第4話 魔術試験で演習場を破壊する

 半分空欄の答案用紙が回収されて、キルシュは頭を抱えた。


「はぁ……おわった」


 残りの実技試験を、非常に不本意だが全力でやるしかない——筆記試験会場を出て玄関広間の喧噪が沈む。


 人垣が割れて、はやくも取り巻きに囲まれ居心地悪そうなエシレ姉。


「キィくん、どうだった?」

「……」

「大丈夫。しっかりお昼を食べて、実技試験で挽回よ」


 元気のない弟の手を引いて、エシレは学院の食堂へ向かった。



 木漏れ日が落ちる庭に張り出した席を占めて、小皿がずらりと並ぶ。


「キィくん、食事の時は頭巾を払って。そう、いい子ね」


 エシレは取り巻きたちに笑顔を配り、


「いただきます」


 キルシュもスープを一口——悲惨な筆記試験の結果を思うと食欲はないけれど。

 取り巻きたちは食事をよそに自己紹介から、エシレ姉に質問を始めた。

 エシレ姉は愛想笑い、魔窟の底から聖剣を回収した冒険を語ることはできず。

 それでも、取り巻きたちは満足げに頷き本題へ。


「エシレさまが剣聖に選ばれると、噂がすごいんです」

「あはは、どうかしら」

「俺たちは、最後の王選候補のエシレさまに絶対忠誠を誓います。なんなりと申しつけください」

「……ちょっと、怖い」


 欲望を隠しなさい、エシレさまがドン引きよ——乾いた笑い。


 肉汁あふれるパイ包みを頬張りながら、キルシュは思う。


 ——学院の中で将来を掛けた貴族ごっこ、僕は友達を作れるのかな。


 赤髪の少女が、小さく手をあげた。


「エシレさま、凛々しい妹さまを紹介してくださいまし」

「キィくん、ほら」

「……」


 肘でつつかれ、キルシュは一同を見回し、


「キルシュ、十三歳、服装はこんなですが、僕は男です」


 ——え、嘘。

 ——なるほどな、あの力強い剣捌きは。

 ——ふふふ、可愛い。


「キルシュさま、すごく格好良かったです。ライオル先輩を圧倒した——もが、もががっ」


 慌てて、隣の男子学生が少女の口をふさいだ。

 ひろがる堅い足音に、食堂は静まりかえり。


「どうも臭うと思ったら、平民であったか」


 エシレの取り巻きたちは、弾けるような立席から黙礼。


「おや、そこの平民どもには、高貴な声が聞こえぬと見える」


 背中越しの温度のない声に滲む愉悦、キルシュは懐の魔杖を握った。

 ずん、と腹底に魔力が雪崩れ込み。

 弟に続き、エシレも慌てて席を立つ。

 キルシュは体ごと向き直り、


「どなたかは存じませんが、編入試験の続きがあるので失礼します」

「お前、失礼にもほどがある。こちらのお方は、四大侯爵家の子息であらせられるハルツァー・アウスレーゼさまだ」


 制服を着崩し気障をまとう男は、焦げ茶の髪をかきあげた。


「貴様、珍奇な魔術の不意打ちでライオルを倒したそうだな」

「命のやり取りに待ったはないと思いますが」


 エシレと同じく帯剣の、鋭い目が吊り上がった。


「調子に乗るなよ、平民。貴様が編入したら、百撃の剣で蜂の巣にしてくれる」

「ひとつ警告するよ。僕らに挑もうとするな」


 気障男は鼻先で嗤って、左胸を飾る一輪を放った。


「おっと、わたしとしたことが大切な杖を落としてしまった。そこの平民、拾いたまえ」


 ささやかに行く手を遮る白薔薇——黒衣を鼻先まで引き下げ、キルシュは歩き出す。


 交差の刹那、鞘走る音。


 キルシュは腹底の魔力を解放。


 絶速——時は沈黙、海底に沈んだ客船のような暗い食堂が揺らめく。泡立つ氷の片手剣を手に。


