第3話 ピエロがくれたバラ
午後一時。
Mは暇を感じた。だから友達の太陽ちゃんとクレープを食べにいくことにした。
太陽ちゃんというのは、かれこれ五年くらい前に知り合った友達の一人で、森の中に住み、動植物と暮らしている女の子だ。魔女のように自然と調和し、質素な暮らしぶりをしているけれど、べつに魔女ではない。趣味は鳥を眺めることらしい。
太陽という名前にふさわしく波打つようなきれいな赤毛をしていて、穏やかで控えめな微笑みは月のように穏やかだ。
最初、Mと太陽ちゃんはまるで仲良くなかった。
Mはいい加減な性格だから、友人といえば、奇妙なものに引き寄せられるもの好きな人か、街の出身でなく異人であるMに興味を持つ人のどちらかだった。そんな後者のタイプの友人の一人に、金髪に碧眼のほっそりしたお姫さまのような女の子がいて、実際に貴族の出なのだけれど、その彼女の友達が太陽ちゃんだったのだ。
出会った当初、Mとお姫さま、太陽ちゃんは同じ学生寮に住んでいた。その寮で、お姫さまと太陽ちゃんは常に行動を共にしていた。みた事ないものや、知らない文化に引き寄せられるお姫さまのそばで、太陽ちゃんはまるでひっそり付き従っている有能な侍女という塩梅だった。
マメなお姫さまは、お互いが寮を出てからもMとコンタクトを取り続け、ある時から会うときには、そこに太陽ちゃんも混ざるようになった。
異人のMにまったく興味がないようだった太陽ちゃんだけど、ある日、Mの家で三人でお茶をしていたらお姫さまが先に抜ける事になり、結果、Mと二人だけ残された。
てっきりお姫さまが帰ったら彼女も帰るものだと思っていたMは、念のため「お茶、飲んでく?」と聞いてみたら、「うん」と返ってきたものだからびっくりした。
マンゴーの香りがするお茶を飲みながら、好きなお菓子の話をして過ごした。静かな午後のお茶会だった。そして、帰り際、「また会おうよ」と言われたものだから、もっとびっくりした。
そんなわけで、その日以来、時折、お互いの気が向いた時に、太陽ちゃんとMは会うことになった。
Mがクレープ店に着くと、すでに到着していた太陽ちゃんが手を振っている。
「待った?」
「ううん、今きたとこ」
テラス席につくと、陽気な店員さんが注文をとりにきた。
「やあ、お嬢さんたち。愛してるよ! 注文は決まった?」
そんな軽いノリにクスクス笑い、それぞれシュガーバターのクレープを注文する。
それからたわいもない会話を二人はした。
たとえば、Mが最近、牡蠣を食べていて、これはなにかに使えるのではないかと思って、貝殻から真珠層を掘り出してみたこと。
これは実に楽しい作業だった。
貝の汚れをお酢で溶かし、ブラシで擦り、それから表面を彫刻刀で削るのだ。
しゅるしゅると細かい粉末が出てくるのがとても気持ちいい。そのうち、貝の層のツルツルした部分だけが残る。その削り出した部分をなにに使うのかはまだ決まってないけれど、簡単に没頭できる単純な作業は楽しくて、一日を費やした。
じつに贅沢な時間の過ごし方だったとMは思っている。
太陽ちゃんの方は、彼女のすきな鳥の話をしてくれた。
彼女の住んでいる森をさらに奥にすすむと、湖があるらしい。
そこは鳥の楽園ともいうべき場所で、さまざまな種類の鳥がいるんだそうだ。カワセミがどんなに細かく翼を動かし、艶やかな羽を持っているのか。黒鳥や白鳥のカップルの様子。鴨の性別の見分け方。朝焼けの中、飛ぶ鳥たちのうつくしさ。
太陽ちゃんは、Mの知らないことをたくさん知っている。すごいなあ、と思った。同時に、『貝殻を上手に削る方法』を誇らしく話したことにすこし恥ずかしくなった。
それから太陽ちゃんは、旧王宮の畑で育てられている野菜の話をする。なんでも、そこでは葡萄のほかに、あたらしく瓜を大量に植え始めたのだそうだ。それが育ちすぎて、とんでもない大きさになっているらしい。育ちすぎた瓜はまずい、と太陽ちゃんが顔をしかめる。
通りを往来するピエロが、二人にバラの花束を差し出した。
「お嬢さんたち、バラはいかが?」
そう言って花束を差し出す。
Mたちは首をよこに振って拒絶した。
「ごめんなさい。そんなにお金持ってないの」
断り文句に立ち去るかと思われたピエロは、意外そうに声を上げる。
「あれ、そうなんだあ。じゃあ、特別にあげるよ」
「え、どうして?」
「なんとなくそういう気分だからさ! 今日はいいことが起こりそうな気がするんだ」
そう言ってMと太陽ちゃんそれぞれにバラを一輪ずつ渡すと、ピエロは上機嫌に去っていった。渡された真っ赤なバラに鼻を近づけると、花の柔らかな香りがする。Mと太陽ちゃんは顔を見合わせ、肩を竦めた。
クレープを食べ終わり、二人は散歩をすることにした。
特にあてもなく街をふらふらと歩く。
白塗りの建物が多い一画を抜け、街の中心を流れる河に辿りついた。
寒さにまだ猶予のある季節だから、川沿いでは学生やカップルが腰を下ろして酒盛りをしている。その脇の遊歩道を二人は並んで歩いた。
河は目視できる限り、ずっと続いていて、どこまでも歩いて行けそうな気分になる。けれど、Mは学校から宿題が出されていることを思い出した。どこまでも行きたいのなら、宿題をこなさなければいけない。
Mは大聖堂の前で太陽ちゃんと別れると、家に戻るために路面電車に乗り込んだ。
電車に揺られながらずっと手に持っていたバラの匂いを嗅いでみると。遠い未来を予感させる香りがした。
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