第8話 ブルデヴァーグ王立学院に編入する

 明かりを取り戻した山頂の城、その凍てついた中庭で鳥竜は巨躯を屈めた。

 滑り降りたフェネトラは、臣獣の喉を撫でる。


「頑張ったの、空で待つがよい」


 鳥竜は烈風を二人に浴びせて夜空へ。


 ——敵襲ーっ、玄関を固めろ。

 ——急げ、何としても食い止めろ。


 主館の玄関に集結の衛兵どもが、大盾をずらりと打ち並べ。

 キルシュは腹底に満ちる魔力を解放した。

 数多の氷塊を身を守るように侍らせ、


「姉さま、当主を探してください」


 血赤の瞳は千里眼が、白亜の主館を見上げる。


「あすこじゃ」


 キルシュは、光あふれる三階の大窓へ魔杖を振り下ろした。


 白魔——足元から冷気がひろがり、しゅるしゅると氷の階段が段々と屹立。


 なんとも幻想的じゃの——姉のつぶやきを背に、キルシュは氷段を上る。


 大窓が切り取る豪華な晩餐。


 ——着飾った老若男女は、紫黒に満ちた杯や山盛りの肉皿に手をつけず、扉を守る近衛どもを見つめて。


 キルシュは最後の氷段を蹴った。

 大窓へ飛び込み、絨毯にふわりと着地。

 遅れて飛んできた姉を、両手におさめて。


 ——このまま誰にも気づかれずに。


「誰だ!」


 一斉に青白い顔が振り向き、キルシュは魔杖を突きつけた。


「動くな。あんたが当主のエメンタール・アウスレーゼだな」


 暖炉を背に腰掛ける無骨な男は、白茶の髪をわずかに揺らし、あごで令を下す。


「殺せ」


 キルシュは腹底に満ちた魔力を解放。

 無詠唱から泡立つ数多の氷塊が鋭い音を残し。


 突撃の剣士に杖を振った白服どもが、手足をひろげて吹っ飛び扉をぶち開けた。


 駆け上る蛮声に、キルシュは振り向きざまの一閃。


 幾重に泡立つ氷塊が大窓から飛び込んできた衛兵どもを弾き飛ばし、悲鳴が落ちる。


 フェネトラは目深の黒衣を払い、平然の当主に指を突きつけた。


「貴様、よくも弟に刺客を差し向けたな。絶対に赦さんぞ」

「……」

「しらを切ろうが無駄じゃ。貴様の私兵は、飼い主の名をあっさりしゃべったぞ」


 キルシュは目深の黒衣を払った。

 黒髪に幼い面差しの底光る帝王紫の瞳に、一同は息を呑む。


「弟は優しいからの。蛮人どもをぶっ殺せと、わらわが懇願しても首を縦に振らぬ。そこでじゃ——」


 キルシュは一歩を踏み出した。

 フェネトラも弟に続く。


 虚勢を貫く当主の傍らで、キルシュはしゅるしゅると練り上げた氷の片手剣を手に。

 猛禽めいた目をあらん限り見開く驚愕の喉に、剣尖を突きつけた。


「おじさん、僕を殺すために百人以上の剣士と合成詠唱の使い手まで送り込んで、知らないはないよ」

「ぐぬ……」

「殺して奪うのは、村を襲う緑子鬼と同じだから」


 キルシュは、料理の皿を凍剣で押しやった。

 そこへ、フェネトラは懐から取り出した地図をひろげる。


「くっくっく。血に飢えた蛮人の王よ、贖罪の機会を与えてやろう」


 朱色に染まった二つの支流で切り取られるアウスレーゼ領、そこに接するのは魔王国の——二つの意味に気がついた当主の片頬がゆがみ、


「強欲の魔女め」


 吐き捨てられた呪詛の意味に一族はどよめき、ある者は悲鳴を両手で押さえ込んだ。

 フェネトラの口の端がゆがむ。


「誰が魔女じゃ、わらわの乙女心は傷ついたぞ」


 廊下を駆け迫る足音に、キルシュは当主の背後に身を隠し。

 弟の影に、フェネトラも身を潜め。


