第6話 アライアンス:騎士と平民


 王都の空は穏やかだ。

 この街に雲がかかる日など年に一度あるかないかだ。


 神と人間の子と言われる騎士王の治める都市なので、特別な加護があるらしい──と、そんな迷信をこの国の民たちは、深く信じこんでいる。


「今週も騎士王様のご威光に感謝を申し上げます」

 

 果物屋の店先で茶色い髪の少女が、両手をあわせていた。

 瞑目する彼女のはるか先には、王都中心にそびえたつ騎士王の王城がある。


「リゼット、すこし出てくるから店番お願いよ」

「はーい、お母さん」


 祈りを捧げていた少女──リゼットは、まぶたをもちあげ紅瞳で母の背中をいちべつする。


「今日も一日がんばらないと」


 彼女は今朝仕入れた果物屋を店先にならべる。


 今日もまた王都の活気溢れる市場の一日が始まろうとしていた。



 ──しばらく後



 リゼットは妹のクスリアに店番をまかせて、草原にやってきていた。

 

 彼女はここで、友達の男の子とお昼を食べるのが1日を頑張る気力となっていた。


「はぁ……リク、どこ行っちゃんだろ」


 ボーッと青空を眺めながら、新鮮な果物をかじり、リゼットは悲哀にくれる。


 1ヶ月前からこつぜんと消えた少年のことが、頭から離れなかった。


 顔は別段かっこよくはなかったけど、気さくで、優しくで、よく気遣いができて、まめで……お互い大変だろうなって思いながらも気持ちを共有できていた。


 むしょうに、からかってやりたくなる気持ちは、もしかしたら構って欲しかったのかもしれない、と彼女は自分の心を見つめ直す。

 

「あーあ……何も言わずに消える事ないのに……告白しそびれちゃった」


 リゼットは自嘲気味に、乾いた笑みをうかべた。


 しかし、心は泣いていた。


「……ぅぅ」


 ポロポロと流れる玉の涙をぬぐう。

 何度も何度もぬぐってもあふれてくる。

 

 リゼットはフタをしようとしても止まらない気持ちに「あーもう!」とムキになって立ち上があった。


「リクのバカーーーー!」


 草原に響き渡るくらい大声でさけんだ。


「はあ、はあ、乙女心をもてあそんでチャンスすら与えずに失恋させるんだもん、最低だよ、ふん!」


 リゼットは食べかけの果実をバスケットにつっこみ、さっさと帰ることにした。


 リクの事など忘れよう。


 そう何度目かの誓いをしながら、彼女は市場へもどって行った。



 ──────────

          ──────────



 ──リク失踪から数ヶ月


 リゼットは今日も元気に果物屋のまえで客をあつめていた。


 看板娘として愛想よくして、知り合いを見かけたら必ず何か買っていくよう脅迫する。


「まいど〜!」


「またリンゴ買わされた……」

「リゼットちゃんには敵わないな」


 悔しそうにつぶやきながらも、果物を買った労働者たちはニコニコ嬉しそうだった。


 リゼットは半眼で怪しくほくそ笑む。


 自分のお願いを断れる者などいないのだ。


 そう思っている顔だった。


「お姉ちゃん、あんまり乱暴な売り方したらまたお母さんに怒られるよ」

「いいのいいの、お得意様がどこかに逃げちゃったんだから仕方ないでしょ」


 クスリアは不機嫌な姉の顔をみて、彼女がリクのことを思い出しているのだと気がついていた。


「はあ、もういいよ。でも、気をつけないと変なのに目つけられちゃうからね」

 

