第12話 男の約束は、ゆびきりげんまん

 第二王子バローロが率いる鳥竜の編隊は、アウスレーゼ領に入った。

 夕闇に沈んだ田園が飛ぶように流れて、街明かりがぐんぐん迫る。


「おい、角なし。百塔をぶっ壊せ」


 先日の強襲でまだ氷漬けのはず――キルシュは、口の悪い貴公子の背に沈黙を返した。


「テメェ、無視すンな」

「僕に命令しないでよ」

「あァ、こっから放り投げンぞ」


 キルシュはバローロの腰に回す手を解いた。窮屈な座席から鳥竜の背に降り立つ。烈風をはらんだ修道女服に体がもっていかれるも、腹底の魔力を解放。


 絶速――時は沈黙、湖面に浮かぶような月が滲む。両手首から無数に生える氷の蔦が鳥竜の長い首に短い前脚に巻きついて。


 ギチギチと氷の蔦が軋み、たまらず鳥竜が甲高い一鳴き。


 いきなり拘束された巨獣のさまに、バローロは振り向いた。


 ぴんと伸びた氷の鎖で烈風にあらがい立つ、薄闇に映える底光る帝王紫の瞳――なんで、オレさまじゃなく半魔にその力が。


「狂ってンな」

「バローロ、取引だ」

「あァん、金かァ」

「まだ決めてない、ひとつ貸しだ」

「クソ生意気なガキだな。わかったから拘束すンな、オレの臣獣を殺す気か」


 キルシュは爪先に魔力を込めて身体加速。鳥竜の背を蹴って、バローロの背に戻った。懐の魔杖を握って、瞬時に腹底に満ちた魔力を解放。


 耳障りな異音を奏でて、氷の鎖が砕け散り。


「月に向かって飛んでよ」

「ンなことはわかってる。オレさまに命令すンな」


 テメェら、遅れるなよ――主の号令に、鳥竜のくちばしが無辺の空に持ち上がった。



 莫大な魔力に大気はビリビリと震え、急降下する鳥竜の編隊が乱れる。

 揺れる背に跨がるバローロの家臣団は、必死に手綱を操るも白の鳥竜が遠ざかった。

 ただ一騎、黒の鳥竜が続く。臣獣を操るフェネトラの背にしがみつくイズニィの悲鳴は誰にも届かない。

 翼を折り畳んだ白の鳥竜のくちばしが、紫紺の空を鋭く切り裂いて。

 その背から、キルシュは腹底で練り上げた茫漠の魔力を全て解放。


 白魔――数多に泡立つ特大の氷塊が鈍い音を残し。


 轟音、山腹に突き刺さった無数の氷柱が月光にきらめく。


「おわったよ」

「あァ」


 バローロは手綱を引いた。

 白い翼がひろがり、眼下に迫る崩壊した百塔の淡い光芒に目を眇める。


 ――クソ兄の虚無には及ばねェが、こんだけの大規模魔術を展開して気絶しねェとか、どうなってやがる。


 瞬間、冷たい戦慄が背中を這い上った。


 ――まさか、全力じゃねェってのか?