 部屋に駆け込んできたのは、焦げ茶の髪に包帯を巻いたハルツァーと黒ずくめの男ども。


「父上、全滅です! キルシュを駆除するには、聖剣の一撃しかありません!」


 キルシュは、凍剣で当主の首筋を撫ぜる。


「僕は誰も殺したくない、取引しよう」

「くははは——」


 父の狂ったような哄笑で、ハルツァーは影に潜む修道女に気がついた。


「なんで、貴様らがここにいるんだ!」

「よくも、僕に刺客を送ったな」

「ち、ちがう、オレじゃない! 父がやれって命令したんだ!」

「——は、知らん、そいつを斬れ」

「父上、何をおっしゃいます!」

「アウスレーゼの地は一片も渡さん。無能なそいつはわが息子ではない、斬れーっ!」


 ハルツァーの背後で控えていた黒ずくめの男は、すらりと剣を抜いた。


「若さま、御免!」


 ハルツァーは咄嗟の抜剣で一閃を受け止めて。

 傍らのもう一人も、腰だめの剣で裂帛の突撃。

 家臣二人を相手に立ち回るも、三人目が剣を抜いて床を蹴った。


 舌打ちから、キルシュは腹底の魔力を解放。


 絶速——時は凍り、湖底に沈んだ廃城のように広間が暗く揺らめく。泡立つ氷塊を右手に侍らせ振り下ろし。


 轟音、白影が四人を廊下へ消し飛ばして残る剣光。


 キルシュは、白茶けた後頭を凍剣で殴った。


「ぶべっ、」


 食卓に突っ伏した当主の薄い髪を持ち上げて、


「誠意、ってなんですかねぇ」


 ジュッ——上下する喉仏を、凍剣が焼く。


「い、痛い、痛い、いたい、あーっ、あーっ、キルシュさま、お取引をお願いします。どうか、命だけは——」

「ならば、署名捺印じゃ」


 声なく嗤うフェネトラは、地図の上に契約書を重ねた。


 朱色で囲んだ峡谷の譲渡——百年戦争でも魔族に屈しなかったアウスレーゼ家は、幼さが残る少女二人に陥落。その汚辱に、一族は嗚咽を押し殺した。



「キルシュにフェネトラ、無謀にもほどがあるぞ」


 車椅子の当主パルフェ・シルヴァーナは、弓なりの角を生やす家臣たちの熱い視線を集めて睦まじく肩を並べる角なしの我が子に目を細め。


 ぐー。


 長い食卓を狭しと並ぶ杯と料理に、お腹の虫が鳴いた。


「母さま、後でいくらでも説教を拝しますから、われらの健康と未来に乾杯」


 勝手に掲げた杯を下げて、キルシュは皿からあふれる一枚肉を貪り始めた。

 白魔の撃ち疲れは、どうしても体が血肉を求めて——こればかりはどうしようもなく。


 ——さすが若さま。豪快な食べっぷりだ。

 ——実に頼もしい。われらも、いっそう励もうぞ。


 フェネトラは食事に夢中な弟に目を細めて。

 豪勢な料理で滑らかに回る舌が、アウスレーゼ急襲を語る。


 ——なんと、無敵を誇ったあの百塔を若さまの白魔で沈黙とは。

 ——おお、百年戦争で散った同胞の墓前で報告せねば。


 感嘆に、酒で赤らむ家臣たちの軽口、笑いにあふれ。


 当主パルフェは、脂で艶めく唇を前掛けで拭った。


「キルシュや」


 主の通る声に、一同は口を閉じ背を伸ばした。


「して、どうするのじゃ」


 キルシュは、微笑の母を見返し、


「鳥竜を操れるようになったら、生活拠点を移そうと思います」

「ふむ、それはよい。じゃが、そなたは幼くとも一国の主にして、魔族と人族、どちらに与するつもりじゃ」


 キルシュは、一同を見回した。

 角めく家臣たちの、どこかすがるような眼差し。


「誇り高き中立国として、亡き父の夢であった魔族と人族が手を結ぶ世になればと思います」

「茨の道じゃな——」


