第10話 異国人

 カナダ時間での10月19日、今日のライブには計7組が参加し、私がそのトリを務めることになっていた。なのでリハーサルも最後であり、恐らく2番手の開始時刻と被る17時半頃からのスタートが予定されている。

 16時には一旦集合が掛けられているものの、案外まだ4時間程度猶予が残されているようだ。この空きを利用して、私は日本に待つ知人への土産を買いに、いや本当の目的は違うところにいるのだが、少し都会へ出向くことにした。

 エマニュエルを誘ったが、残念ながら彼は“don't afford to go”との事だった。その代わりにといっては何だが、彼の専属ドライバーを用意してくれた為に脚に困ることはなさそうだ。如何にも高級そうな赤塗りのスポーツカーでドライバーは既に私を待っており、気前良く隣のドアから入るように合図をする。シートベルトを締めると髭面の男は真面目だなと感心するように目を見張り、そして焦げ茶色の歯を見せて“Nice to see u again.”と握手を求めた。手を握り返しはしたものの、私には彼に関する記憶が全くと言っていいほど欠けていた。そんな私を察したのか、男は苦笑いしてそりゃあ覚えていないよなと吐息を漏らす。

“Okay NOMAD, I'm Liam..., don't u remember me?” (ノマドよ、俺はリアムだ...って言っても思い出さねぇかい?)

 リアム...、矢張り記憶からは完全に抹消されているようである。素直に首を横に振ればそう、宛らエマニュエルのように悲しい顔をしてみせた。

“When you first met Ema, I was also drinking next to him.” (君が初めてエマニュエルに会った時、俺もその隣で酒を飲んでたさ。)

“Sorry, I completely forgot.” (悪い、まったく覚えてないな。)

“Jesus...” (なんてこった...。)

“Maybe, I'll forget u again.” (多分今日でまた忘れるだろうよ。)

 冗談めかして言ったのだが、強めの拳骨を貰ってしまった。

“I have a beef with this fist forever.” (この拳骨だけは一生根に持つよ。)

 そう言うとリアムは打って変わって皺くちゃに大笑いして、狭い車内にも関わらず肩を組んで耳元で囁くのだ。いい友達になれそうだな、と。

 アメリカ人気質の彼はエマニュエルに瓜二つのキャラクターだ。まぁ見た目は彼より随分老け込んではいるのだが。しかしこういう人間は嫌いじゃない。改めて彼に“Nice to meet u, Liam.”、これも敢えてそう言ったんだ。

 人通りのない山道を時速120km以上で駆けていくスリルは海外でしか味わえない。両サイドの窓は全開であり、強風が顔を叩くがこれもまた爽快でいて堪らない。外を覗けば限りない深緑に、それらが根付く土壌は谷底に位置している。仮にスリップでもすれば命がないのはまず間違いない。100m下の地面に車体ごと叩き付けられてお陀仏である。

“We feel fun at the risk of our lives, yah?” (命でも懸けないと人生なんて面白くない、そうだろう?)

 リアムは振り向いてまた汚い歯を覘かせた。そうだよ、これくらい馬鹿な男といなけりゃ面白くなんてないんだ。

 幾つか峠を越えて、下界には漸く懐かしい街並みが広がってきた。'orphan house'を出発して30分ほどが経過している。ここは日本における私の田舎より余程極端である。つまり寂れた田舎町を抜け出せば瞬く間に正反対の都会へと変貌するのだ。下山すればアベニューに従って直進していく。街の外郭には木造の民家が集合し、数軒おきに農場が併設されている。私はスマートフォンを取り出してこちらを眺める乳牛の呑気な面構えを写真に収めた。

 一足進めば均質な住宅街が視野に広がる。白を基調としたボックス型の家々が隙間もなく立ち並んでいる光景は日本の団地とはまた異質なものだ。各家は3階建ての構造であるが、それほどの圧迫感を覚えないのは住宅の無機質さの所以であろう。また街路樹に加えて多種多様な植生が至る所に繁茂しており、無機質な人工物に生命のベールを敷いているかのような印象を与えるのであった。

 ロータリーを回れば景色はまた一変する。赤屋根の一般住居に紛れて個人経営の飲食店にカナダ合同教会が疎らに点在する。教会の駐車場には一台の黒いワゴンが止まっており、その手前では教職者と五十路ほどの女性が何やら深刻な面持ちで会話をしている。ミニスターは彼女を教会内へと先導し、軈て二人は扉の奥へと姿を消した。私はしかしこの重厚な扉の向こう側を知っていた。二年程前初めてカナダを訪れた際に、敬虔なキリスト教徒の一家が祝日の礼拝に私を同行させてくれたのだ。それに彼等は牧師と親しい関係であったようで、賢者は赤ら顔に微笑み、教会員でもない私に快く手を差し出してくれたことを忘れない。

 彼等は今どうしているのだろう?

 大通りを抜け手広いスーパーマーケットを越えると漸くレストラン街へと招かれた。昼時なので人通りは多いが車数が少ないのは、この辺りが近隣住民の憩いの場であるからなのだ。だが彼等は私達のような余所者でも関係なく受け入れてくれる。それがカナダの人間性なのであろうか、曾てインドネシア系の知人が移民問題について教えてくれた事を思い出した。日本人は異なる人種を見た時「外国人」だと認識しがちだがここでは違う。カナダに足を踏み入れた時点で同等な「カナダ人」として受け入れられるだろうと。

 リアムは公共の駐車場に車を止めた。周辺にはスーベニアショップも少なくないので暫く散策してこいと投げ遣りに伝えると、彼はジョイントに火を付けた。

“What are u gonna do?” (アンタはこれからどうするんだ?)

 彼はニヤリと口角を上げて、「決まっているだろう?」、充血し始めた瞳で私を揶揄うように見据えるのだ。

“I'll wait at our memorable place, my bro.” (俺たちの思い出の場所で待ってるよ。)

 小汚い背広を羽織らせて、白髪の無頼漢は人混みの中に溶け込んでしまった。

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Crow and Eagle 野間戸 真夏 @nomadthecrow

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