第6話 気をつけるよ

「あら、あんたたち暑かったでしょう? 一番、暑い時間に出かけて。車出してもよかったのに」

「おばちゃん、千夏が靴擦れしちゃって、見てやって」

 蓮ちゃんのバカ、余計なことを言って。

 お母さんにオシャレをして出かけたことを知られるのが恥ずかしかった。なぜならこのサンダルはこの間、蓮ちゃんの家の近くまで行った時にお母さんと散々悩んで決めたものだったからだ。

 1万はしなかったけど、それに近い金額だった。高校生のわたしには高い買い物だ。お母さんは一目見ただけで、わたしの浅はかな考えを笑うに違いなかった。

「どれ、踵見せてごらん……」

 言葉とは裏腹に、お母さんは下からわたしの顔を仰ぎ見た。わたしは目を合わせることができず、ただただ、頬が熱かった。怖くて目を瞑った。

「ストラップの細いサンダルだからねぇ。痛いうちは絆創膏貼るしかないわね」

「俺が歩かせちゃったから」

「いいのよ、たまにはいとこ同士、仲良く歩きたい時もあるでしょうよ。真夏はやめた方がいいと思うけどね」

 わたしの肩をポンと叩いて、お母さんは行ってしまった。台所から、スイカ切るわよ、と声がした。弟と妹が「わーい!」と歓声を上げて走って行った。

「千夏、日焼けも酷いな。うなじ、真っ赤になってる」

「ああ、それはわたしのせいだよ。いつもは髪下ろしてるから」

「悪いことした。今度から気をつけるよ。田舎は涼しいなんて嘘だよなぁ」

 何を気をつけるのかな、とぼんやり思う。もう誘われなくなるってことなのかな。それはそれで、ちょっとさみしい。変なところで女の子扱いされたくない。

 せっかく蓮ちゃんが来ている休みだもの、次はバスに乗ればいい。日焼けも靴擦れもない、快適な乗り物だ。

「日傘とかささないの?」

「今日、さしてる人見た? この辺の人は基本、車だし、日傘さしてるのは宗教の勧誘の人たちだけだよ」

 ああ、なるほど、と彼は言った。蓮ちゃんにこんなに心配かけるなら、もっとしっかり日焼け予防もすればよかった。普段、自転車で登校しているから、顔さえ焼けなければいいかなくらいに思っていた。

 つまらない、小さな後悔ばかりが降り積もる。

「汗かいたでしょう? あんたたち、先にシャワー浴びちゃえば?」

 すぐに答えずにいると、

「おばちゃん、そうするよ。千夏もそうするって」

と勝手に返答したやつがいた。

「お前、先に入れよ、女子優先。俺は後でいいから」

「もう、勝手に決めないでよー」

 スイカでベタベタになった手指をおしぼりでよく拭いて、立ち上がる。二階に上がる足が重い。……確かにあのサンダルはやりすぎだった。何でそんなにテンション上がってたんだろう? あれは、女友だちと遊びに行く時のオシャレ用サンダルだったはずなのに。

 部屋に入ると換気のために5センチ開けていった窓から、夕方の海風は全然届いてなくて、最初からエアコンのタイマーを入れていかなかったことを悔いる。

 ピッと電子音がしてエアコンの運転が始まり、わたしはベッドに座り込んだ。冷感素材の抱き枕のイルカを抱いて、仰向けに倒れ込む。右手を、意識する……。

 わたしたちが手を繋いだのは本当に短い距離で、うちはすぐに見えてきた。幸い、ご近所さんの姿も見えなかった。うちに入る角を曲がる時、呆気なく手はするりと解けた。

 うちに着いたから安心だよ、と言いたかったのか、このことは内緒だよと言いたかったのか、測りかねた。

 ただ、靴擦れしてたからゆっくり歩くよう、先導してくれたのかもしれない。

 でもわかっているのは、このことをわたし自身は持て余しているということだ。

 男の子と出かけて、お茶をして、手を繋いで帰ってきた。右手のひらをおでこに当てた。

「千夏」

「はーい。……返事する前にドア開けるのやめて」

 見事にベッドの上での自堕落な姿を見られて恥ずかしくなる。男の子が家に来ている時くらい、自分が部屋の中でももう少し緊張感を持てばいいのに。

「何でもいいから早くシャワー浴びろよ。俺、涼しいところにいたら眠くなってきちゃった。寝ちゃう前に出てこいよな」

 何、その横柄な態度、と思いつつ、お風呂の支度をする。蓮ちゃんはすぐにわたしの部屋を出て、階下に下りて行った。

 やれやれ、と下に行くと、

「お前、遅っ。どんだけ支度に時間かかるんだよ」

と声がかかる。

「譲ってやったんだから急げよな」

「そんな風にお風呂の前で仁王立ちされてたら入れないじゃない。脱ぎ始めちゃうよ」

「バカだな、その方がうれしいに……」

 ピシャッと眼前の引き戸を引いて内鍵を閉める。冗談だよ、と小さな声が扉の向こうに聞こえる。手早く出ないと、と思う。

 細かい泡をシャワーで洗い流して、長くなってきた髪をタオルドライしているとまた声がかかる。

「千夏、風呂長い」

「今、出るところ!」

「……熱中症で倒れてんのかと思った。ならいいんだよ」

 うちの従兄弟はきっとどこのお兄ちゃんより心配性に違いない。年頃の従姉妹の入るお風呂場の周りをうろうろするのはいただけないけど。一体、どこまで心配してるのやら。

 どうせうろうろしてるんだから、倒れたら音でわかりそうなものなのに。

「蓮ちゃん、お風呂出たよ」

「おう。何だか涼しくて入らなくてもいい気分になっちゃったよ」

 その発言に顔をしかめる。早く入れとか、出ろとか言っておいてずいぶん勝手な話だ。和室に寝転がった蓮ちゃんはいつかの誰かのように団扇をパタパタさせながら、転がっていた。

「ねぇ、入っておいでよ。汗臭いよ」

 ムッとした顔をして蓮ちゃんはゆっくり立ち上がると、わたしの顔を見てにやっと笑った。そうして、あ、と思う間もなくわたしは蓮ちゃんの腕の中にいた。何のリアクションもできなかった。時間はピタリと止まってしまった。

「これでお前もベトベト」

「や、なんでそんな意地悪するのー? シャワー上がったばっかりなのに」

「俺を待たせた罰だな」

 おばちゃん、シャワー借りるね、と言って蓮ちゃんは何の悪気もなかったかのようにお風呂場に向かってしまった。

 記憶をくるくる巻き戻す。蓮ちゃんに抱きしめられたのなんていつ以来のことだろう? 小学校の低学年くらい? よく覚えていないくらい前のことなのは確かだ。

 ……何を考えてるんだろう、年頃の妹を相手に。


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