第13話 女の子だから
15日と言えばお盆の中のお盆なんだけども、何もすることができずにただベッドで横になっていた。
階下からはたくさん集まった人たちの賑やかな声や足音が、まるで遠い国のできごとのように聞こえてくる。今日はイッちゃんたちのお父さんも迎えがてら、お線香あげに来ると言っていたし、他の親戚も入れ替わり立ち替わり来ているはずだ。
お母さんが体温計と氷枕を持って定期的に現れて、「まだ8度超えてるわね」と言っては去っていく。
暇だ、と思う間もなく、ただ怠かった。瞼を開けているのが難しい。
「千夏、桃、食べるだろう?」
ひょっこりと現れた蓮ちゃんが果たしてノックをして入ってきたのかわからないくらい、うとうとしていた。
「……仏様の桃じゃないの?」
「おばちゃんがいいって。俺が剥いたからちょっとグズグズになったけど」
ぷっと、悪いなと思いつつ声に出して笑ってしまった。それは、ちょっとグズグズどころではなかったからだ。ところどころ茶色くなってベチョベチョだった。
「……確かに実もずいぶん剥いたんだよ」
「美味しそう。食べるよ」
お皿を受け取って、フォークに刺して一口頬張る。口の中に甘酸っぱい水分が広がる。
蓮ちゃんの剥いた桃は、ずいぶんバッサリと剥かれた分、甘い部分のみでほとんど構成されていた。
「美味しい?」
「うん、美味しい」
「仏様の桃だからきっと早く良くなるよ」
お供え物を分けていただくと、加護が得られると聞いたことがある。わたしが知っているくらいだから、蓮ちゃんも知っているのだろう。ひょっとすると小さい頃に一緒に聞いた話なのかもしれない。
「早く治せよ。帰らなくちゃいけなくなっちゃうよ。またしばらく楽しみはないんだから」
「どうして?」
「冬まで来られないじゃないか。またホイップ増量してやるから、今度はバスで出かけよう。帰るまでに」
「……」
涙腺が緩いのはきっと熱のせいでどこかのネジが飛んで行ってしまったからだ。
わたしの従兄弟はいちいちわたしにやさしすぎる。でも、心を揺さぶったらいけない方向に揺らすのだけはやめてほしい。一度揺れた想いを元の状態に戻すのは、とっても努力が必要だからだ。
「ごちそうさま」
お皿を返すともぞもぞと夏掛け布団に潜り込んだ。本当はもうすっかり寒気は引いていた。
「千夏? まだ具合い悪いの?」
「うん、やっぱりもう少し寝てるね。桃、美味しかったよ、ありがとう」
蓮ちゃんはわたしをチラチラ見ながら部屋を出て行った。
――帰る? そうだ、蓮ちゃんは蓮ちゃんの家に帰る。また毎日会うことは叶わなくなる。
でも毎日一緒にいるからってなんだって言うんだろう?
この薄い壁の向こうで、彼は大切な彼女と楽しそうに電話したり、LINEしたりしているんだろう。たった1枚の壁に隔てられた向こう側で。
わたしが実の妹のように大切にされてるのはわかっている。それが替え難い大切なことだということも。でも、わたしはその前に女の子なんだ。忘れないでほしい。三親等がどうとかそういうのはもう関係なくて、どうしようもなく女の子なんだ。
自分に「恋」が訪れる時が来るとは思わなかった。ごめんなさい、これじゃまるで蓮ちゃんが好きみたい。そんなのおかしいと思うんだけど、この気持ちは変えようがないみたい。
どうか、神様でも仏様でも、蓮ちゃんにこのことは黙っておくので、わたしから蓮ちゃんを奪わないでください。従兄弟でもお兄ちゃんでもいい。蓮ちゃんと一緒にいたいから――。
トントン、と軽いノックが響いて、気がつけば空は夕方を示していた。
「千夏、入っていい?」
「大丈夫だよ」
そこにはイッちゃんが一人で立っていた。わたしのベッドサイドまで回ってくる。
「どう? 具合」
「うん、やっと体が痛いのは取れてきた」
それはよかった、といつもはシニカルなイッちゃんは素直な笑顔を見せた。
「もう帰るの?」
「おお。瑞希は一応受験生だからさ、うつるといけないってここには来なかったんだよ。まあ、また正月にも来るしな」
「うん、楽しみにしてる。今度は風邪ひかないように」
「それな」
イッちゃんは笑った後、しばらく口を開かなかった。何を喋るのか考えているような、何かを喋ろうか考えているような難しい顔をしていた。わたしは黙って、従兄弟の次の言葉を待った。
「千夏さぁ、俺は血が繋がってるわけじゃないけど、蓮はいいやつだと思うぞ」
「ん?」
「そんだけ。とりあえずよく寝ろ。また正月な」
言いたいことだけ言うと、イッちゃんはさっと部屋を出て階段を下りる音が響いた。
お母さんと美知子おばさんが大きな声で挨拶して、そこにおばあちゃんの声まで加わって、車の音の後、玄関の閉まる音がした。
「ふぅ」
お母さんが定時の検温にやってきて、軽いため息をつく。
「やっと7度8分だね。また今晩上がるかもしれないけど、今のうちに何か食べたら? 起きられる?」
「うん、そうしようかな」
病人というのは気をつかう。他の人にうつすわけにはいかないからだ。誰も食卓に人がいない時間を狙って、よく煮込んだ少し薄味のうどんを出してもらう。
「熱い」
「まだ消化の悪いものは食べられないからね、我慢よ」
目に見える範囲にみんなで食べたと思われる天ぷらが見えた。もちろん今のわたしにはとても食べられない。
「お母さん、天ぷら手伝えなくてごめんね」
「美知子さんと揚げたから心配しなくて大丈夫よ。変なこと、病人は気にしないの」
はぁい、と気の抜けた返事をして、残りのうどんを平らげた。
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