第2話 不死鳥の女神
頬をなでる涼しい風。
青空に浮かぶ白い雲。
太陽の光がわずかに見える。
芝生のうえに俺は寝ているようだ。
「………………ここは?」
まぶしい木漏れ日を手でさえぎる。
明瞭な視界にひろがるのは、貴族が住んでいそうな豪邸の庭園であった。
「涙……?」
泣いていたらしい。
はて、いつから俺は寝ていたのか。
温かな涙を指でぬぐいさる。
さっきまで俺は……俺は何をしていた?
思い出そうと頭をひねる。
突如、強烈な頭痛におそわれた。
まぶたの裏側に焼きついた団長。
ゲタゲタと笑う騎士たち。
虐げられた日々。
豚小屋のなかで俺は″終わった″。
組織への忠誠など何の意味もなかった。
「ッ、そうだ、俺はリク……俺は忠誠を誓った団長に腕を斬られて……」
死んだ。
正確には俺にトドメをさしたのは、ミラー、ガレット、クベイルの憎き三人衆だが。
となると、俺は夢を見ているのか。
「だが、これは……」
俺は木陰をでて、石畳の脇にひかれたちいさな水路のほとりで膝をおる。水面に指をふれれば、冷たさがしっかりとあった。
沈む指先、包みこまれる感触。
これは夢ではない。
「それじゃここは天国か? ふふ、花がたくさんあって、確かに理想郷っぽいな」
「それは違います、リク……いえ、ヘンドリック」
「ぇ?」
独り言に、まさかの返答する声があった。
俺は慌ててあたりを見渡す。
しかし、誰もいない。
「ここですよ、あなたの頭のうえです」
「あっ、そんなところに……」
枝木のうえに声の主人を発見した。
見覚えのあるシルエットだった。
「ラテナ!? ぇッ!?」
「ふふふ、そうです、可愛い相棒ラテナですとも。ようやく気がつきましたか」
木漏れ日を受けて輝く鳥。
俺の長年の相棒であるカラフルフクロウのラテナは″そう喋った″。
「お、お前、喋れたのか?」
「今回から喋れるようになりました。私のボディ作成力は日進月歩で進化しているわけです。次回は炎も吹きますよ」
「どゆこと……フクロウって炎吹くっけ?」
「まったく、あなたは相変わらず冗談が通じませんね。こほんこほん。見た目に騙されてはいけないんです。外見はフクロウさんですが中身は女神なんですから」
「ラテナは女神だって言うのか? そのなりで女神なのか?」
「そうですとも、えっへん。こう見えて神の中でも結構偉いほうの女神なのですっ♪」
「……」
「むむ、その目は信じていませんね? ふっふふ、仕方ないので証拠を見せてあげます」
ラテナが輝きをはなち始めた。
大空へふわりと舞いあがる。
すこしして、舞い落ちるカラフルな羽根とともに光がヒトの形となって降りてくる。
まぶしさと羽根が、風の勢いでぶわっと晴れた。
そこには、庭園を背にした美しい少女がたっていた。
燃えるような赤い髪。
黄色い瞳は猛禽類らしく鋭い。
年齢は15歳ほどの若さだろうか。
カラフルな羽飾りは民族的華やかさがあり、白い肌とあいまって神性を感じさせた。
息を呑むほど可憐、絶世の美少女である。
すごい。
うちのラテナはこんな可愛かったのか。
彼女はにこやかに微笑み、俺に近づいて膝をおると、頬に手をそえてきた。
温かさがじわりと広がっていく。
どこか懐かしさを感じるぬくもりだ。
「いいですか、まず大事なことをひとつ」
「ラテナ…よかった……天国での一緒にいられるんなら他には何もいらないよ」
ラテナを抱きしめてスリスリする。
「寝ぼけていてはだめです。えいっ」
頭をこつんっと小突かれた。
俺は目を丸くしてラテナをみる。
「まだ天国なんて優しい場所へ連れていってあげるものですか、やれやれですね」
「へ? それってどういう……」
ラテナはぷくーっと頬を膨らませて、はぁーっと大きなため息をついた。
「大事なことです。よく聞いてくださいね。リク、あなたはもうリクじゃありません」
「それはどういう」
「今日からあなたはヘンドリック。ヘンドリック浮雲です」
「ヘンドリック浮雲……? それって確かウィリアム様のご子息なんじゃ」
「その通り。しかし、ここでまたもうひとつ大事なことがあります」
「待て待て、まだ状況が飲み込めない」
「ヘンドリック浮雲は死にました」
「……?」
うちのラテナが狂ってしまった。
たった2秒で自分の言葉を否定するなんて。ボケ症か? 痛ましいことだ。
「そ、そんな目でみるんじゃないです、ヘンドリック! 私はおかしくありません! とにかく自分の体を見下ろしてみてください!」
言われた通り見下ろす。
なんでか、白い服を着ていた。
まるで埋葬前に霊廟に祀られる遺体みたいな──。