 いいさして、当主パルフェは杯を掲げた。


「キルシュ、フェネトラ、熾天使してんしさまのご加護があらんことを」


 一同は紫黒に満ちた杯を掲げた。



 ◇



 若さま、励みなされ——レノ爺の操る鳥竜の烈風に、演習場の底に残ったキルシュは目を眇めた。


 ——今日から学院生活の始まり、頑張るぞ。


 円く切り取られた青空、縁に並ぶ人影が割れてエシレ姉とその取り巻きが斜面を下りてくる。


「キィくん、なんで帰ってこないの」


 両手を腰に吊り気味の目をいっそう吊り上げたエシレ姉。


「みんなの前ではちょっと……」


 ごめんね、また後で——底から上るよう取り巻きを追い払い、エシレは弟に抱きついた。


「どこにもいかないで」


 なんか重すぎるような——キルシュは、姉をそっと押しやり、


「僕はアウスレーゼ家から領地を切り取って領主になった」


 エシレは小さく両手を叩いた。


「わ、すごい! もちろん、お姉ちゃんの部屋を用意してくれるよね。なんなら一緒の部屋でいいよ」

「え、」

「キィくん、お母さまに知られたくないんだよね」

「うっ、」

「友達の家にお泊まりと、キィくんを助けたお姉ちゃんを除け者にするんだ」

「……わかりました、姉さま。でも約束してください、僕が領主になったことを口外しない——」


 また抱きついてきた姉にされるがまま、キルシュは斜面を上る。



 制帽に臙脂と金刺繍の洒落た制服に身を包む新入生たちが、秋に色づく並木道をゆく。

 朝の爽やかな風が朽ち葉をはらりと散らし、道端で列と並ぶ在校生は祝福を送り続け。


 ——まぁ、特待生の方ですわ。

 ——あちらのエシレさまの妹君と同じく、試験官を圧倒したとか。


 短く金髪を整えた凛々しい顔立ちに、黄色い歓声が上がった。

 胸を張って歩く帯剣の少年は、拍手のキルシュたちの前で足を止めて、


「そこの君」


 羨望と嫉妬の目を集めたエシレは、笑みを消した。


「わたしたちにかまわないで」


 帯剣の少年は微笑をくれて、黒の修道女をみつめた。


「君は試験官を半殺しにしたとか。なのに帯剣を許されない、何か問題を抱えているの?」


 キルシュは、目深の黒衣を鼻先まで引き下げた。


 ——やだなー、学院初日くらいは平和に過ごしたいよ。


「ごめんね、がさつで——」


 帯剣の少年は、片足を引いて優雅な一礼。


「わたしはミセラ。午後の実技で、また会いましょう」


 キルシュは短く名を告げて帯剣の少年と握手を交わすも——姉さま方と同じほっそりした指にやわらかい。



「僕はキルシュ・リースリング。こんな姿ですが、男です。みなさん、仲良くしてください」


 修道女めいた重ね着の黒衣の懐に魔杖を隠し持つキルシュは、半円の講堂の底で級友たちを見回した。

 まばらな拍手を、クレムフカ先生が両手をひろげて沈める。


「彼は特待生ではないが特別の中の特別だ。魔術課程は免除に剣術課程は飛び級、教養課程のみ君たちと同じ席につく」


 どよめきがさざめいた。


「さて、お待ちかねの質問を許す」


 一斉に手が挙がった。

 当てられて、一人の男子学生が立ち上がる。


「編入試験を観覧しました。演習場を破壊するだけでは飽き足らず、現役の騎士を怒りにまかせて半殺し、さらに三日前とある私兵団を容赦なく返り討ちにしたとか。はっきり言って普通じゃない。君がいては、栄えあるブルデヴァーグ王立学院の名声が地に墜ちる。今すぐ退学し、野蛮な性格を矯正するため施療院へ通うべきだ」


