第6話 A.M. 4:15

 やはり夜風は心を和ませる。

 私のリハーサルは午前4時15分に決まり、一人エマニュエルのフォードにもたれてアルコールに浸っていた。ウィードは吸わない分、酒で自分を酔わせる必要があった。

 エマニュエルは主催者であるので地下室でずっと待機している。心配なのはDJとしてのファンであるが、漢の約束を交わしたのだ、杞憂で終わるに違いあるまい。

 ファンはスーサルモに対してもDJの職を全うしなくてはならない。もう揉め事は起こすなと念を押せば、彼は素直に頷いた。彼は素直であるほどに信用に足る、純粋な少年であるのだ。無駄な疑いを抱かずに済むのが、彼との付き合いの楽なところだ。

 カナダに到着しての数時間は余りに濃密すぎて、もう数ヶ月滞在したかのような錯覚に陥るのも仕方あるまい。それに今回はスーサルモという生粋のトラブルメーカーも混じっているので尚更だ。退室前にエマニュエルに愚痴を溢せば喜んで赤ワインを差し出してくれた。イタリア産のチョコレートワインらしいが、特徴的な長細いボトルには'Terre di Terrossa Passito'と書かれている。真正直に20歳まで一滴の酒も飲まなかった私である、ワインは無論まだ酒の種類すらも何も分からなかったので、とにかくアルコールの強いものを要求した。

 今思えばこの赤ワインは酒も知らない日本人への「からかい」であったのだろう。それでもコルクが抜かれたボトルに直接口を付けて飲み干せば、甘ったるさに混じったほろ苦さが胸に染みた。やけに温かくて、でもコイツが堪らなかった。

 肌寒い夜風が気持ち良すぎて、酔いも混じってか薄ら恍惚に浸っていた。もしかするとウィードの副流煙も影響しているのかもしれないが。こういう時こそ無意識に歌詞を口づさんでしまうもので、それはまだ世界に存在していなかった、そんな厳かなリリックが辺りをふわふわと漂うのだ。産みの親が私であるとも知らずに、気の向くままに踊り狂う旋律は美しくも愛しかった。

“Hey.”

 声の方向に振り返ればいつの間にか、私は4人の男女に囲まれていた。

 男3人は季節外れもいい所なタンクトップを身に纏い、至る箇所から「落書き」がはみ出している。女だって、金色の長髪に隠された首筋からは微かに薔薇の花が覗いていた。特に正面に仁王立ちした190cmはあろう大男が私を見下しており、私は彼の左瞼に“cura”のアルファベットを確認できた。

 異国の旅人に喧嘩の一つも売りに来たのかと身構えたが、実はそんなに物騒な用事でもなかったらしい。臨戦態勢に入った私を悟ったのか、強面の男達は頬を緩めて腹から爆笑した。海外の大男たちは何故こんなに煩く笑えるのかとつくづく思うが、しかし私の緊張が解れたのも事実であった。正面の大男は距離を詰めると私の両肩に手を置いて、本人にその気はなかったのであろうが、非常に力強く掴んでみせた。

“Are you NOMAD, right?” (ノマドであってるよな?)

 私が頷くと彼はニヤリと口角を上げた。

“Today, we came here for you.” (今日はお前のためにここに来たんだ。)

 そう言うと彼等は一斉にある曲の一節を歌い始めた。そいつは私が最も身近に知る音楽であって、私の中に何か込み上げてくるものがあった。

 “Sun and Crow”、私の人生初めてのライブで締めを飾った一曲である。彼等は口々に“Sun and Crow”と唱え、私を改めて称える。少なくとも私には祝福の挨拶のように捉えられて、何だか照れ臭くて俯いてしまった。隣の男が私と肩を組んだのを皮切りに他の3人までくっついてきて暑苦しいし何よりも恥ずかしい。“Hey”と呼ばれた方向には自撮り棒に支えられたスマートフォンが見えた。