「その通り、ヘンドリック浮雲は死にました。昨日、病気で死んでついさっきまで霊廟に寝かされていたんです」
「……で、それが俺だと? どいうことだ? それになんで俺はこんなとこで日向ぼっこしてるんだよ」
話を聞くに太陽のひかりを浴びせたかったらしい。
「私は女神は女神でも、不死鳥の女神なのですよ、ヘンドリック。炎と天空と不死をつかさどる最高神のひとり。太陽のひかりを元気にあびたヘンドリック浮雲の遺体に、私の大切な″あなた″という魂を入れたんです。これを私含めて神たちは『転生術』と呼びます」
「転生術……。生まれ変わったってことか、俺が」
口に出すと納得できた。
あまりにも眉唾な奇跡だが、俺はこの幸運と神技を受け入れることにした。
俺は薄く微笑み、ラテナの赤くきめ細かい髪に指をとおす。
そして、わしわしと彼女が大好きでたまらない撫で撫でをしてあげた。
「あ…、ぁ、こ、こら! 私は女神だと正体をバラしたのに、な、なな、なんたる、ふけぃ……やめ、やめるのですよ!」
「遠慮するなって。ありがとな、ラテナ。むずかしい事はわからないけど、お前が死の間際に助けてくれたってことは確かなんだよな」
やっぱり、うちの子は最高だ。
両手をおおきく開いてみる。
俺がこのポーズをすると、決まってラテナは飛び込んできて、バタバタ翼を擦りつけて好き好きアピールしてくれるのだ。
「私はもうフクロウじゃないんです!」
そう言いながらも、ラテナはうずうずしたようにチラチラとこちらを見てくる。
「ヘンドリックのこういうところはズルいですよ……もぅ、女神のメンツが……」
ボソボソ言いながら、ラテナは俺の胸に顔をうずめて、体重をあずけてくれた。
「よーしよしよし、良い子だ」
「ふく…ふくふく…」
ひと通りスキンシップを終えて、ラテナを解放してあげる。頬は高揚して染まっており嬉しそうだった。
「よし、それじゃ、ちょっとぶっ飛ばしにいくか。ここが天国じゃないんなら、まだあいつらだっているはずだ」
俺は静かに腰をあげる。
ラテナも決意の表情で立ちあがった。
何としても報復しなければならない。
あの身勝手で人の忠誠をいたずらにもてあそぶ人間たちを野放しにはしておけない。
「って、あれ? 俺なんかちいさくないか」
「ヘンドリック、ひとつ言い忘れてました」
身長差30センチ以上をラテナに開けられながら、彼女は頭上から声を落としてくる。
「いいですか、ヘンドリック浮雲くんは、今年で7歳になったばかりの子どもです」
「7才…? ちょっと若すぎか」
「それに死人から蘇ってます。昨日、葬式もあげちゃってます」
「……まだ慌てる時間じゃなかったかな」
落ち着いて芝に腰をおろした。
どうやら裏切りの報復をするまえに、考えなくてはいけないことがあるようだ。
「賢明ですよ。7歳の少年にできることは限られています。ひとつずつこなさないと」
「7才の俺にはなにができるんだ……? 俺がウィリアム様の死んだ息子だっていうなら、この事は教えたほうがいいよな」
「いえ、それは秘密にしてほしいです、ヘンドリック。転生したことを他人に知られると″厄介な者たち″から目を引いちゃうので」
「厄介な者たち?」
「神秘学者。敵にまわしたら危険な連中です。特に私みたいな神格をもつ生物には天敵なのですよ、ヘンドリック」
神秘学者が何者かはわからないが、ラテナの焦りようを見るからに、彼女が強い警戒心を持っているとわかる。
前世では守ってやれなかった分、今度こそラテナを守ることは俺の使命だ。
「安心しろ、ラテナ。必ず守る」
「ヘンドリック……」
「心苦しいが、ウィリアム様にはこの事は秘密にしておこう」
「ええ、そうしてくれると嬉しいです──と、こんな話をしていたら、ウィリアム様がいらっしゃいましたよ」
顔をもたげて屋敷のほうを見る。
アライアンスの兵舎でいつも俺のことを気づかってくれた上級騎士。
騎士団から派遣され、辺境で領地貴族にちかい生活を許されたエリート騎士だ。
俺が死ぬ数日前に屋敷にかえったことは知っていた。
しかし、まさか息子の死に直面していたなんて思いもよらなかったな。
遠目から見ても、彼の顔には影がある。
快活な性格の彼とはちがう、悲しみにつつまれ、幼き我が子の死に絶望する顔だ。
俺はラテナと顔を見合い、うなずきあう。
「今日から俺はちがう人間」
「リクじゃなく、ヘンドリック浮雲です」
「よし」
可憐な女神からフクロウに戻った彼女を頭に、俺はウィリアムのもとへ走っていった。
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