夏空に、朝顔

月波結

第1話 男の前で

 夏休みと言えば、朝顔、ラジオ体操、プール、いつまでやっても終わらない宿題に、何をやればいいのかわからない自由研究。

 ごめんくださーい、とよく知った声が大きく響く。

「蓮ちゃーん!」

 小学生の弟と妹が足音をバタバタさせて玄関に走っていく。

「あら、蓮ちゃん。外暑かったでしょう? 電話くれれば迎えに出たのに」

「迎えに出たおばちゃんの方が溶けちゃうよ。マジで暑いって」

「ねぇ、また背、伸びたんじゃなぁい?」

「そんなに言われる度に伸びてたら、あっと言う間に2メートル超えてるよ」

 蓮ちゃんは従兄弟だ。厳密に言えば、お母さんの妹の子供。年上といっても同じ高校生。たったひとつの年の差なので、あまり特別な感じはしない。

 蓮ちゃんのお母さんの陽子さんは、蓮ちゃんが3歳の時に蓮ちゃんのお父さんと離婚した。陽子さんは当然、蓮ちゃんを預かってもらって働かなくてはならなくなった。

 いっそ、うちのそばに二人で越してきて、昼間はお母さんが蓮ちゃんを預かるという話も出たらしいけどそうはならなかった。お母さんは「嫁」で、蓮ちゃんはうちのおじいちゃん、おばあちゃんから見たら「他人」だった。

「嫁」の妹家族とは親戚付き合いはしても、あくまで血の繋がりはないというのが、田舎での本音だ。

 そこでせめて夏と冬だけでも預かろうという話になり、夏休みと冬休みに、16歳になった今でも彼は泊まりに来る。

「あら、蓮ちゃん、来てたのかい? どれ、ばばにも顔を見せて」

「おばあちゃん、またお世話になるね」

「はいはい、蓮ちゃんはいい子だから後でお小遣いあげようね」

 蓮ちゃんを預かるという話になった時には渋い顔をしたおばあちゃんも、蓮ちゃんにすっかり甘くなった。最近はちょっと痴呆気味のおばあちゃんがくれるお小遣いはいつも500円玉。わたしたちの年齢がよくわからないらしい。

 別に500円ということに不服はない。

 ただ、年々小さく弱々しくなるおばあちゃんが切ないだけだ。


「おばちゃん、千夏は?」

「ああ、あの子? ほら、障子ピッチリ閉めて中で涼んでるわよ」

 どん、どん、と男の人特有の真上から下ろすような足音が近づいてくる。蓮ちゃん、本当に背が伸びたのかもしれない。お正月に会ったばかりなのに。

「みつけた!」

「……もう、早く閉めてよ。冷気が漏れる」

「お前、いい身分だなぁ。クーラーに扇風機に団扇かよ」

 お母さんが面白がって室内に吊るした風鈴が、クーラーの風の加減で時折、ちりんと鳴る。わたしはできるだけ涼しい格好で夏を乗り切ろうと努力していた。

「千夏」

「何?」

「お前、俺が来るのわかってただろう?」

「だから? 別に特別なことじゃないじゃない」

「それとこれとはさ……」

 ドサっと持っていた手荷物を畳に下ろすと、蓮ちゃんはしゃがみ込んだ。

「着替えたら? サービスなの、これ?」

 暑いので半袖短パンのルームウェアで転がっていた。ちょっと困った顔をした従兄弟の目の中をのぞき込む。……当たり前のように、そこにはわたしが映り込んでいた。

「制服自由な学校とこ通ってると、女子の生足なんて見慣れてるんじゃないの?」

 わたしの通う高校は、蓮ちゃんのとこより下ったとこにある。制服は、紺ブレ、プリーツスカート、赤いリボンタイのどこにでもある、ありふれたものだ。

 うちの高校からスタバまでは4駅、マックまで30分、サイゼまでは反対方向に30分。遊んでる子たちは「ちょっとスタバ寄ってこ」とか言ってるけど、実際は定期で乗り越し精算して電車で行ってるのだ。

 対して蓮ちゃんの通う高校の近くにはマックもサイゼも、もちろんスタバもあって、「寄っていこう」と言えば、徒歩15分程でどこでも選んで行ける。

 わたしと蓮ちゃんの住んでる場所は電車で行けば40分くらいだけども、ここは地の果てのように何もかもが遠い。まったく、何が楽しくて年に2回も「帰省」してくるのやら。

「生足なんて見慣れてるわけないじゃん。そんなの指導入るだろう?」

「なんで? 制服自由なのに?」

「過度な露出、認められるわけないでしょう?」

 くっくっくっ、と楽しそうに蓮ちゃんは笑った。わたしをやり込めたつもりらしい。

 ちらっと目をやると、高校にはプールの授業がないせいで真っ白な太ももが目に入った。

 過度な露出。

 そんな風に思われると思わなかった。わたしたちの仲は小さな頃からずっと連続して続いてるはずで、どこかで劇的に変わったりはしてないはずだった。

「や、やだっ、わかった、着替えてくるから」

「触っていいんでしょう? これ」

 いやらしい手つきで「触っちゃうぞ~」と言いながら太ももに手を伸ばす。

「わかった、わたしが悪かったから」

 手が伸びてきて「ひっ」と思うと、両手の手首を掴まれて起こされる。てっきり触られると思っていた太ももはクーラーでよく冷えたままだった。

「千夏、男の前で油断したらダメだよ」

 変に真面目な顔をした蓮ちゃんにたじろいで、わたしは和室を後にした。

 あの子、だらしない格好してたでしょう、とお母さんの声が階下から聞こえる。蓮ちゃんの意地悪い笑い声が響いた。


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