 剣閃を弾く音が、高い天井で跳ね返った。


「なにぃ!」


 キルシュは薙ぎ払いの一閃。


 気障男の両手から抜けた剣が床で踊る。


 キルシュは驚愕の顔に剣尖を突きつけて、


「姉さま、そいつの剣を」


 その意味に気がついて、ゆがんだ顔は声を荒げた。


「触るな、平民! その剣に指先一本でも触れたら、貴様が退学だ!」


 さっきの奴といい、コイツらは自分が法なのかよ——キルシュは気障男の喉元に凍剣を押しつけた。


「い、痛い、痛い、いたい、あーっ、あーっ——」

「キィくん、落ち着いて。気持ちはわかるけど、次の試験に遅れるよ」


 そうだった——キルシュは凍剣を下げた。


「貴様、貴様、きさま、高貴のオレさまを傷をつけたな、絶対にゆ——」


 キルシュは、気障男の頭を凍剣で横殴り。

 倒れる人影に一瞥もくれず、静かに割れた人垣の花道をゆく。


 もう、敵ばっかり作って、わたしはどうなるのよ——エシレは両手に余る弟の背を追いかける。



 キルシュは魔術の試験会場へと続く石段を降りた。

 学院の裏手にひろがる演習場、巨大な土人形がまばらに徘徊している。


 机の上に水晶玉と書類の束、椅子に腰掛ける横柄な試験官の説明を聞く。


 制限時間内で魔術の一撃だけ、命中箇所と威力と詠唱時間で総合判定する。


「——杖も買えない平民、せいぜい頑張りたまえ。では始め」


 筆記試験の不出来を取り戻す、そして絶対に合格するんだ——キルシュは懐に手を滑らせた。


 魔杖を握ると腹底に雪崩れる圧倒的な魔力——不敵な笑みがキルシュの唇を掠め。


 試験官は振動を始めた水晶玉を両手で押さえつける。


「な、なんだ? 地震か?」


 まだ、まだだ、一撃であの土人形どもを殲滅するんだ——キルシュは、腹底で魔力を燃やし続け。


 高台から離れて見守るエシレ一行は、急に陰る陽光に天を仰いだ。


「な、なによ。あれ」


 空を埋めつくす氷杭、エシレは木柵に飛びつく。


「キィくん、だめーっ!」


 演習場に並ぶ机の、全ての水晶玉が爆発。

 キルシュは茫漠の魔力を解放し。


 撃った。


 エシレの絶叫を呑み込んで轟音、大地がうねる。


「うわぁあああー」


 高台へと、悲鳴が全力疾走。

 猛る土砂の帳は引いて、深く抉られた大地の底に突き刺さる数多の氷杭がうすく光り。


 キルシュは、あたりを見回して——石段を駆け下り叫ぶ姉さま一人だけ。


「えっと……僕の採点は」



 なんだか慌ただしい学院を横切り、キルシュは最後の剣術試験の控え室に足を踏み入れた。

 見回すと、幼さが残る面差しの受験生たち。

 ある者は壁につぶやき、ある者は震えていた。

 ただ一人、泰然とした少年の微笑みから目をそらし、


 僕も彼らと変わらない——筆記試験はボロボロ、魔術の試験は肝心の試験官がどこかに消えて。


 剣術試験に、生まれて十三年を打ち込むんだ。


「64番、準備しろ」

「はい」


 係員の後に続いて、キルシュは暗い長廊を抜けた。

 歓声が降ってくる円形の闘技場を四等分の、木剣の打ち合い。


「木剣はどうした。ないなら貸し出すぞ」

「いえ、試験直前に用意します」

「駄目だ。安全規則に従い今すぐ用意しろ、でなければ失格だ」


 キルシュは鼻先で小さく嗤い、懐の蔓薔薇の杖を握る。


「兄上、あいつだ。あいつがオレをいきなり殴ったんだ」


 キルシュは振り仰いだ。

 客席の手すりから身を乗り出して頭に包帯を巻いた焦げ茶の髪の突きつける指先。


「女の子に遅れを取るとは、なさけない」