“Welcome back, Crow.” (よく帰ってきたな、Crow。)

 人と触れ合うのはやっぱり苦手だけど、彼等の温かさは胸に染みたよ。


 A.M.4:15、私は絆創膏塗れのファンと再会した。殴られた箇所はしっかり青痣になって変色しており、情けなく膨らみ垂れた瞼を見ると笑いを堪えることはできなかった。案の定げんこつを頂いたが、すっかり落ち着いたファンの姿に安堵の溜息が零れる。

“You seem to keep our promise.” (約束は守ったんだな。)

“Sure, my bro.” (もちろんだとも。)

 早速始めようとファンは準備に入り、マイクだけ握ると近くで見守るエマニュエルに堪えていた不満を漏らした。

“Why cannot we use 'weed house' for rehearsals?” (どうしてリハーサルに'weed house'が使えないんだ?)

 ライブの本番は'weed house'で行われるのに、今回のリハーサルは何故だかこの'orphan house'の地下で実施される。よって照明の調整などは、日が昇った後ライブ開始の僅か3時間ほど前にならねばできないのである。勿論ステージにあがるのもまだ半日近く先になる。

“I'm renting there to another group by accident.” (勘違いして別の団体に貸しちまったんだよ。)

 呆れてものも言えず幻滅した眼で見てやると、エマニュエルは気まずそうに目を伏せた。追い打ちで中指まで立ててやると案外清々するものだ。

 まぁ文句を言っても仕方がないと自分に言い聞かせ、ステージもない地下室で私はマイクを構えた。少し離れたところでファンが目で合図を出すと、周囲に積み重ねられたスピーカー達が一斉に息を吐くのが聞こえた。

 スケジュール通りに一曲一曲を味わいながら調整していく。テンポや重低音の調節など多少行ったものの、ファンと私の相性はやはり抜群にいい、渡航前の国を隔てたやり取りだけでも相当に完成されており、ほとんど文句のつけようがなかった。ファンも同様に感じていたに違いない、グッドのサインが輝いて映る。

 今回のライブでは計9曲を用意しているが、昨年も使った曲が3曲で、残りの6曲がすべて新曲となっている。もちろんその3曲には“Sun and Crow”も含まれており、今回もこいつでライブを締める予定だ。先程の4人の顔が脳裡に浮かぶ。私の記憶の内で、既にあの瞬間から幻と化してしまった“Never be Black”が観客の心には刻まれていたという事実が、僅かにでも私を強くしてくれた。

“I wanna hear 'Immortal Black' again.” (俺はもう一回“Immortal Black”を聴きたかったよ。)

 “Immortal Black”はあのライブの先陣を切った曲であり、生まれて初めてステージで歌った思い出の一曲でもあった。この曲は練りに練って、ファンにトラックの中に心臓の鼓動音を使ってほしいと頼み込んだのも記憶に新しく感じる。

 あの時最高のビートを提供してくれたのはファンであって、ライブが成功した事ですら、コイツの御陰なんだ。不思議と素直に感じられた。

“Juan, I wanna sing it now too.” (俺も歌いたいみたいだよ。)

 まるでガキンチョみたいに喜んでファンはビートを流す。懐かしい、繊細だが重厚な旋律がコンクリート製の地下室全体を支配し、私は右手のマイクを口元にあてた。


NOMAD - “Immortal Black”

Killing all of me

Kidding follow me

Living on an earth never emphasize equality

Knocking door leading me, waiting man is enemy

Listening, idle idea chase me and test me

Thinking forever ever, same things link same aim

Weakness, weakness change it into obvious strongest

Dream it, stream collapse and deluge

Dreaming, we’re singing

We’re singing end music

End music functions as a weapon betraying guilty mood

Demon’s freezing in immortal glacier since it held jealous love

Demons reason from our silly era abandoned cupid

Demons please us whenever we get lost our ruin


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