 クスリアはリクの事を恨んでいた。

 市場でいちばんの美人である姉に好かれて起きながら、彼女をおいて失踪したことだ。


 どうせなら姉を連れて逃げてほしかった。


 そうすれば、きっと彼女は幸せになれただろうに──。


 賢いクスリアは兵舎のほうから、人混みをかき分けて来る、赤髪の男をみながら、そんなことを思っていた。


「俺のリゼット。今日も来てやったぞ」

「っ、ミラーさま」


 果物屋のまえに現れた騎士見習いミラーの姿に、まわりがピリピリとしはじめる。

 けれど商人たちは誰も顔にはださないし、口に出して何かいうこともない。


 ただ、巻き込まれないように無視して平然をふるまうだけだ。


「リゼット、お前は相変わらず美しいな」


 ミラーは少女のほそい顎をクイッと持ちあげて、顔をじっくりと見つめる。


 舌なめずりをして、欲情にまみれた手つきで頬をなで、首にスーっと手をそわせて、胸元に手を伸ばす。


 リゼットは不快感を押し殺して「やめてください」と手をふりほどいた。


「おやおや、これはご挨拶じゃないか。俺はただ果物を買いに来てやったというのに」

「それは、騎士見習いミラーさまのお仕事とは思えませんが」


 リゼットは軽蔑の表情でミラーを見上げる。


「ハッ、使えない雑用係が仕事をほうりだして逃げたからな! ああ、あのクズの尻拭いをしてやるとは、俺はなんと寛大な騎士なのだろうなぁ〜」


 ミラーは笑いを堪えながら、リゼットへ手を伸ばす。


「やめてください」

「ん?」


 クスリアが前へでた。

 リゼットとミラーの間に割り込むように、身体をはさみこむ。


 ミラーは眉をひくつかせる。


「ミラーさま、買い物をするだけならはやく品を選ばれては。こんなところで油を売っていては騎士の威信に関わります」

「なんだと……?」


 クスリアの挑戦的な言葉遣いに、ミラーはニチャって粘着質な笑みをうかべる。

 彼女の態度は、ミラーのような男が実力行使にでるのにかっこうの理由づけだった。


 ミラーはおもむろにクスリアの胸を鷲掴み、ハッと驚く彼女の腰を抱きよせた。


「俺に抱いてほしいならそう言えよ」

「嫌、やめっ…」


「クスリア……!」


 リゼットがとっさに止めにはいる。


 だが、ミラーは涙目で抵抗するクスリアを押しのけ、頬を平手打ちした。


 倒れたクスリアへリゼットは駆け寄る。


「平民風情が、生意気なんだよ」


 ミラーはそう言い、新鮮な果物がならぶ棚を足で蹴っ飛ばしてたおした。

 ガタガタと果実棚がくずれて、商品の多くが傷ついてしまった。


 市場の者たちもさすがに無視はできず、多くが非難の眼差しという、羽虫のようなフォローでリゼットたちを守りにかかる。


 ミラーはそんな彼らを一蹴して「妹をよくしつけておけよ」と、楽しげに笑って兵舎へもどっていった。


「なんで、なんで、こんな目に私たちばっかり……」

「お姉ちゃん、私は大丈夫だから…果物拾わないとダメになっちゃうよ」


 クスリアは頬にあざをつくりながらも、殊勝に微笑んでみせる。

 リゼットはミラーの理不尽極まる暴力に歯をかみしめながらも「わかった、いっしょに拾おうね」と妹の頭をなでてあげた。



 ──────────

         ───────────



 その晩、店を片付けて自宅に戻って来たリゼットとクスリアは、母親に呼び止められていた。


 国交が開かれたことで、アルカマジの魔術師が、王都でちいさな魔術学校を開設したらしいと市場で噂になっていた。

 そこで、2人の母親は娘たちに身を守るすべとして魔術を与えたがっていたのだ。


 身を守るという言葉を聞いて、リゼットは妹クスリアの顔を見た。


 自分とよく似た顔に、青いあざがある。

 彼女が守ってくれなければ、あの青あざは自分に出来ていた。


 リゼットはそう言うふうに思って、身震いしていた。と、同時に横暴な騎士見習いミラーへの不満を募らせていた。


「でも、お金かかるんでしょ?」


 クスリアはたずねる。

 

「お姉ちゃんだけで行けばいいよ。私は魔術とか興味ないし」


 賢いクスリアは金銭的に娘2人を魔術学校にいかせる余裕が家にはないと知っていた。


 リゼットはクスリアひとりを残す事をためらったが、ミラーの件もあり、彼女は店先にいない方が良いということになった。


「なにそれ……逃げろってこと?」

「仕方ないでしょ、リゼット。騎士にさからったら酷い目にあうんだから」


 母親は疲れた顔でそういった。

 この表情をリゼットは知っていた。


 まだリクが雑用係をしていて、ミラーから自分のことを毎日のように、身体を張ってかばっていてくれた日のことだ。

 リゼットは尋ねた方がある。

 「一方的にやられて悔しくないのか」と。

 そう聞くと決まってリクは「騎士だから仕方ないよ」と答えるのだった。


「騎士がそんなに偉いの? 私、全然わかんないよ、なんで騎士だからってあんな自分勝手で最低なことが許されるの……」

「許されやしないよ。この事は市場のみんなで不死鳥騎士団へ報告したから、必ず罰がくだるさ」


 母親はそう言いながらも、なにかを見通したような──あるいは諦めたような顔をしていた。


 

 ──翌日


 

 ミラーは不死鳥騎士団の判断で、見習い騎士として不適切な行いをしたものとして、投獄された。


 

 ──数日後


 

 リゼットとクスリアは市場をかっぽして、ペコペコと頭をさげる、元気そうなミラーの姿を遠目から見ていた。


「どうして……」


 絶句するリゼット。

 クスリアは目を細めて、近くの屋台の店主に話を聞く。


 どうやら「反省した」らしい。

 態度を直すことを条件に、あっさりと牢屋から出て来たのだ。

 

 こういった事例は騎士に限っていえば、まったく珍しいことではなかった。

 罪人をさばくのが騎士団なのだ。

 身内に甘くなるのは当然のことだった。


「お姉ちゃん行こう。学校に遅れちゃうよ」

「……うん、そうだね」


 リゼットは涙を飲みこんで、悔しさと打ち震えるほどの怒りをぐっと堪える。


 この世界に正義はないのだろうか。

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