第2話 魔窟の底で魔杖を手にする

「会員制だ」


 カウンターを挟んで、禿頭が腕組みをしている。

 トルテは、肩口にかかる砂色の髪を優雅に払った。


「会員制はともかく、魔力の壜を百本いただくわ」

「純銀貨で百枚になるが、いったいどんな仕事だ。火竜の群れでも退治するのか?」

「ひ、み、つ。お金はないの、つけといて」


 トルテは腰に両手をあてて、得意げに胸をそらした。

 左胸の煌びやかな徽章に、禿頭は目を見開くも、


「俺は何千人と冒険者を見てきた。残念だが、自称S級のお嬢さんとは取引しない」

「鑑定玉で測定不能のわたしを偽物呼ばわりとは、聞き捨てなりませんの——」


 カウンターに両手をついてまくしたてるトルテを、禿頭は無視した。影のように控える少女をみつめる。


「そこの嬢ちゃん、名前は」

「——それはわたしの妹、エシレよ」

「俺は情報も売り買いする。何より重要なのは、嬢ちゃんのような大物に恩を売ることだ」

「ちょっと何言ってるの。この子、託宣の儀はまだなのよ」

「嬢ちゃん、少しだけ顔と力を見せてくれ。そしたら半額にしてやってもいい」


 少しならいいか——キルシュは目深の黒衣を払い手袋をはめた。


 数瞬、腹底でうねる魔力を絞りながら解放。


 ふわりと逆巻く砂色の長い髪に精緻の白貌、なにより底光る帝王紫の瞳に、禿頭は息を呑む。


 白魔——キルシュは鮮やかに想い描く。


 しゅるしゅると氷の細剣を無詠唱で練り上げて、カウンターに置いた。


 禿頭は冷気を放つ剣身を爪で叩き、


「ああ……俺の目に狂いはなかった。百年いや千年に一人の——」

「それで、半額にしていただけるのかしら」

「もちろんだ」


 奥に消えた禿頭が、膨らんだ麻袋を抱えて戻ってきた。

 カウンターにそれらを並べ、手を伸ばしたトルテを制する。


「嬢ちゃん、たまにでいい。店へ顔を出してくれないか」


 父さま亡き今、心の底から信頼できるのは老師さまだけ——答えの代わりに、キルシュは黒衣を鼻先まで引き下げた。



 廃村で一夜を過ごし、キルシュが手綱を握る荷馬車は朝靄が立ちこめる樹街道をゆく。


 荷台から届く姉の寝息、この図太さなら魔窟の底までいけるかな。

 でも、大穴の深さによっては、僕の魔力では届かないかも。

 そうなら、人目を気にせず全力で魔力を展開する練習場にしよう。

 伯母さまは大抵の頼みを叶えてくれるし。


 彼方に篝火、キルシュは手綱をゆるめた。



「姉さま、着きましたよ」

「ーん、もうちょっと寝かせて」


 キルシュは指先に込めた魔力を放った。

 冷気が白いうなじをくすぐり。


「ひゃあ」

「姉さま、おはようございます」

「あんたねー、女神のわたしに対する扱いがなってない。もっと優しくしなさいな」

「はいはい、姉さま。ご飯にしましょう」


 毛布からのぞくむくれ顔に、キルシュは温かい椀を差し出し、


「命がかかっています。ここから先は、僕の指示に従ってください」


 返事のない姉をじっとみつめる。


「わかってるわよ。自分がS級じゃないくらい」


 トルテは飲み干した椀を突き返し、大きな目をしならせ、


「あんたはわたしの弟なの。全力でお姉ちゃんを守るのよ」

「従者、じゃないんですか」

「口答えしない。パンとチーズ」

「はいはい、姉さま——」


 冒険者が集う魔窟村に荷馬車を預けて、山道を登る。

 茂る野原をかきわけ、大穴の辺に着いた。

 曇天の下、闇色の縦穴から不気味な声がせり上がる。


 キルシュは下ろした麻袋から魔力の壜を取り出し、次々と飲み干した。

 あきれ顔の姉に一本を差し出し、


「寒くなりますから、これを着て下さい」


 小さくげっぷのトルテは、手袋をはき毛足の長い外套をまとった。



「僕から離れないで」


 青葉を叩く雨を浴びながら、キルシュは細い腰を抱き断崖に臨む。

 腹底で長く練り上げた魔力を解放。


 白魔——ささやくように、キルシュの足元から真夏が凍りついてゆく。


