第5話 破顔

 白肌の鷲は、きっと両頬の男女を真似て微笑んだのだろう。微笑の康寧なること菩薩の如く、文字通りの生ける屍は微塵の抵抗も為さないでいる。額に突き付けられた銃ですらも、彼の肉体の一部であるように錯覚された。

 ファンが怯えているのは傍目からでも丸分かりだったよ。まるで鷲に捕われた蛇であって、鉤爪は既に蛇の喉元に喰い込んでおり、毒牙ですら最早無用の長物に相違ない。しかし不思議と私の眼には、スーサルモこそ蛇に、エデンの園に潜む誘惑の蛇のようにも捉えられた。それは自らを死へと誘うように命じる誘惑であり、この誘惑こそがファンの「人を殺める」度胸を根本から否定し、反対に彼の人間味溢れる不器用な人格を肯定していた。スーサルモのあどけない瞳は諄い程にもファンに“untalented”である事実を告げる。ファンが自ずと銃口を背けるのに時間はかからなかった。

 呆れたようにスーサルモは馬乗りになるファンを押し退けて立ち上がると、唾を吐きかけるように一言、“chicken”とだけ唱えて立ち去った。置き土産の「臆病者」が彼に刻んだ傷痕は余りに深い、想像に難くなく、彼の胸元は薔薇の花の如く鮮やかに染められ、それが尚更私を虚しくさせた。

 ファンは泣き崩れる訳でも追う訳でもなく、魂のない縫いぐるみのように茫然とコンクリートの床に突っ伏している。私は素直に哀れに感じ、だが可哀想だと同情せずにもいられないでいた。

“Do him?” (代わりにやろうか?)

 ファンは首を横に振って、その必要はないと嘆いた。私にだって怒りはあった。それは私をも蝕んでいる、理不尽さと不条理は赤の他人をも飲み込むものだ。仕方なく彼の狭い背中を摩ってやった。同情するなという素振りは見せたが気に留めず、私の晴れぬ心情を墓場へと追いやるのだ。

 不意に、私の背後に冷たい感触が走り抜けた。無意識が妄想した感触には違ないが、私にとっては現実に存在する背後のそれが悍ましく、冷徹に私を虐げるサディスト達は拷問器具で私の着ぐるみを剥がしていく。

 恐る恐る振り返れば、私を、否彼らの見詰めるのはファンであると分かっていても尚、私を哀れみ嘲笑する幾多の視線が、ウィードの霧の奥で業業と煌めき揺らぐのが見えた。洩れかけた悲鳴は寸前で飲み込んだ。直後に耐え難い吐き気に襲われ、眩暈と強烈な頭痛が世界を破壊する。意識は途絶え途絶えに混迷し、居ても立っても居られなくなる。

 喪失状態に陥っていたファンであったが、それでも私の異変を察知してくれたようだ。彼は必死に私の肩を揺すって“Go back!!”と耳元で叫んだ。痛いくらいに鼓膜が痺れ、嫌に顔を顰めながらも一気に現実に引き戻された。それと同時に身体的な不調は跡形もなく消え去り、煙たい視界の先に蔓延っていた眼などは今や何処にも見当たらない。

“Why are you crazy too!?” (なんでお前までイカれるんだよ!?)

 ファンは平静を戻した私の頭を小突いて笑った。だからなのか、何故だか私も釣られて笑ってしまった。

 そして何事もなかったかのように大笑いするファン、彼を見ると、今回ばかりは自分の病に感謝ができた。

 

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