 そーだ、平民は目障りなんだよ——腰の引けた小さな悪罵が沸く。

 キルシュは微笑んだ。


「手加減はしたよ。怖がらないで、僕と仲良くしてください」


 ——なんだと、あれで全力でないとか。

 ——いや、はったりだろ。

 ——化け物め。


「はい、はーい、わたしはキルシュさまと仲良くしたいでーす」


 最前列の端から赤髪の少女が両手を振る。

 わたしも、わたくしも——同じく陣取る女子たちの、小さく両手を振る笑顔。


 ——嬉しい、けれど残念なお姉さまたちでお腹がいっぱいなんだ。


「さて、他には」


 当てられて、男子学生の爽やかな声。


「ライオル先輩との決闘、とても鮮烈だった。よかったら、僕に剣術を教えてくれないか」


 やったぁ、初めての友達、かな——キルシュは小さく拳を握った。


「うん、いいよ」


 あーずるい、オレも、僕も、わたしも——次々と手があがり。


「他にないか——よし、ないな。キルシュくん、席につけ」


 強引に質問を打ち切ったクレムフカ先生の微笑に、キルシュは席を探した。

 笑顔で手を振る赤髪の少女を無視できず、彼女の隣に腰掛けて。


 ——キルシュさま、あらためて編入おめでとうございます。

 ——ありがと……ごめん、誰だっけ。

 ——あぅ……ちょっと傷つきましたけど、シャルロッカ・ジュブル。ロッカって呼んでください。わたしはエシレさまじゃなく、キルシュさま推しですからっ。


 講義が始まった。



「ふぅ……頭が沸騰してしまった」


 午前の講義が終わり、キルシュはノートを閉じた。

 シャルロッカは、キルシュの顔をのぞき込み、


「キルシュさま、お昼は学食ですよね。わたしたちも、ご一緒させてください」

「……さま、はやめて。恥ずかしい」

「えー、キルシュさまはキルシュさま、そうよね」


 ねー、女子たちの謎の唱和に、キルシュは苦笑い。

 一団を引き連れる爽やか男子は、キルシュの前で微笑んだ。


「一緒にお昼はどうかな」

「うん、いくよ」


 キルシュは席を立った。爽やか男子と並び、廊下へ。

 お待ちになって、キルシュさま——ぞろぞろと女子の一団が追いかける。



「キルシュさま、大事な席番をお願いしますね」


 ——素晴らしき日々の始まりですわ。特等席で昼食をいただけるなんて。

 ——ああ、持つべきものは力ある友だよ。


 遠ざかる級友たちの弾んだ声に、陽当たりのいい二階席に腰掛けるキルシュの頬がゆるんだ。


「ともだち、だ」


 ——剣術稽古に勉強会。休みが取れたら僕の領地で狩りに釣り、それから。


「そこをどけ。四大侯爵家の一角にして聖眼を授かったメルヴェーユ・ブロンシュさまの席だぞ」


 キルシュは指折りの妄想から顔を上げた。


 守るように男子学生を侍らせた、帯剣の特待生。

 学院の制服とは全く違う、黒地に映える銀刺繍の長衣に身を包む少女は、銀髪を腰元まで垂らし。

 取り巻きの一人が、両手を振りかざす。


「聞こえなかったのか。さっさとどけよ、おらー」


 取り巻きのもう一人が、黒の修道女を指さした。


「メルヴェーユさま、あいつですよ。ライオルにハルツァーを奇怪な魔術で返り討ちにしたという編入生は」


 メルヴェーユは取り巻きの肉の盾をひらき歩み出た。


「なるほど、君が噂の魔女か」


 口元に指先をあて、メルヴェーユは小首を傾げた。

 銀髪に挿した蝶の髪飾りが七色に遊び。


「ふむ、君は男の子だな」


 まさかの学院の一生徒が聖眼の異能持ち、母の天眼以上に全てを見抜き、そして王選の候補者——キルシュは唇を噛んだ。


 懐の魔杖がみつかってしまう——逃げなければ。


 メルヴェーユの唇が弧を描く。


「この眼のせいでイヤがられるのは慣れているけど」


 キルシュは席を立った。

 あっという間に眼前に迫られ、


「わたしを君の食卓に招待したまえ。悪意なく僕の弱い心を傷つけた償いだ」


 取り巻きが騒ぎ始めた。


「メルヴェーユさま、平民と一緒に食卓を囲んではなりません。われらメルヴェーユさまの剣が、全力で平民を駆除いたします」

「そう怒るな。いい子の君たちは、向こうで昼食を楽しみたまえ」


 メルヴェーユは、ひらひらと手を振って取り巻きを追いやった。

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