家出少女と
親たちは私のことを疎ましく思っている。
あの人たちの、私を見る目は歪んでいて、時折、私を蔑んでいるように見ていた。
でも、まあそれは仕方のないことだった。
なにせ、私は自分でいうのもなんだけれどろくでもない人間だったのだ。
そして、私の家族はそんな私に遺伝子を提供した人達らしく、ひどく歪んでいたのだ。
お互いがお互いを歪めて蔑んでいた。私自身も含めて。
私はできのいい姉とは違って、勉強はしなかったし。どちらかというと、友人関係でトラブルばかり起こしていた。私がいじめられたことで学校に呼び出しを食らった日は、あの人たちは心底鬱陶しそうに、お前にも原因があったんじゃないのかと私を責めてきた。まあ、私の側から面倒を起こして、トラブルばかり起こしていたのだから致し方なしなのだけど、ちょっとは娘を信じてくれてもいいんじゃないのかと思いもした。それから、何か問題があっても、私は親に話を振ることを止めた。頼ることに意味などないと理解した。ただ、引きこもりにだけはなりたくなかった。四六時中あの人たちと関わらなければならないほうが苦痛に思えた。
引きこもりたくない理由はもう一つあって、浪人中の姉と出会うのが気まずかった。父と母は姉によく罵倒を浴びせていた。どうして、そんなこともできないんだ。周りはもっとやっているだろう。やる気を出せ。怠けるんじゃない。才能ないなんて言い訳をするな。去年、国立大学を落ちた姉は、終始うつむいて、家と予備校の往復生活を送っている。小学生の頃は仲よく遊んでいたような気がするけれど、私が中学に上がってからはあまり話さなくなった。ちょうど姉の成績が周りと比較して落ち始め親からのあたりがきつくなってきたころだ。好きなことに夢中の夢見る少女だった姉は、いつしか趣味で書いていた小説を書かなくなり、それをいつも見せてもらっていた私と話す機会も徐々に失われていった。なにより私も姉もお互いの顔を見るのが気まずかった、多分、昔と何かかが変わってしまったのだ。
母親は常に誰かの愚痴を言っていた。仕事場の愚痴。姉の愚痴。私の愚痴。なにより、多いのが父親の愚痴。それを私の前で延々と垂れ流す。
父親は普段何も言わなかった。ただ、時折くだらないことを言って、他の家族が何も反応を示さないことを怒っていた。そして、私や姉が何か落ち度を晒すたびにひどく怒鳴った。
姉は家族の前では口数が少なく、よく部屋で一人で泣いていた。表情はずっと暗いまま。
私はそんな家族を見るのが嫌で、必要がなければずっと部屋に閉じこもっていた。
ろくでもない、本当にろくでもない人たちだった。
ただ、そんなろくでもない何かをどうすることもできず、何もしない私が、きっと一番ろくでもないのだ。
そんなことに高二になったある日に気が付いた。
その日、私が家に帰ると父親と母親が神妙な顔をして私を睨んでいた。普段仕事の遅い二人が、どうして揃っているのか、そしてどうして私を睨んでいるのか、さっぱり予想はつかなかったが嫌な予感だけはふつふつとしていた。
話がある、座りなさい。
「私にはないんだけど」
いいから、座りなさい。
無視して、自分の部屋に上がってもよかったけれど、放置してもどうせめんどくさいだけなので、あきらめて食卓の自分の席に着く。
学校から連絡あった。
「はあ」
友達にカッターを向けたそうだな。
「友達・・・・?」
一瞬、何のことかわからず考えて、ああ、と思い立つ。そういえば、今日、私の陰口を言っていたやつらの机にカッターを突き立てたっけ。友達か?あいつら。たしか、あいつらは複数人で机を囲んで、ひそひそとこちらを見ながら陰口をたたいていた。しかもわざとらしく、こちらに聞こえるように。
