第9話 擬似家族

“Susarmo, he's a member of 'orphan house', and ya son...” (スーサルモ、アイツは'orphan house'の住人であって、アンタの家族なのか...)

 エマニュエルは勘違いして首を傾げているようだが、私の驚くのは、家族という身近な存在にも関わらずスーサルモを掴めていない彼に対してであった。例え血が繋がっていなくとも、いや、これは家族には恵まれていた私の押しつけがましい傲慢に過ぎないのであろうか。

 漸く私の疑問を察したのだろう、彼は勘違いしているのはお前の方だと言わんばかりの喧騒で詰めかけてくる。

“It is what it is, he always rejects me, everyone except himself.” (仕方ない事なんだよ。アイツはいつでもオレを、自分以外の全員を拒絶しているからね。)

“Why?” (どうして?)

 また、相も変わらず彼は困った顔をした。だが顰めた彼の表情に深く陰が差し込んだのを私は見逃さなかった。何処か憂鬱な、面持ちであった。

“He is special. Susarmo, he's the saddest person in the world.” (アイツは特別なんだ。スーサルモは世界の誰よりも悲しい人間なんだよ。)

 エマニュエルは空になったグラスにタッセルを満杯に注ぎ直した。特有のひね香は離れて座る私の鼻孔をも擽ってみせた。

“I don't grasp his nature, but I know his past. Do you wanna know?” (オレにはヤツの性質は理解し難いが、昔話なら知ってるよ。聞きたいか?)

 問い掛ける彼からは自分を酔わせないと気が済まないような、薄らと鬼気迫る雰囲気を感じ取らずにはいられなかった。何となく私もグラスを差し出せば、彼は一文字に口を結んでウイスキーを注ぎ入れた。知らぬ間に空間そのものが厳粛さを帯びている。

“He had no parents since he was about five. I don't know what happened to them.” (アイツが5歳の頃には既に両親はいなかったらしい。どうしてかはオレには分からん。)

“When did he first meet you?” (スーサルモと初めて出会ったのはいつなんだ?)

“March 27, 2005. It's the day Rudi was arrested.” (2005年の3月27日、あれは'Rudi'が捕まった日だった。)

 2005年となると、仮に今スーサルモが25歳であるとすれば当時は10歳前後くらい、つまりは5年ほど孤児として過ごしていたことになる。

“Rudi?” (ルディ?)

“A dope man. He taught him theft, jugging, and high.” (売人だよ。ヤツはスーサルモに窃盗やドラッグ売買、それにハイを教えたのさ。)

“Trash, he is just.” (紛れもないクズだな。)

“Ya. So Susarmo is a junky. Rudi took advantage of his hunger, and earned.” (あぁ。そんな訳でスーサルモはジャンキーなんだよ。ルディはアイツの空腹に付け込んで生計を立てていたんだ。)

“Excuse me, I cannot understand 'took advantage of his hunger'.” (すまん、「空腹に付け込んで」ってどういう事だ?)

“Some drugs give us a sense of fullness. Especially, he took amphetamine, and suppressed his appetite.” (ドラッグの中には満腹作用をもつものがあって、特にアイツはアンフェタミンで空腹を誤魔化していたよ。)

 私は'orphan house'の地下室で錠剤を流し込んでいたスーサルモを思い出した。恍惚に浸った虚ろな瞳が、不思議と寂しく捉えられた。

“...now, is he still hungry?” (...今も、アイツは腹を空かせているのか?)

“Because his stomach shrunk in childhood, he is not good at eating solids. That's why, drugs are food for him.” (幼少期に胃が縮こまっているからな、固形物が苦手らしいんだ。そんな訳でドラッグがヤツの食事替わりなのさ。)

“Uncommon meal only?” (普通の食事は...?)

“It is usual for him. That made his taste crazy, so he never say the meal my wife makes is good, and eat.” (アイツにとってはそれが普通なんだよ。お蔭で味覚も大分狂っててね、嫁さんの飯すら不味いって言って食わないんだ。)

 エマニュエルは冗談めかして歯を見せていたが、立ち所に神妙な面持ちで“can't eat”と言葉を正した。

“Now, Why were you going to take care of him?” (話を戻すが、どうしてエマが引き取ることになったんだい?)