 キルシュは鮮やかに想い描く。

 しゅるしゅると音を立てながら岩壁に這う氷の階段が、縦穴の闇に呑まれて。


「すごい……」


 いつしか雨は雪に変わり、トルテの感嘆の吐息は白く砕けた。


「姉さま、照明の魔術を——」

「女神のわたしは、お腹が空いたので帰ります」

「……借金が増えますけど」

「そ、そうだ。魔力の壜を転売すればボロ儲けよ」

「残り十本ですが」

「ねぇ、魔窟の底だよ、死んじゃうよ。結婚もまだなのに、死にたくない——」


 キルシュは姉の両手を握った。

 手袋越しに震えが伝わり、


「亡き父さまに誓って、僕が姉さまを守るから」

「うぅ……あんたは死んでも女神のわたしを守るのよ」


 相変わらず無茶苦茶だけど、初めての素直な姉さま、ほんのちょっとだけ可愛い、けど——キルシュは氷のらせん階段へ踏み出す。


 闇が濃くなり、キルシュは足を止めた。


「な、な、なによ」


 抱きついてきた姉にかまわず天を仰ぐと、しんしんと降る雪に滲む光点。


「姉さま、もっと明かりを」

「これで限界よ」


 空き壜を闇に放り、数えて三拍の小さな破砕音——底は近い、聖剣の上で眠る魔物を起こさなくては。


「姉さま、炎球を底に撃ち込んでください」

「な、なにかいる。無理無理む——」


 やっぱり使えない姉さまだな——懐から取り出したおまけの魔光弾を放る。


「おはよう、地上に舞い降りた女神に会わせてあげる」


 闇の底に閃光がひろがった。


 ザアーッと一斉に羽ばたく音に、キルシュは魔力を解放。


 白魔——縦穴を埋めつくす、幾重にも泡立つ氷塊が鋭い音を残し。


 激光の紗幕を破って、赤い複眼の昆虫めいた異形ども。

 七色に遊ぶ翅がうなりを上げるも、数多の氷杭に射抜かれ墜ちてゆく。


「な、な、なによ、あれ」


 ぼんやりと光る底に、真っ赤の大口が開いた。

 墜ちた魔物ども喰らう白い牙の凶悪。


 キルシュは、ありったけの魔力を解放。


 白魔——足元から、世界が軋みを奏で凍ってゆく。


 闇の底から岩壁を駆け迫る大百足、頭ひとつ低い弟の背にトルテはしがみつき。


 絶死の氷の波は大百足を呑み、凍りついた多脚がもげ落ちて。


「姉さま、魔力の壜を」


 微かに震える手から小壜を数本受け取り、キルシュは飲み干した。

 喉が凍るも、腹底に魔力が沸騰。

 無詠唱から、幾重もの氷槍を練り上げて。


 撃った。


 低く唸る白影は大百足を粉々に貫いて——静寂。



 氷のらせん階段の果て、雪が舞う魔窟の底に降りた。

 岩肌に密生する苔は淡い緑の光を放ち、氷に呑まれた異形の魔物どもの不気味な半影。


「地獄の舞踏会の始まりです。姉さま、覚悟はいいですね?」

「ここで待ってる」

「聖剣を覆う氷を溶かさなくてなりません。姉さまの炎が必要です」

「うぅ」


 キルシュは魔力を込めた右手をゆっくりと巡らせる。

 聖剣は魔力に反応する——父さまの剣をこの手に。


「あっ、青く光った、光ったよ」


 トルテは右の氷洞を指さした。


 退路の確保——キルシュは氷槍を練り上げる。


 撃った。


 氷像の魔物どもは砕け散り、その奥に滲む青い光芒。

 一歩を踏み出したキルシュに、トルテは飛びつく。


「ねぇ、褒めて。わたしが見つけたのよ」

「はいはい、姉さま——」


 地層渦巻く円蓋の下、キルシュは地底湖の辺で足を止めた。

 うっすらと凍った湖面、まだ何かある——小壜を数本空にして、指先に魔力を滴らせ。


「ほら、いくわよ。さっさと終わらせて帰りましょ」


 鼻歌の足取りで、トルテは向こう岸へ。


「あった、あったよ」


 足元の氷床で青く滲む聖剣に杖を向け、炎の魔術を唱え始める。


 魔物が現れるとしたら縦穴か湖面——キルシュは五感を研ぎ澄まし。


 水蒸気が立ちこめて、トルテの唇から笑みがこぼれた。


「ねぇ、わたしを讃えて。お父さまの剣を取り戻したの」


