第3話 編入試験前の決闘を買って出る

 季節外れの大雪に染まった街の大通りから、手綱を握るキルシュはしなだれるトルテ姉に目を向けた。


「姉さま、起きて」

「寒い」


 キルシュは毛布を独り占めの姉の額に手をあてた。


「館へ帰りましょうか」

「報酬を受け取るだけ、大丈夫」

「熱がありますけど」

「……わたしだって頑張れる、お母さまを見返してやるんだから」

「聖剣と杖、姉さまのおかげです」

「そうよ、わたしは頑張ったの、頑張ったの——」


 ほんと気が強くて泣き虫な姉さまだな——キルシュは華奢な背をさすり続け。



 涙の後を綺麗に拭ったトルテは、冒険者ギルドの広間を颯爽と横切る。

 影のように従う小さな修道女が手にする剣の青光りに、喧噪が沈んだ。


 ——おい、あの剣もしかして。

 ——すげぇ、魔窟の底から生還したのか。


 トルテは受付に片手をついた。


「聖剣を回収したわ」

「ご冗談を」


 キルシュは片膝をつき聖剣を捧げた。

 手に取ったトルテは高々と掲げる。


「亡き父剣聖クワルクの剣よ」


 剣尖から滲む青い光芒に、冒険者たちはどよめき。

 受付嬢は白の手袋をはめた。


「鑑定しますから、剣をこちらに——」


 トルテは剣尖を受付嬢に向けた。


「いいえ、報酬の確認が先よ」

「報酬は千金、つまり純銀貨で一万枚ですが」

「あなた、頭が悪いのね、現金を見せてちょうだい」


 舌打ち、受付嬢は奥へ消えた。


 なんか感じ悪いな——キルシュは懐に隠し持つ蔓薔薇の杖をそっと握る。


 戻ってきた受付嬢は、革袋をカウンターに置いた。


「報酬は純銀貨で百枚です、残りはギルド長と相談して下さい」

「ちょっと、どーゆこと?」

「ですから、ギルド長と相談して下さい」

「そんな……初めて頑張ったのに、こんなのって、ない」


 卒倒の姉を、キルシュは両手におさめた。

 受付嬢は鼻先で嗤い、


「次の方、どーぞ」


 キルシュは姉の手を解き聖剣を床に突き立てた。

 剣身から滲む紫黒の紗がひろがり。


 ——なんだ、ありぁ。

 ——やばい、やばい、やばい。


 冒険者たちは息を呑んで、足元に忍び寄る闇をみつめる。


「わ、わ、わかりました。ギルド長を呼んできますから」


 飛び出した受付嬢は、階段を駆け上った。



「ずいぶんと仕事が速いな、本当に聖剣か」

「魔力に反応して、剣から聖光があふれました」


 受付嬢を従え、帯剣の男が階段を降りてくる。

 目覚めたトルテは、立ち上がり指を突きつけ、


「あなたがギルド長ね。報酬の全額を今すぐ払って」

「いかにも、だがその前に鑑定をする必要がある」

「報酬が先よ」

「鑑定が先だ」

「ならば聖剣を渡せません、失礼しますわ」


 最後の一段から白の床へ、ギルド長は剣を抜いた。


「待て」

「あら、S級のわたしを脅してるの?」

「その聖剣は王国から預かったもの。強欲は罪、その報酬で返納した方が身のためだぞ」

「話にならない、さようなら」

「わかった。残りの報酬を百年かけて払う」

「意味がわからない!」

「払うっていってるだろが!」

「ひぃいーっ」


 トルテは弟の背に隠れた。

 ギルド長は黒の小さな魔女に剣尖を向けて、


「小娘、その剣をオレさまに寄越せ」


 ——またか、剣帝を嵩に横暴だ。

 ——ああ、嬢ちゃんたちに同情するよ。


 腰の引けた小さな悪罵に冷笑をくれて、ギルド長は二人の下へ一歩を。

 キルシュは手にする聖剣を放った。

 床で踊る尖った音に、ギルド長の片頬がゆがむ。


「小娘、拾え」


 適当に杖を振り回して、僕がなんとかしますから——弟のささやきに、トルテは小さな杖を構える。


「拾えっていってるだろが!」

「えい、えい、えい!」

「なんだ、それは?」

「えい、えい、えい!」

「おい、ふざけるのもいい加減に——」


 懐の蔓薔薇の杖を手に、キルシュは魔力を解放。

 無詠唱から、幾重もの泡立つ氷杭を侍らせ。


