魔法使い見習いMの宝箱

目 のらりん

第1話 静かな雨の夜の怪盗紳士

 Mのことを彼女の同級生に尋ねたら、みんな、口を揃えていうだろう。


「彼女、わるいやつじゃないんだけど、まあ、成績はあまりよくないね」


 実際、性格の方はさておき、成績が振るわないのは事実だった。幼い頃から魔法がだいすきで、自分なりに一生懸命勉強もしてみたりしたのだけど、どうもその結果は芳しくない。


 二回の留年と、それからたくさんの退学の危機を経て、それでも魔法学校に残り続けたのは、ひとえに自分が選んだ道への執着心と、なおも残った「まあ、勉強、たのしいし」と諦めまじりの楽観ゆえだ。それから、彼女の両親が、自分の子どもに対して非常に寛大だったからでもある。


 そんなわけで今日も、自分よりも一回りも若い同級生たちに囲まれながら、彼女はのんびり勉強にいそしんでいる。彼女は、自分の人生がどうしようもないものであることを自覚しているけれど、そんなに嫌いじゃなかった。




 分厚い雲が空を覆ってしまったある秋の晩。

 雨がしとしと降っていたので、Mはパーティの誘いを断り、一人研究室兼自室でのんびりすることにした。


 Mは魔法学校から一時間ほどのところにあるアパートに下宿していて、大家と一緒に住んでいる。この大家というのは、今でこそまったく関係のない職種についているものの、若い頃には言語魔法の勉強にいそしみ、東洋の陰陽道についての研究なんかもしていたらしい。もしかしたら、彼の話をする機会がいずれ来るかもしれないが、とにかく、Mはこの大家の家にもう、かれこれ三年くらいは住んでいた。


 全部で居間やキッチン、風呂場を除くと他に四部屋も部屋があるのに、住人が出たり入ったりして、もうけっこう長い間、二人だけで暮らしている。Mにはその四部屋のうちの一室が、研究室兼自室として割り当てられていた。このたくさんの時間を無為に過ごす部屋を、べつに『研究室』とわざわざいう必要もないのだけれども、ただの『ガラクタをたくさん集めた部屋』よりも『研究室兼自室』とした方がかっこいいので、Mはわざわざそう呼んでいる。それに研究しようと思えば、魔法はどこででも研究できなくもないのだから、まったくのウソでもない。


 そう、Mの研究室はじつにたくさんのガラクタで溢れている。

 ドライフラワー、油絵、彫刻刀、本棚にはたくさんの本。雑然としているけれど、片付いていないわけでもない。そのどれもがMのたいせつな宝物であるけれど、きっとそのことを本当にわかってくれる人はそんなにいないだろう。ほとんどのものに金銭的な価値はない。それでもMは乾燥した花やハンドクリームのやさしい香りが入り混じったこの部屋で過ごすことが、心地よくてとても好きで、ときどき人を招待したりする。


 せわしない金曜日の夜。

 きっとパーティで飲み明かしているだろう友人たちを想いながら、Mはベッドの上でのんびり本を読んでいた。『心を閉ざした石に口を割らせる方法』という題名の、いつ使えるんだか分からないような魔法の取り扱い方が書かれている。

 雨粒が窓にぶつかるその音が、とても気持ち良くて、なんだか夢見ごこちだった。


 だから、コンコンと窓をノックする音を聞き逃してしまったのも不思議ではなかった。最初はためらいがちに叩かれていたそれが、いら立ちまじりにどんどんと強い調子になって初めてMはだれかが外から窓を叩いていることに気がつき、そこに目をやった。


「え…、やだ」


 Mは唖然とした。

 見ると、アパートの三階の高さの窓に、大の大人の男がへばりつくようにしているではないか。モノクルにハットまで被った古典的で、そしてとても奇妙な出でたちだ。風で背に取り付けられた黒いマントがたなびいている。


 変質者かと思って身構えたMは、かなり必死の形相で窓枠にすがりつくこの男に、どうしたらいいか戸惑った。一応、尋ねる。


「あ、あの…、窓、開けましょうか?」

「た、助けて、…はやく」


 蚊の鳴くような声に、Mは、この変質者がいずれ雨に足をとられて転落する可能性と、自分が危険に遭う可能性と、両方を天秤にかけて、そのままにしておきたい気持ちにかられながらも、しぶしぶ窓を開けた。


「あの、なにしてるんです?」


 室内に転がり込んできて、ぜいぜいと辛そうに床に膝をついて呼吸をするこの不審な紳士を、見守る。


「ちくしょう、やられた。あの探偵め」


 彼の方は、なにやら訳の分からないことをいうと、シャンと立ち上がった。

 窓枠に張り付いていた時に感じていたよりも、だいぶ大柄だったらしい。まるで長ネギのようなのっぽにMは見上げるハメになった。


「いやあ、お嬢さん。助けていただいて、ありがとう」

「いえあの、助けるというほどのことは、していませんが…」


 差し出された握手に、おそるおそる応えながら、


「仮装大会?」


 聞いてみると、


「それは、ちがいますぞ」


 ピシャリと憤慨したように遮られてしまった。


「これは古典的で奥ゆかしい怪盗の正装ですぞ。そのへんのチンピラと一緒にしてもらっては困る」


 モノクルにハットとチンピラの突然の関係性に戸惑いながら、Mは頷いた。

 おじさんと言い切るにはまだ幾分か猶予がありそうな、この不審な紳士になんて呼びかけていいか戸惑いながら、一応、玄関を指さしてみた。


「あの、出口なら、あっちです」

「おお、これはありがとう。いつまでもここにいたら迷惑がかかってしまうからな。よし、お嬢さん。探偵のやつがここに来たら、こう伝えなさい。『おまえのお宝はいただいた』とな。どれどれ、あいつの悔しがる姿が目に浮かぶようだ」

「はあ…」


 口早にペラペラと喋ると満足したのか、不審な紳士はMが指差した方へと向かう。

 それにMが安堵したのも束の間、なぜか不審な紳士は急に方向転換し、猛然たる勢いで戻ってきた。


「ひいっ…!」


 その勢いにMが慄くと、


「いかんいかん。礼をするのを忘れておった」


 と紳士が胸元からなにやら取り出し、Mに差し出す。

 指さきでつまむには、大きすぎるその物体を受け取る。『小型英字辞書』。表面にはそう記されている。


「本…?」


 というには些か重すぎるそれに、紳士は首をよこに振った。


「いいや、お嬢さん。それは魔法のかかった宝箱だよ」


 紳士が、本来ページがあるはずの部分をめくってみせる。そこは、空洞になっていた。Mが覗き込むと、ばらの香りと、それから雨の匂いがした。


「お嬢さん。この宝箱にきれいなものを集めなさい。魔法がかかっているから、好きなだけ詰め込める」

「はあ、どうして?」

「人生とはそういうものだからだ」


 そんな分かるような、分からないようなことを言うと、今度こそ紳士は満足したようで、頷き、


「それでは、また。ちょうど一年後に会おうではないか」


 とシルクハットを傾けて見せた。

 それから呼び止める間もなく、玄関へと駆け抜けて行く。


 Mの手元に残されたのは、両手にずっしりした小さい宝箱と、窓から玄関へと続くしめった風の通り道、それから怪盗の高笑いの残滓だけだった。

 こうして、Mはなんでなのか、どうしてなのか、理由も、目的もとくにないまま、この宝箱に煌くものをためてみることにした。

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