 闘技場の壁から背を離し、帯剣の男がゆっくりと近づいてくる。


 キルシュは腹底の魔力を解放、しゅるしゅると無詠唱で練り上げた氷の片手剣を手に。


 数歩の距離で、帯剣の男は足を止めた。


「子供と戯れる簡単な仕事で伝説を目の当たりにするとはな、三大禁呪のひとつ白魔か。愚弟の両手に余る相手だ」


 男は不敵に嗤う。


「だがな、調子に乗るなよ、平民。貴族の青い血には決して勝てない」

「僕らと同じ赤い血と思いますが」

「くくく、違うのだよ、貴族の血は、誇り高き竜の血だ。そこの君、この無礼極まりない平民の試験は、わたしが担当する。いいな」


 二人は、闘技場の四区へ。


「キィくん、全力はだめーっ!」


 ——おお、あれが噂のエシレさまの妹君か。ライオルとハルツァーを返り討ちにしたという。

 ——見ろ、実剣だ。試験じゃなく決闘、うぉおおおー。


 歓声が一段と高くなった。


 十歩を挟む距離、キルシュは片手剣をだらりと下げ。

 騎士は、剣尖に片手を添えて低く構える。


「はじめっ!」


 騎士は、弾けるように堅い大地を蹴った。


 ——速い。


 ひらり、キルシュは刺突を交わし、振り向きざまの一閃を受け止める。


「ふふ、なかなかやるな」


 跳び退り、騎士は剣尖を下げた。


「うぉおおおー」


 低く唸る剣閃を、キルシュは両手で握る凍剣で受け止める。


 速くて重い一撃が何度も何度も——両腕がしびれて。


 椅子に腰掛け見守る試験官の一人が、たまらず腰を上げた。


「やめろ! 子供相手に身体加速まで使って、殺す気か!」


 体重差で弾き飛ばされたキルシュは、凍剣を地に突き立て踏ん張る。


 手抜きは通用しない——爪先に魔力をみなぎらせ、身体加速。


「キィくん、だめーっ!」


 転瞬、瞳に底光る帝王紫の閃影が騎士に襲いかかった。


 しなる凍剣の連撃が、騎士の体を削っていく。


 飛び散った鮮血が大地を濡らし、大歓声は悲鳴に変わり。


「勝負あった、やめろーっ!」


 ゆるい横殴りの剣身に飛び乗って、黒の小さな魔女がくるりと宙を舞う。


 振り下ろす凍剣よりも速く、騎士は前のめりに崩れ落ちて。


 闘技場にふわりと咲く小さな黒い花。


 キルシュは振り返る——全身に鮮血が滲む騎士はぴくりともせず。


「これが、青い血、か」



 学院寮住まいの取り巻きと別れ、姉弟は夕闇に沈む街へ戻った。

 辻馬車を降りて、新居となった冒険者ギルドの喧噪に足を踏み入れると。


 ——おおー、エシレさま。それは王立学院の制服ですな。一段と凛々しくなられて。


 酒が入った冒険者たちの軽口を笑顔で流すエシレ。

 キルシュは足を止めた。


 並ぶ円卓の中央、料理と男に囲まれたガレット姉が食事をしている。

 一口食べた皿を押しやると、男たちが奪うように。


「うぉおおおー、ガレットさまの愛じゃー」


 ——うん、しっかり味わって。


「ああー、地上に舞い降りた女神さまー」


 突き抜けた声に目を向けると広間の最奥、いつのまに持ち込んだ寝椅子でトルテ姉がくつろいでる。

 侍らせた男に爪を研がせ、唇に差し出された果物をついばみ、


「もっと、もっと、もっとよ。わたしを讃えなさい——」


 ——まぁ、どうでもいいや。


「キィくん、頭がおかしい姉さまたちはほっといて上で休みましょ」


 ——にーちゃん、これはおかしいだろ。


 キルシュは、勘定台を挟んで胸ぐらをつかむ大男の下へ向かう。

 弟の後に続いたエシレは、大きな背に声をかけた。


「当ギルド代表のエシレですが、どうかなさいました?」

