第8話 お嫁さん
「けど、蓮ちゃんと千夏はいつまでも仲がいいわねぇ。昼間も二人で出かけちゃって、お母さん、ちょっと驚いちゃった」
そんな話、食事時にしなくてもいいじゃない、と思いながら肉じゃがを頬張る。食べてる間は返事も免除されるし、余計なことも言わなくて済む。
「だって千夏とは結婚の約束してるんで」
場が瞬間的に凍った。
蓮ちゃんはアジの小骨を上手によけながらご飯を大きく頬張った。
帰ってきていたお父さんは、「飯」と一言、お母さんに茶碗を渡した。
「ちょっと何。何の話? そんなの知らない」
「お前が小さい頃、俺の嫁さんになるって泣いたんだよ」
「泣かない」
「いや泣いた」
ワンテンポ遅れてお母さんがお父さんに茶碗を渡しながら、
「蓮ちゃん、よくそんな昔のこと覚えてたわねぇ」
と感心したように言った。
「昔って言ったって、物心ついてたし。千夏は覚えてないかもしれないけど、俺はそういう話があったってことは忘れてないよ。千夏も覚えてるかと思ってずっとやさしくしてやったのに損したな」
お母さんは笑いをこらえていたけれど、蓮ちゃんの目はちっとも笑ってなくて、お父さんはむっとしていた。
言われてみるとむずむずと記憶の底からそんなことがあったような気がしてきた。でも、3つとか4つの頃の話だ。時効はとっくに成立しているように思えた。
おばちゃん、俺もお替わり、と蓮ちゃんはお茶碗を差し出した。
まだ小学校低学年の妹の
「お嫁さんって言ったってわたしたち親戚同士だし、……だって、一親等、二親等、……」
「大丈夫、いとこは三親等外。法的に許されてるよ」
「でも、だって」
「陽子ともそうなるといいよねぇなんて冗談で言ってたけど、現実はいろいろ難しいわよねぇ。第一、お父さんは千夏をどこにも出す気はないし」
そんなこと言ってないだろう、とお父さんがボソッと呟いた。わたしを置いて話が進んでいく。
確かに三親等に入らないんだから、法的にわたしと蓮ちゃんは結婚することができる。しかも、あと数年すれば本当に結婚出来る年齢になってしまう。
だけどいつか誰かが、「いとこ同士は結婚できない」と言っていた気が……。
お箸で持ち上げようとしたお豆腐を3回失敗して崩してしまい、蓮ちゃんが小さく吹き出す。
いつもなら、「うるさいな!」と言うところだけど、今日は何も言えなくて蓮ちゃんの顔なんかこれっぽっちも見られなかった。
手を繋いだり、抱きついてきたり、その冗談かと思えるひとつひとつが意味のあることだったように思えてくる。小さい頃の約束に、まだ効力があるということだろうか?
でもちょっと待って。
さっき蓮ちゃんは彼女と仲良さげに大きな声で電話していたじゃない。実際にそれを聞いてしまったんだし、蓮ちゃんが食卓で話したことはすべて、いわゆる「真顔の冗談」といったものではないんだろうか?
わたしの知ってる十二分の一の蓮ちゃんがわたしと結婚をすると言う。でも残りの十二分の十一は、彼女のものだ。どんな風に付き合ってるのか、そんなことを想像したりはしないけど蓮ちゃんはモテるだろう。何しろやさしい。口に出すより前に助けてくれる。そういう人ってなかなかいないと思う。
蓮ちゃんのまだ見たこともない彼女さんは、蓮ちゃんのそういうところをよく知っているんだろうか……?
「なんだよ、千夏。思い出したの?」
「全然」
「じゃあそんな呆けた顔して人のこと、見るなよ」
二人ともいい加減にして食べちゃいなさい、とお母さんに叱られる。慌ててご飯と向き合う。
「千夏ねぇ、さっきの話だけどさぁ」
食後の皿洗いをしているとお母さんから声がかかった。水道の蛇口を絞る。
「蓮ちゃんのこと、本気にしなくていいんだよ。お母さんと陽子の間で一時期、盛り上がったけど、二人ともお年頃なんだし。好きな人を選びなさい」
何となく顔が俯いてしまう。お年頃、と言ってもまだ15歳だ。この間まで中学生だった。
「まぁ、でも今のところ、お互いに嫌いではないのよねぇ」
お母さんは意地悪く笑った。何の根拠が……と言い返そうとしたけれど、わたしの方が部が悪かった。
「お母さん」
「ん?」
「……蓮ちゃんには彼女いるみたいだよ。そういう話、あんまり茶化したら悪くないかなぁ?」
「そうなの?」
「たぶん」
「ふーん。お母さんが話した感じだとそんな風には思わなかったけどなぁ」
それはお母さんの前だから、本音を隠しただけだよ。俺、地元に彼女できたんだ、とか、わたしなら恥ずかしくて絶対言わないもの。
それ以上話すことも無くなったのかちょっと話したかっただけだったのか、お母さんはテレビのニュースに釘付けになってしまったので、またスポンジに泡を足すところから始める。
普段はそこにない、蓮ちゃんのためのお茶碗が存在感を増していたけれど、手に取って洗って水切りかごに納めた。明日の朝も、この茶碗でご飯をもりもり食べるんだろう。背も伸びるはずだ。
少しずつ、少しずつ、わたしたちの道は逸れていく。小さな違いの積み重ねで。
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