「ほう、魔窟の底から生還は嘘ではないようだな。くくく、影を置き去りにする剣帝のオレさまには届かないぞ」


 ギルド長は、だらりと下げた剣に魔力を注ぐ。

 炎の剣が白い床を深紅に染めて。

 壁柱の陰から見守る冒険者たちは、固唾を呑み込む。


「うぉおおおー」


 裂帛の声と共に剣帝は床を蹴った。

 低く吠えた百の氷杭を斬って火剣は猛るも、無防備のキルシュに届かない。


 絶速——時は凍り、湖底に沈んだかのように暗い広間がゆがむ。数多の泡立つ氷塊を右手に侍らせ薙払い。


 白影が剣帝を弾き飛ばし、轟音。


 階段は崩落し、氷塊に埋もれるギルド長。


 ——まじかよ、何も見えなかったぞ。

 ——いろいろ怪しいS級の姉ちゃん、本物だった。

 ——剣帝、ざまぁみろ。


「ぷぷぷ、正義の勝ち、悪の負けーぇ!」

「なめるなぁーっ」

「ひぃいーっ」


 剣帝は氷塊を弾き飛ばし、腰だめの剣で突撃。

 唇をなめて、キルシュは魔力を解放。


 白魔——キルシュの足元から雪波がひろがり。


 凶悪にゆがんだ顔を残して、ギルド長は氷の波に呑まれた。

 トルテはゆっくりと氷漬けの下へ、肩口にかかる砂色の髪を優雅に払う。


「ねぇ、報酬を払って」

「金はない」


 トルテは小さな杖で血の気のない頬をぐりぐり。


「ひゃめてくらはい」

「えい」

「んぎゃ」


 目を突いて遊びだした姉の袖口を、キルシュは引いた。

 ここを閉鎖しましょう——杖を胸元にしまい込み、トルテは青ざめた悪鬼に微笑む。


「あんたは剣奴堕ち決定、きっちり取り立てるから覚悟なさい」


 窓も閉めて薄暗い広間が、トルテの炎で染まる。

 氷の蛹から脱皮したギルド長を、キルシュは魔具で拘束から蹴り転がす。

 粗暴な修道女に、列と並ぶ職員に受付嬢は怯えて。

 とりあえずの報酬を胸に抱え、トルテはどこか頼もしげな背をみつめる。


「ねぇ、どうするの」

「母さまと伯母さまに連絡を。魔道具屋の主にも相談しましょう。報酬はこれで」


 キルシュは火剣を拾い上げた。



「生まれて初めて頑張ったトルテに、わたしの自慢の息子キルシュの無事を祝い、乾杯」


 破産寸前の冒険者ギルドを手に入れた伯母の館の食堂は身内だけ、深夜の晩餐は豪華だ。

 三姉妹は大皿からはみ出る分厚い一枚肉を貪り、白魔の撃ち疲れで血肉を欲するキルシュも競うように。


 脂で曇ったナイフを置いて、騎士爵未亡人は艶めく唇を前掛けで拭う。


「励みなさい、エシレ。ブルデヴァーグ王立学院高等部への編入が決まりました」

「嘘……夢みたい」

「頑張りなさい、キルシュ。同学院中等部への編入試験の書類審査が通りました」

「はい、母さま」

「トルテにガレット、聞きなさい」


 その言葉を合図に、給仕は食堂から出て行った。

 姉たちは背筋をピンと伸ばす。


「王都を聖光で満たす降臨祭、エシレの託宣の儀があります」


 騎士爵未亡人は、エシレに微笑む。

 灰色の瞳がうすく光り、


「あなたが剣聖を授かりましょう」


 エシレは、小さな悲鳴を両手で押さえ込んだ。

 長机を挟んで黒い野望が滲む騎士爵未亡人に角を挟んで伯母の寵愛から逃げ場のないキルシュは、天井からつり下がる大燭台の炎をみつめて。


 天眼、それは全てを見抜く異能——母さまの予言が正しければ、僕の自由は残り一月らしい。

 それでも、学生に冒険者ギルド長代行の掛け持ちだけど。

 これに、手段を選ばす女王にと影でエシレ姉を支える任が加わり、楽しみの学院生活が破綻する。

 ここはゆずれない、絶対にだ。


「最後の資格者が揃い、王選が始まりましょう。なんとしてもエシレを王にしなければなりません。それが、亡き剣聖クワルクの夢の続きなのですから」

「わたしが剣聖なんて……無理だよ」

「キルシュ、あの人から教わった剣術を教えてあげなさい」


 闇色の瞳の奥底に滲む怒りに、騎士爵未亡人は微笑む。


「キルシュ、」

「僕は母さまの人形じゃない」

