第2話-3-

「まあ、そう怒らないで頼むよ。カナエは人見知りだから、こうやって言ってあげてる訳さ」


 彼女の性悪――もとい悪ふざけを楽しむ心根はすでに知悉しているのか、カナエは目頭を押さえて自制心を総動員させている。


「……必要ない。それより、そろそろ戻っても構わないかしら? 私も授業があるから暇じゃないの」


「いやいや、もう一つ君と語り合いたい話題があるのさ。それに、あーんなぬるい授業、君の役には立たないしねぇ」


「…………」


 奔放な言を繰り返すミナには、さすがのカナエも主導権を握れないようだった。


 呆れた様子で首を小さく振り、


「手早く終わらせて」


「承知した。なに、そう小難しい話じゃないさ。今朝、君とアラセが相手にした〈シング〉のことについてなんだけどね。こいつだろう? 件の輩は」


 ミナはソファの上に投げ出されていた機械端末を操作する。


 微かな機動音とともに青白い立体電子映像が我々の視界に現れた。


 ホログラムである。


 中空へ浮かび上がった映像は、今は動かぬ巨大芋虫を表示していた。


「新種の〈シング〉――ということは、君も分っているはず。そこで、君の考えを聴きたい。どう思うね、奴さんを」


「唯一の疑問は、突然街中に敵が現れたこと。どうしてそうなったのか、理由が分からない。警備隊は一体何をしていたの?」


「残念ながら、彼ら彼女らも気づかなかったのさ。なにせ、地中から現れたようだからね。こいつ、地下防壁を突破するほどの〈瘴気〉だったのかい?」


「いえ、むしろ〈瘴気〉は少なかった。大きさだけが取り柄みたいな奴だったから――」


 なにやら話し込む二人。


 こういう会話に興味の持てないアラセは、ぽつねんと手持ち無沙汰気味に窓際へ下っている。


 吾輩としては、彼も立派な当事者――〈シング〉の誉れある撃退者なのだからきっちり彼女たちの会話に入り、自身の意見を告げてもらいたいのだが。


 ――まあ、期待するだけ無駄というものだ。


 アラセの瞳はすでに窓外の景観へ移っていた。


 ぼんやりとした視線が映しているのは、高層ビルの群れ、それよりも低い集合住宅の群れ、それらの傍らを駆ける電車の群れ、街の警戒に勤しむ〈ヴァリアブル・フレーム〉使いの群れ、人の群れ、群れ、群れ、群れ。


 人の世は常に群れで形作られる。


 生きるとは、つまり群れなすことなのだ。


 吾輩の思考は、人間の生という興味深くも単純な概念に馳せられていた。


 アラセにも、吾輩と同じように考えてもらいたい。


 なぜだか、そう思う。


 もっとも、そもそもそういう知的好奇心に心動かされる男ではない。


 感受性が鈍いのではなく、単純にアホなのだ。


 彼の好奇心は、近くの少女二人よりも、遠くの誰かに向かっていた。


 見るともなく景色を一望していたアラセは、不意に首を伸ばして、


「――おっ!」


 小さく口中で声を上げる。


「どうした、アラセ?」


「見てみろよ、あれ。ヤバそうだぜ」


 顎をしゃくって眼下を指し示すアラセ。


 吾輩は、彼の視線を辿り、とある一点へ注目した。


 そこは、この学園城が保有するグラウンドだった。


 城壁に囲まれ、緑色の芝生が敷き詰められた広く明るい空き地。


 ちょうど、揃いの体操着に身を包んだ少女たちが、〈ヴァリアブル・フレーム〉の演習に励んでいるところだった。


 この学園城は、〈ヴァリアブル・フレーム〉使いを育成する機関でもあるのだから、彼女たちの存在は不思議ではない。


 不思議なのは、グラウンドを縦横無尽に駆けめぐる一人の女生徒である。


 否、吾輩は自身の認識をすぐに改めた。


 駆けめぐっているというのは語弊がある。


 振り回されているのだ。


 吾輩の強化された視覚機能は、激しく揺さぶられる女生徒の泣き顔を克明に捉えていた。


 制御できぬ〈ヴァリアブル・フレーム〉にほうほうの態、といったところか。


〈ヴァリアブル・フレーム〉を身に纏えるが才能のない者が陥る典型例である。


 手助けする者はいない。


 というより、助けたくてもできないのだ。


 あまりに激しく飛び回るものだから、周囲の生徒たちは為す術もなくひと固まりになって硬直している。


 徒党を組んで抑えつければ、いかに暴れていようとも御しきるのは容易いだろうに、誰も無用な危険は冒したくないということか。


「しょうがねえな」


 ――女生徒の窮状きゅうじょうに対し、アラセの反応は素早かった。


 ひらりと窓辺に立つや、分厚いガラスを押し開ける。


 とたん、気圧差で生じた気流が部屋内をかき乱し、机の上に置いてあったプリントアウトが舞い上がった。


 何事かとこちらを振り返ったカナエとミナは、当然疑念の表情である。


 窓枠へ足をかけたアラセに向かって、


「いったいどうしたんだい? まさか、逃げるつもりじゃないだろうね? 借金については、カナエと話しが終った後じっくり詰めるつもりなんだが」


 抜け目なくそう言うミナを見やり、アラセは眉を上げた。


「失敬な、誰が逃げるもんか。いつでも正々堂々なのが俺だ。これから人助けに行ってくるんだよ」


 いけしゃあしゃあとうそぶいたかと思えば、彼は躊躇いなく窓から身を躍らせる。


 視界から、ミナとカナエの美しい顔立ちが消えた。


 アラセを包み込んだのは、渦を巻くような激しい大気の奔流だった。


 顔面を叩く鋭い寒風に相棒は目を細める。


「本当は逃げる気満々のくせに」


 我輩の声は、骨伝導として相棒の脳に直接届いた。


「あわよくば、だよっ!」

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