「お腹が空いた、肉を食べたい」

「あァ、一山超えたらオレさまの城だ。死ぬほど食わしてやるから、しっかり掴まってろ」


 白い翼をしならせ、鳥竜は冷たい夜空を切り裂いてゆく。



 月夜に映える山間の城、家臣団の鳥竜の群は城の中庭に降りてゆく。


「フェネトラ、特別に許す。ついてこい」


 バローロの大声に続いて、フェネトラの操る黒の鳥竜は旋回した。

 城砦から突き出た桟橋に降りる。


 おかえりなさいませ――列と並ぶ頭に角を生やす召し使いたちの揃いの一礼。

 寄ってきた侍従長に、バローロは命令する。


「客人の鳥竜に、たっぷり水と餌を与えろ。晩餐は肉祭りだ」

「かしこまりました」


 侍従長は、キルシュ一行に恭しく一礼をした。


「プファオさま、フェネトラさま。ようこそ、おいでくださいました。口べたな当主に代わり、一夜の安楽を約束いたします」



 案内された客間の寝椅子に、キルシュは腰掛けた。

 お食事の用意ができましたら、お迎えにあがります――角めく召し使いが下がる。

 向かいに腰掛けるフェネトラの額に陰が差して、


「弟よ、もし次王に指名されたら受けるのかや」

「ありえない」


 フェネトラは愁眉の顔を持ち上げる。


「断れば、逆心ありとみなされやもしれん」


 キルシュは考えを巡らせた。


 ――魔王国と戦争する覚悟があるのか、と姉さまの問い。

 ――ならば、切り札の絶速で脅かせばいいだけ。


「姉さま、僕を信じて」


 弟の自信に満ちた笑みも、フェネトラの憂いに沈んだ顔は晴れない。



「テメェの弟は肉食獣かァ?」


 呆れ顔の皮肉を無視して、キルシュは皿からはみ出る一枚肉を貪る。

 五皿目のおかわりを頼む弟に、フェネトラは目を細めた。


「くっくっく、育ち盛りなのじゃ」

「それに、なんでテメェの弟は女装してるンだ? 変態と知ったら、父王が泣くぞ」

「お兄さま、可愛い妹を無視しないでください」


 銀髪から小さな角を生やす少女の拗ねた声に、キルシュは食事の手を止めた。

 主席のバローロは、黒の修道女姿のキルシュに左手をひろげて、


「見ての通り、角なしのプファオだ。三大禁呪の一つ白魔の使い手にして罪深い肉食獣」

「初めまして、プファオさま。わたしはリコッタと申します。お二人は生き別れて十年とお聞きましたのに、仲睦まじいですね。羨ましいです」


 キルシュは幼さが残る笑顔に微笑みを返し、切り分けた肉を口に運ぶ。大規模魔術を行使すると、どうしても体が血肉を欲して。


「プファオさま、食べてばかりいないで、百塔を陥落させた白魔の力を見せてくださいな」

「後にしろ、クソわがままな妹め」

「お兄さま、また食事中に禁止語、罰金ですよ。何度言ったらわかるんですか」


 舌打ちをこぼし、バローロは紫黒の杯を空けた。


「ンなことよりも、プファオ、いやキルシュ。オメェは魔族と人族のどっちにつくつもりだ」


 一枚肉を切る手を止めて、キルシュは深紅の険しい目に答える。


「どちらでもない」

「あァ、オメェの頭ン中はお花畑か。魔族と人族が同時に敵に回るかもしれねェんだぞ」


 キルシュは微笑んだ。


「べつに……全てを凍らせるだけだから」


 角なしの自信に満ちた言葉、バローロは考えに沈む。


 ――誘って返り討ちにするつもりなのか。あえてアウスレーゼ領の一部を切り取ったことが、そういう意図だとしたら、可愛い顔して極悪だなコイツ。


「白魔、白魔、はくま――」


 向かいの手拍子に、キルシュは仕方なく魔力を絞って解放。


 白魔――しゅるしゅると練り上げた小さな氷の杯を手に。


 リコッタへ差し出す。


「はい、どーぞ」

「わー、すごい」


 紫黒で満ちた氷の杯がピキりと軋む。


「冷たくておいしいー」


 無邪気な妹の声、バローロの中で考えがまとまる。


 ――つまりだ、いつでも勝てるから、あえてアウスレーゼ領の一部を切り取った。

 ――コイツ、まだ何かを隠している。



「少しだけ、つきあえ」


 晩餐をおえて、キルシュはバローロに続いて廊下をゆく。

 部屋に入ると、壁一面を飾る獣の白骨が目を引いた。


「なかなかのモンだろ、座れや」


 低い机を挟んで、寝椅子に腰掛ける。

 バローロは、酒と杯を持ってきた給仕を下がらせて、


「オレさまにも氷の杯を作れ」


 疲れた、眠い、さっさと終われ――キルシュは魔力を絞って解放。


 白魔――しゅるしゅると練り上がった小さな杯を手に。


 差し出された氷の杯に、バローロは酒を注いだ。

 むせるような力強い香りが立ち、透明に満ちた氷の杯がピキりと軋む。


「くぅーっ、キンキンに冷えた酒がクソうめェぞ、おい」

「で、何の話」


 もう一杯、バローロは飲み干した。


「オメェは切り札を隠してるな」

「いや、白魔だけだよ」


 バローロは三杯目を呷った。


「このままだとクソ兄が次王になっちまう。虚無の直撃を食らった蛮人の街が、次々と無に還るぞ。ちょっと前まで蛮人のつもりだったオメェ、どうするよ?」

「あんたが王に為ればいい」

「オメェが王に為れや」

「断る」


 バローロは四杯目を飲み干した。


「ういーっく、このままらとクソ兄が次王だァ。蛮人の街が、ばぁーん」


 杯を放り投げ完全に目が据わったバローロを、キルシュはみつめた。