「まぁ、反抗期かしら」

「僕は勉強をしたいんだ。剣や杖を振るだけのお人好しには絶対にならない。それが父さまとの約束だから」


 冷艶の目を細めた騎士爵未亡人は唇で嗤う。


「死者の言葉より、生あるわたしたちを守りなさい。あなたの白魔の力で」


 反論しようと、キルシュは虚空に言葉を探した。


 何も思いつかず——きっと、父さまも、こんな風に丸め込まれ騙され。


 しがみついて勉強するしかない——力があっても言葉がなければ、父さまの二の舞いだから。



 ◇



 新学期の秋、キルシュとエシレは顔をあげてブルデヴァーグ王立学院の開かれた赤門を抜けた。

 冴えた青空の下、朽ち葉を散り敷く石畳の並木道が続く。


「わぁー、にぎやかだねー。お祭りみたい」


 木漏れ日の中、エシレはいつものように手を結ぶ。

 キルシュは、絡み合う指を解けなかった。


「恥ずかしいから」

「えー、いいじゃない。姉弟なんだし」

「そうは見えないと思いますけど」


 姉さまは臙脂と金刺繍の洒落た制服に帯剣。僕は黒衣を重ねる修道女姿。危険な魔杖を隠すには、これしかなく。


 道端で列と並ぶ在校生の拍手に混じる黄色い声援に、はにかむエシレ。


「キィくん、ごめんね。わたしだけ編入試験免除で」

「そんなことより、姉さまは胸を張って。気づかれますよ」

「頑張るけど大丈夫かなぁ。でも、いざとなったらキィくんがいるし」

「髪をいじらない」

「あぅ、気をつける」


 次々と黙礼する在校生の腰に剣はなく、キルシュの口の端がゆがむ。


 学生でありながら帯剣を許された姉さまへの敬礼——くだらない。


 在校生の列を割る一団が道にひろがった。

 同じく帯剣の、冷たい面差しが一歩前へ。


「平民にしては整った顔立ち。だが、綺麗すぎる。魔窟の底から聖剣を回収したとは、とても思えん」

「急いでるの、道をあけてください」

「剣聖の血を引くエシレ、剣王ライオルからの編入祝いを受け取れ」


 ゆがんだ顔の舌なめずりが、すらりと剣を抜いた。


「闇の底で魔物を屠った剣技を見せてもらうぞ」


 結んだ手から伝わる震えに、キルシュはささやく。


 ——大丈夫、僕がなんとかしますから。


 連日の特訓で姉さまの剣捌きは上達も、肉を斬るのまだ無理——目深の黒衣を払い、脱いだ手袋を放る。


「礼儀を知らぬ無礼者、僕が相手だ」


 悲鳴と歓声が、並木道を駆け抜けた。


 ——おおーっ、剣王ライオルさまと決闘だ。

 ——やぁん、黒髪の妹さまも神々しい。


「これは珍妙、剣を持たずに決闘とは。くははは——」


 姉さま、剣を——エシレは柄に手をかけた。


「——は。おっと、その剣を他人に握らせたら学院規則で退学だ。くははは——」

「そんな……」


 舌打ちから、キルシュは魔力を解放。


 白魔——しゅるしゅると練り上げた氷の片手剣を手に。


 決闘を囲む在校生にざわめきが走る。


 ——夢、じゃないよな。

 ——わぁ、すごい。


「——は、なんだそれは」


 爪先まで魔力が滴り、身体加速——キルシュは石畳を蹴った。

 瞳に底光る帝王紫の閃影が剣王の懐に飛び込む。

 可憐な見た目とは裏腹の重い一撃を受け止めたライオルの膝が沈み。


 遊んでいる時間はない、編入試験に全力を注ぐためにも——キルシュは猛然と凍剣を振るう。


 帯剣を許された特待生の防戦一方に、在校生は声を失い。


 銀閃が走り、ライオルの両手から剣が弾け飛ぶ。

 石畳で踊る尖った音、清冽な風に朽ち葉が舞い上がり。


 鼻先まで黒衣を引き下げ、キルシュは尻餅のライオルに剣尖を突きつけた。


「姉さまは僕より強い。この程度で僕らに挑もうとするな」


 凍剣を放って手袋を拾う弟の背に、エシレは飛びついた。


 ——キィくん、ありがと。


 静かに割れた人垣に一瞥もくれず、姉にされるがままキルシュは歩き出す。

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