「見ろ、ぼったくりだ」


 エシレは伝票を手に取った。


「……計算間違いは無いようですが」

「そうじゃねーよ。女神さま専用果物の盛り合わせが純銀貨三枚、同じ物を街で買えばせいぜい銀貨三枚の十倍だ、おかしいだろ」

「そう申されましても」


 大男の片頬がゆがむ。


「オレはよ、あんたのギルド長就任宣誓に感動したから、倒産寸前の、このギルドに残った。そんなオレたちを騙してまで、金が欲しいのか」

「そんなつもりは——」

「おい!」

「きゃっ」


 一歩を踏み出した凄む声に、エシレは弟の背に隠れて。

 キルシュは腹底の魔力を解放。


 絶速——時は凍り、泡立つ氷の細剣を手に。


 大男の喉元に、剣尖を突きつけた。


「うぉっ」


 のけぞった大男は、勘定台にぶつかり腰砕け。

 キルシュは、尻餅をついた大男の喉元を剣尖でなぜる。


「おにいさん」

「な、な、なんだよ」


 いつの間にか、広間の喧噪は消えて。

 一同は、あやすように揺れる凍剣をみつめる。

 キルシュの口の端がゆがんだ。


「うちは、商品じゃなくて、ひとときの夢を売ってるんですよ」


 ——うはぁ、かわいい顔して、えげつない。

 ——ああ、四姉妹の末っ子だけは、怒らせちゃ駄目だ。命にかかわる。


 キルシュは凍剣を下げた。


「手持ちがないなら、僕の仕事を手伝って」


 こくこくと、大男は頷いた。



 静寂の広間から、エシレとキルシュは三階へ。


「お母さま、ただいま戻りました」


 執務机の書類から、騎士爵未亡人は顔を上げた。


「どうでしたか、編入試験は」


 キルシュは、うつむいた。


「筆記試験は駄目でした。実技試験は手応えがなく……悔いが残ります」


 なぜか、得意げに言葉を継ぐエシレ。


 ——筆記試験に向かう途中、頭がおかしい特待生に絡まれて、キィくんがやっつけてくれたの。

 ——食堂でも頭がおかしい特待生に絡まれて、キィくんが返り討ち。

 ——魔術試験では土人形を全て破壊、ついでに演習場もね。


 騎士爵未亡人は、目頭を押さえた。


「もう結構です。剣術試験では、相手を半殺しにしたのでしょう」


 ——ちがいます。

 ——圧倒したわ。お父さまの剣術を継いだキィくんが負けるはずないもの。


 騎士爵未亡人は、キルシュをみつめ吐息をついた。


「わたしの頼れる息子、自制なさい。物事には限度がありますのよ」

「……」

「キィくん、返事」


 ゆるく首を振って、騎士爵未亡人は書類の束を差し出した。


「あなたに頼まれた件ですのよ」


 キルシュは依頼書をめくる。


 利益重視では冒険者ギルドの存在意義はありません、困っている人々の役に立つ冒険者ギルドを目指しましょう——破産寸前の冒険者ギルドを買い取った伯母は、そう宣言した。その任を僕一人でこなしてきたが、次はエシレ姉の番だ。新学期の前に巣立ちして欲しい。


 危険に報酬が見合わず冒険者たちに無視され切迫した一枚の依頼書、領主に見捨てられた魔王国に接する山奥の。


【村を食い物にする緑小鬼の群れを殲滅、報酬は銀貨十枚——】


「姉さま、剣術の最終試験はこれにします」


 依頼書を手にとって、わずかに青ざめたエシレのぎこちない笑み。


「キィくん、一緒に討伐をするんだよね」


 ゆるく首を振って、キルシュは姉の手を握った。

 伝わる小さな震えに、微笑む。


「大丈夫。父さまの剣術は全て授けました。後は、折れない心、だけです」

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