 ――できあがり、はやっ! このまま酔い潰れたら明日に影響が出るし。


「わかった、あなたを王にしてあげる」

「らにぃ、どおやっで」

「僕が後ろ盾になるよ」

「ほんろぉか、おどごのやぐぞぐだぞ、ゆびぎりげんまんだぞ」


 小指で約束を交わしたキルシュは、机の鈴を鳴らす。

 すっ飛んできた召し使いが、真っ赤なご機嫌の主を担いでいった。



 湯に浸かり、召し使いが案内する部屋に入ると。


「ご主人さまぁー、フェネトラさまがいぢめるんですぅー」


 濡れた黒い翼をひろげ胸も露わなイズニィは、キルシュの腰にすがりつく。


「暖炉で翼を乾かそうとしたら、出ていけって、あぁあああー」

「嘘つきめ、どの部屋にもあると召し使いは言っていたぞ」

「暖炉が小さいから乾かないんです。風邪を引いてしまいますぅー」


 離れろ、弟が穢れるではないか――フェネトラは、イズニィを引き剥がしにかかる。


 引きずられながら、キルシュは吐息をついた。


「姉さま、明日は早いのです」 

「こやつ、舌を出しおって、ゆるせん」

「ねえさま」


 強い声に、フェネトラは引っ張る手を止めた。キルシュの両目を手で隠し、


「さっさと乾かすがよい」

「わーい」


 燃えさかる暖炉の前で黒い翼をひろげるイズニィの鼻歌を聞きながら、キルシュは寝間着に着替えた。

 蔓薔薇の杖を手に、天蓋つきの寝台へ向かう。湿った髪のまま、純白の敷布に身を投げて毛布を被り、


「疲れた」


 黒髪を乾かしたフェネトラも寝台に潜り込んだ。毛布から顔を出して、


「切り取ったアウスレーゼ領内に大規模な鉱床を発見したのじゃ、忙しくなるぞ」

「さすが姉さま、仕事が早い」

「ご主人さま、わたくしも同衾しとう存じます」


 薄衣をまとうイズニィは、そわそわ内ももをすり合わせ。

 フェネトラの口の端が吊り上がる。


「駄目じゃ、出て行け」

「あぅっ」


 イズニィのすがるような深紅の瞳、震える黒い翼。


 あの翼、あったかそう――重い瞼のキルシュは唇をひらく。


「いいよ、おいで」

「わぁー、うれしいですぅー」


 嬉嬉と寝台に飛び込んできた彼女に抱きつかれ、頬ずりされて。


 ――そこな、発情するでない、離れろ。

 ――ご主人さまの命令ですの、肌で温めて差し上げますわ。


 二人に引っ張られながら、キルシュの瞼が落ちた。



 召し使いの朝の知らせ――キルシュは目覚めた。


「おはようございます、ご主人さまぁ」


 顔を向けると、頬を染めるイズニィ。


「わたくし、知りませんでした。殿方のたくましいそれに触れたら、気絶してしまいましたの。もし、雄々しいそれを迎え入れたら、んふぉー」


 がばっ、と起きたフェネトラは、顔を両手で覆うイズニィに飛びかかった。


 ――弟に触るなといったであろが!

 ――あぅ、ごめんなしゃい。ひぐぅ、ゆるして。


 イズニィの小さな角をつかんで振り回す姉からすり抜けて、キルシュは寝台を降りた。


 ――どうやら、イズニィは股に挟んだ魔杖を触ったらしい。ごめんね、無限の魔力は刺激が強すぎて。


 いつもの修道女服に着替えて、蔓薔薇の杖を懐に下げた。

 髪留めをつけて黒衣をまとい、姿見の前でくるり。


「姉さま、イズニィ、おいてくよ」


 ――ああっ、待つのじゃ。

 ――お待ちになって、ご主人さまぁー。



 召し使いの案内で、三人は長廊をゆく。

 開かれた扉の向こうは、紫紺の空。

 城砦から突き出た桟橋をゆくと、冷たい風に身じろぎもしないバローロの家臣が列と並ぶ。

 ちろりと向く鋭い目に滲む隔意に微笑を返し列の果て、伏せる鳥竜の群に背を向けた。


 召し使いのひとりが一言添えて、イズニィに籠を差し出す。

 キルシュは、はっとした。


「籠の中身が気になるのかや」

「言葉がわからない、帰りたい」


 フェネトラは弟の手をとった。


「案ずるな、わらわが耳と口になってやろうぞ」

「帰る」


 フェネトラは天を指さした。


「あれは使い魔じゃ。われらを視ているに違いない」


 キルシュは白む空を仰いだ。

 ゆっくりと旋回する孤影、手から伝わる震えに目を戻すと。

 精緻の白貌が儚げに笑う。


「逃げ道はどこにもない」


 ――姉さまは何を恐れている?


 キルシュは小さく決意した。


 ――僕たちをほっといて、それだけ伝えて帰る。


「わかった、いくよ。後で言葉を教えて」


 もちろんじゃ、頼りにするぞ――フェネトラは弟をゆるく抱きしめた。



 侍女を従え悠然と歩む白服の少女に、次々と黙礼の波が起きる。

 足を止めたリコッタは、両指で裾をつまみ典雅の一礼。


「お待たせしました。体調不良の愚兄に代わり、わたしが案内をつとめます」


 くるりと振り向いたリコッタは、背筋をピンと伸ばす家臣に号令を放つ。

 鳥竜へ駆け出す家臣に背を向けて、キルシュの手を取った。


「プファオさまは、わたしと空の旅です。飛ばしますから、しっかり、わたしを抱きしめてくださいね」

「待て、弟はわらわとゆくぞ」


 タレ目を吊り上げたフェネトラに、リコッタは婉然と微笑む。


「かように束縛されては、嫌われてしまいますよ」


 さぁ、参りましょう――白の手に引かれ、キルシュも駆け出した。

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