情狂でクズの変質者なんて」
ありたっけの反感を込めて、カナエはじろりと相棒を睨み付ける。
ようやく、身体に力が戻り始めたか、アラセはミナの短躯を押しのけながら、
「おい、それは言い過ぎだぞ。変質者は止めろ。助けてやったんだからそんなに怒んなよ」
頬を歪めて立ち上がった。
カナエは、冷淡に目をすえ、
「助けられてない。むしろ、助けたのは私。あなたは勝手に暴れ回っただけ」
「お前が邪魔しなけりゃ、あんなデカブツちょちょいのちょいだった」
「邪魔だったのはそっち。あなたは、私のサポートに回るべきだった」
「サポートだぁ? この野郎! あいつは俺の獲物だ!」
アラセとカナエの瞳がバリバリと火花を散らす。
この美少女、案外強情っぱりというか、血気盛んというか、見た目の美麗さほど柔らかく落ち着いた性格ではないらしい。
吾輩基準で言わせてもらえば――少しばかりアラセに似ている。
「いやぁ羨ましい関係性だね。二人の馴れ初めを訊いてもよろしい?」
皮肉っぽい物言いで、備え付けのソファへ腰を落ち着けたミナが二人に水を向けた。
少々、第三者に白状するには抵抗のある話題に違いない。
少なくともアラセにとっては。
「今日の朝――電車で会った。それだけ」
「本当かい、カナエ?」
「全てを語ってないから嘘つきよ。こいつは、私の胸を弄んで逃げた卑劣漢だわ」
歯に衣着せぬ告発に、アラセは唸り、ミナは笑った。
「いやはや、それはなんとも! しかし、どうしてそんな事態に?」
「女性専用車両で眠りこけてたのよ。注意した私に、こいつは人目もはばからず襲いかかったわ」
「襲ってねえよ! 誤解を招く言い方はやめろ。それに、女性専用なんて知らなかった!」
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