あいついつも一人じゃん?何が楽しくて生きてんだろうね?自殺とかしそう。ああいう子がえんこーとかするんでしょ。そういえば、このまえ教頭に呼び出されてなかった。え、まさかあいつと、うける。してるとこ送ってほしい。ばっかじゃないの。
普段は聞き流すけれど、ここ最近、味を占めたのか。私の机の近くで頻繁にそういうことをやっていた。たくさんの人間が集まって、こういうことをするのは本当に苛立つ。人のことを無視して、勝手に真実をこね繰り上げて、鬱陶しいったらありゃしない。ただ、私もこういう立ち位置に慣れて久しいから、心得はできていた。
あいつらは関係するから、害をなすのだ。
関係が残らないよう、徹底的に壊してしまえばいい。物理的な恐怖があると尚良し。
なので、私はなんとはないふうにカッターを取り出して、ちょっと目線をそらしながら、自然な感じにその机に近づいた。集団の一人二人が私に気づいてぎょっとしたけれど、大半は私より話に夢中だ。ふりかぶる。
私は机の中央にカッターを思いっきり突き立てた。
コツは加減しないこと。
ひ弱な女子の腕力でも全力でやれば大きな音もなるし、恐怖を明確に引き起こせる。
大きな音がクラス中に響く、ついでにカッターの刃が机に深くめり込んだ。
「うっさいんだけどあんたら、陰口はよそでやってくれない」
わざとクラス中に聞こえるように大きな声で話す。そのまま、カッターの刃を折って持ち手の部分だけ回収した、机に残った刃がしばらくあいつらの視界に残るように。
そのまま、その場にもいられないので、カバンを取ってそのまま教室を後にする。
気配で誰も追ってこないことを確かめてから、ふうと息を吐く。
そうやって、私は学校から飛び出した。しばらく時間をつぶして、それとない時間に帰ってきた。つもりだったのだが。
どうやらことはそう単純にはいかなかったらしい。
父親が怒鳴る。母親が睨む。
どうしてそうなんだお前は、いつまでたっても人を遠ざけて。そんなので社会で生きていけると思っているのか。
うるさい。
机にカッターを突き立てた?そういうのをなんていうか知っているか、恐喝というんだ犯罪行為だ。お前は犯罪を犯したんだぞ。
そういうあんたが今、机を叩いているのは恐喝じゃないのか。
お前の姉はちゃんと必死になって勉強しているんだぞ。なのにお前は何だ、勉強もせず無駄なことばかりして。どういうつもりなんだ。
あんたが姉を語るな。必死になって勉強をさせているの間違いだろうが。
心のうちにこさえた言葉をぶちまけたらどれほど楽だろうと思った。これを、言って、しまえれば。
今から、その子達に謝ってこい。一人でな、それがお前の責任だ。恐喝をするような奴が、自分の子どもだなんて恥ずかしいったらありゃしない。
「-----------------------------------------は?」
私が?
あいつらに?
謝る?
ーーーーーーーーーーーーーーーーどうして?
今、なんていったお前?
壊れた。
言葉を堰き止めていた「何か」が。
「ふっざけんな!こっちの言いたいことは全部、無視して、言いたいことだけ言って!
あんたらは自分の娘のことより、他人からどう思われるのかが怖いんでしょうが!
それに何?一人で謝ってこい?それが責任?違うでしょ!
あんたらが人の前に出て謝るのが怖いんでしょうが!娘がやったことに対して、責任も負えない自分を晒すのが怖いんじゃない!
ばっかみたい!
「お前・・・なにを」
うっさいっ!
「な・・・」
黙れっっ!!
「いい加減に・・・」
しゃべるなっっっ!!!
いつも人の話なんて聞きもしないくせに!
あたしがいつも何言われてるかなんて知らないんでしょ!
あたしがいつも何されてるかなんて知りもしないんでしょ!
どうやっていじめられてるか、否定されてるか!
何も、何も、何も知らないくせに、責める時だけいっちょ前に親ヅラしないでよ!
私だけじゃない!お姉ちゃんもそうでしょ!