“Rudi was an asshole, but also an intellectual, and my drinking buddy. I used to be heard about Susarmo. Rudi said his violence is unsuitable to a criminal, cuz he has an abnormality in a part that controls emotions. So Rodi entreated me to take care of him if I'm arrested, and I granted.” (ルディはワルだ。だけど知識人でもあってね、俺の飲み友達だったのさ。ルディからはスーサルモについて色々聞かされていたよ。彼曰くスーサルモの暴力性は犯罪者には向いていないそうだ。感情を制御する部分が壊れているらしい。だから自分が塀の奥へ旅立った暁には引き取って見守ってやってほしいと、俺に懇願してきたよ。)

“..., Rudi got Susarmo?” (...ルディはスーサルモを理解していたのか?)

 カーテンの隙間からは微かに斜陽が差し込んでいる。エマニュエルは顎に手を添えて深く考え込む素振りを見せた。

“I can't answer ya question, but I know, Susarmo likes reading books. Well..., oh no, somehow it went over my head! Rudi taught him one more, it's reading. He is not an illiteracy for his circumstances. That was thanks to him.” (直接の答えにはならないだろうが、スーサルモは本が好きなんだ。おっと、どうやら忘れちまってたみたいだな。ルディがアイツに教えたもう一つ、それは読書だ。アイツは境遇の割には珍しくも識字不能者じゃない。それはルディのおかげなのさ。)

“I mean..., he educated Susarmo instead of school?” (学校代わりに教育していたと?)

“Ya.” (その通り。)

“As if Rodi made him money in compensation for education.” (まるで教育の対価として金を稼がせていたみたいだな。)

“Mostly correct.” (あながち間違ってない。)

 私の中でルディという男の善悪が判断し難くなっていたのは事実であろう。私には彼の真意が掴めずにいた。まだ物心も付いていない幼子であるのなら、利用するだけ利用して切り捨てるというのは悪人の性分として理解できるが、何故敢えて教育を施したのだろう。ルディが元々そういう人間だったのか、或いはスーサルモが彼を変えたのか。疑問は増す一方で減ることを知らない。

 エマニュエルは言葉を続ける。

“He still read books alone at 'orphan house'. Well..., by the way, Rudi said about him absorbed in meditations, 'Like a philosopher'.” (今でも変わらず'orphan house'では独り部屋に籠って読書しているよ。あっ...、そう云えば思索に耽るスーサルモを見てルディは言ってたな、「哲学者さながらだ」って。)

 'Like a philosopher'...、一時間ほど前にベアトリクスが残した'Pessimistic, and rational philosopher'と重なって私には聞こえた。エマニュエルを執拗に問い詰める必要はない、今私はルディがスーサルモを理解していたのだと知った。

“I think..., you call his philosophy 'eagle'.” (アイツの哲学が'eagle'なんだろうな。)

 エマニュエルはキョトンとしていたよ。彼も未だ'eagle'を知らない一人であるのだから。

“I wanna know it.” (俺もそいつを知りたいよ。)

 何処か晴れやかな気分であった。ルディへの疑念は話の展開につれて膨らむばかりである。しかし口下手で愚鈍なエマニュエルに頼っても、これ以上ルディの本心に納得できない奇怪な行動の真意も掴ましてはくれないだろう。だがそれでも、スーサルモに抱いていた蟠りが少しでも和らいだような気がして心地よかったのだ。私の弛んだ口元には流石の鈍感も勘付いたようである。呆れ笑いを溢せばこう言い放つのだ。

“Just himself.” (ヤツ自身にしか分からないさ。)

 小馬鹿にしたようなエマニュエルの態度はやけに鼻についたが、しかし腹の底から湧き上がる優越感が、どうやら彼に対して私を寛容にしてくれたようだった。

 太陽は真上に昇って、後は沈みゆくだけである。刻一刻とライブまでの時間は近付いていく。だが私には未だ迫る影も見えない。陰鬱は私を見捨てたのであろうか、或いは私の中の'crow'が充足感に憑り付かれているだけなのだろうか。

 答えは後者に違いあるまい。

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