第12話 一つ目のいきもの

 正六面体の箱がある。その中は空洞だ。ただ一匹の生物がその中にはいた。その狭い空間は、その生物にとって身動きするのがやっとであり、そのためしょっちゅう生物は眠りについていた。


 目を覚ますと、呼吸をし、そしてまた眠りにつく。なんの干渉も受けない、なにも起きない、しずかな空間には、ただその生き物の呼吸音だけが聞こえる。


 そのなにもすることがない空間で、やがて生き物は楽しみを見出した。外の世界を観察するのだ。そうやって、その生き物は『生活を営む』というのがどういうことなのか、学んでいった。


 世界はいろんなもので溢れていた。

 空は高く、海は深い。

 風とともに朝日は昇り、世界を照らしては、夜になると地に潜る。

 そこには生き物のサイクルがあった。

 野山を駆け回る風に揺らされる草花。自由に水の中を泳ぎ回る魚。

 親は子を慈しみ、子は親を慕う。

 子が長じると、仲間を作り、広い世界へと飛び出す。

 彼らには多くの制約があり、同時に自由だった。


 これら生き物の中で、とりわけヘンテコなのが人間だった。彼らは自分と他者を区別するために、社会的身分で自分たちを選り分けている。

 男。女。母親。父親。子供。

 王様。貴族。農民。貧民。肌の色のちがい。


 ときおり、争いが起きて人が人を殺す。そうでないときも殺したりする。そして、それと同じくらいにだれかを想い、想われている。

 どれもこれも風変わりでおもしろいものだった。

 中には、突出している個体もいる。

 世界のあちこちを旅する旅人。

 なにもかもを知ろうとする研究者。

 富をえるのに懸命な商人。

 落ちこぼれて変わらない日常をいつまでも送る学生。

 生物は、かれらを好んで見ていた。


 やがて、彼らの物語を、その小さな箱の中に好んで収集するようになった。悲しく、楽しく、面白く、切ない物語。どんな物語でも好んで集めた。

 そうしたら、どんどんそれらは場所をとるようになっていて、生物のための場所がなくなってしまった。生物は困った。


「このまま収集を続けていたら、ここはパンクしてしまう。そうしたらボクはどうしたらいいんだろう」


 箱を拡張すればいいんだろうか。

 ぺたり、と壁面に触れてみるけれど、壁は硬く、つめたく、とてもそんなことはできそうになかった。

 困り果てた生物は、そこで初めてあることに気がついた。


「それならボクがここから出て行けばいいんじゃないかな」


 しかし、その正六面体には出口がなかった。

 生物はすみからすみまで出口を探してみるけれど、とてもそんな場所はありそうにない。がっかりして落ち込む生物は、昔とある人間の男がトンネルを掘っていたことを思い出した。


 自分でもできるかもしれない。

 それを参考に、ぽんとスプーンを生み出すと、それを手に壁に穴を掘ることにした。試しに壁をがりと削ってみる。白い粉が出た。

 それから生物は壁を掘りすすめた。

 朝も昼も夜もなく、ひたすら掘った。

 箱の中にがり、がり、という穴を掘る音だけが響く。

 いつの間にか、人間の活動を見守ることも忘れていた。


 一心不乱に掘り進めて、いったい、どれだけの時間が経ったのかは分からない。薄いように思われていた壁は、存外分厚く、穴はまるでトンネルのようになっていた。

 ある時、ポコ、と音を立てて、スプーンが壁の向こう側に突き抜けた。


「やった! やったぞ!」


 ついに生物は壁を破ることに成功したのだった。

 生物が通り抜けられるくらいの穴がようやくあき、生物は身を潜り込ませ、向こう側まで通り抜けた。

 そこは野草が生い茂り、清流の小川が流れる場所だった。


 そして、生物と同じような生き物が他に二匹、いた。


「やあ。こんにちは」


 生物が挨拶すると、ほかの生き物も同じように返した。


「やあ、こんにちは。ここでなにをしているんだい?」

「ボクはちょうど穴を通り抜けてきたところなのさ」

「そうかい。キミもなのか。実はボクもそうなんだ。そうしたらここにたどり着いた」

「そうか。ここは今までボクがいたところに比べるといいところだね」

「川がある。草がある。はじめてみた」

「そうだね。その通りだ」


 彼らは、首をぐるりと回す。


「でも、ここもまだ箱の中なんだね」


 小川も草も今まで生物がいたところより、何十倍にも大きな箱に囲まれていた。


「そうだね、そうなんだね」


 それから彼らは目を見合わせて、笑った。

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