 凪いだ地底湖を背に、トルテは聖剣を掲げた。

 さすがは姉さま——キルシュは小さな拍手。


「わたしを馬鹿にしたあのハゲを、どうしてくれようかしら。ぷぷぷ、靴をべろんべろん舐めさせ、わたしの椅子よ、いすぅーっ」


 瞬間、湖面が盛り上がり。

 白波を噛んで迫る大百足の大口が、キルシュの黒瞳におさまる。

 転瞬、練り上げた魔力を解放。


 絶速——時は沈黙、世界が一変。海底洞窟のような深い闇。


 爪先に魔力を込めて身体加速。なんとか姉を背負い、腰まで砂海に浸かるような、もどかしい全力疾走。


 あっという間に息が苦しい——振り仰ぐとゆっくりと迫る白影。


 視界がゆがんで、轟音。


 間一髪、振り下ろしの地を抉った節足の一撃を逃れた二人の体が宙を舞う。


 舌が甘みに満ちて命の危機——着地から、息も絶え絶えにキルシュは駆け出す。


「あ、」


 派手に転ぶ音。


 ほんと使えない——駆け戻って、聖剣を拾う。


 喘ぐ涙目に手を差し伸べ、腰にすがられ。


 数瞬、聖剣に魔力を込めると、胸によぎる父さまの褒めちぎり。


 ——ついに斬撃を放ったか、素晴らしい、わしの希望はお前だけだ、そのまま突き進め。


 洞窟に半身を突っ込んだ大百足に、聖剣を振り下ろした。


 鋭刃の白影が大百足を真っ二つ。


 半身を失ってもなお、頭を引っこ抜いた大百足の赤い複眼が二人を捉える。


「やれやれ——」


 キルシュは聖剣を一閃。

 甲高く唸る光刃は多脚で駆け迫る大百足を切り裂いて——静寂。



「もう帰ろう、女神のわたしがお願いしてるの——」


 腰にすがる姉をひきずって、キルシュは横たわる巨躯に向かった。

 魔力を込めた手のひらを向けると、巨大な腹に滲む紫黒の光芒。


「姉さま、あれを」

「無理無理む——」


 ぺちり——ささやかな乾いた音が魔窟に響いた。


 トルテは涙の跡が残る片頬に両手をあてて、


「ぶったわね、お父さまは決して手をあげなかったのに」

「いい加減にしてください。ここでは僕の指示に従う、そう約束したじゃないですか」

「うるさい! とにかく帰るの!」


 キルシュの闇色の瞳に滲む帝王紫が底光り。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい——」


 腰にすがりつく泣き声——だめだ、残念な姉さまを何とかしないと、キルシュは懇願に揺れる髪の一房をすくい上げた。


「あれはお宝です。魔力に反応したから、値段のつかない聖剣ですよ」

「うぅ」

「頑張った僕たちへのご褒美です。二人で山分けにしましょう」


 トルテはすくっと立ち上がり、肩口にかかる砂色の髪を優雅に払う。


「まかせて。女神のわたしに不可能はないの」


 さすが姉さま、頼りになります——キルシュは小さく拍手。


 ごうごうと生白い腹を焼き払う音に混じる異臭が漂う。


「聖剣じゃないみたいね」


 鼻をつまんだまま、トルテは杖を下げた。

 キルシュは焼けただれた腹をのぞき込む。


 沸騰の緑に浸かる杖——片手を向けて魔力を解放。


 しゅるしゅると氷の蔓がキルシュの片腕から生え伸びて杖に絡む。

 釣り上げて氷床に転がし宙から絞り出した冷水をかけて綺麗にすると、先端に蔓薔薇が咲く——。


「まぁ、可愛い。女神のわたしにお似合いね」


 トルテはを鈍色の杖を拾い上げた。


「あ、」


 手から滑り落ちた杖が氷床で踊る。

 卒倒の姉を、キルシュは慌てて両手におさめた。


 ほんと軽率な姉さまだな——杖を拾う。


 ずん、と腹底に雪崩れる魔力に思わず両膝を屈し、杖を突き立て。


「うぉおおおー」


 白魔——言祝ことほぐような軋みが、魔窟の最奥からひろがった。


 絶死の雪波が、世界を呑み込んでゆく。


 気絶の姉を胸に抱く、たぎる帝王紫の双眸を残し。

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