お姉ちゃんがいつも部屋で泣いてるの知ってるの?好きだった小説を書くのやめたの知ってるの?
頑張ってても否定される苦しみを知ってるっての!?
あんたたちは人と比べる以外で私たちを認めたことがあったの?!
勉強必死で頑張ってる?あんたらがやらせてるんでしょうが!
あんたは怒ることしか、否定することしかしない。あんたはいつも愚痴を言うことしかしない。
お前らはどうしてそうなったんだって?あんたらのせいに決まってんでしょうが!!
自分たちが積み重ねてきたことから目を背けて、押し付けて!まっとうな親ヅラしないでよ!!
私は・・・・」
気がついた。
父親の顔が悲壮に歪んでいた。母親の顔が涙に濡れていた。
私自身も泣いて、ぼろぼろだった。怒りが沸き起こってるはずなのに、悲しくて、悲しくて仕方なかった。
この人たちは否定されても仕方ないと思ってた。実際、たくさん否定して肯定なんてほとんど生み出さなかった。
でも、私はどう?何かを生み出した?何かを認めた?何かを否定してこなかった?お姉ちゃんを助けられた?
押し付けてる?それは私自身も同じなのに?
少なくとも、親たちは仕事をしていた。
姉は勉強をしている。
私は、何をしてる?
この家族の中で何もできてない私が、それなのに否定ばかりしている私が、一番、ろくでもないんじゃないのか。
そんなことに、気づいた。その事実に、耐えられなくなった。
だから、逃げ出した。制止を振り切って、ひたすらに走って逃げだした。あの人たちが何か言っていたけれど、何も聞かずに玄関を飛び出した。帰ってからまだカバンを置いてなかったから、そのままバスに飛び乗った。泣きながらでも、習慣で定期をきちんとかざしている自分がなんだかおかしかった。バスが発進するときに振り返ってみたけれど、追ってくる人はいなかった。泣いている私をよそに、バスは定刻通り進んでいった。
最寄りの駅で降りた。そのころには涙は枯れていた。
少し、落ち着いた。落ち着いたから、もうここには居れないことはわかっていた。
駅の路線図を眺めながら、ふと視界の端に監視カメラが映って、とっさにトイレに身を隠す。自分の足取りをたどられるのはまずいと思った。だからトイレに身元が分かりそうなものは全部置いていくことにした。
生徒手帳もいらない。定期も名前が入ってるし、記録が残るからダメ。携帯ももちろんダメ。あるだけの現金をつかんだ。幸い、学校をさぼるときようの私服をいれていたので、それに着替える。荷物は全部まとめて、トイレの個室の隅に置いておく。
補導されないよう、パーカーを目深にかぶって私はトイレを出た。これで、私は、もう、きっと、誰でもない。
駅の路線図を見て一番、高い切符を、遠くまで行ける切符を買った。あまり量のなかった持ち金がほとんど底をつく。あと、百五十と三円
切符をみる。これで電車に乗ってしまえば、もう、帰れない。でも、もう帰りたくもない。
迷いが生まれる前に、改札に通した。出発しかけの普段とは逆方向の電車に飛び乗る。
ドアが閉まるまで、あの人たちが追ってくるんじゃないかと気がかりだったけれど、特に何事もなく、ドアは閉まった。
電車が揺れる。がたんがたんと見慣れない景色が過ぎていく。隣の駅に着く、でも普段と逆方向だから、ほとんど知らない場所だった。立った一駅離れただけなのに。降りればまだ帰れる。でも、帰ることはもうできないのだろう。
ドアが閉まる。電車は整理しきれない私の心を置いて、勝手に淡々と進んでいく。心だけが取り残されて、体は勝手に運ばれていく、見知らぬ場所へ。都市から離れる列車は、人が少なくて、寂しい人ばかりを乗せているみたいだ。
山が過ぎて、街を過ぎて、川を過ぎて、また、街を過ぎて。終点に着いたら、次の線を探してまた乗り継いだ。喉が渇いたから、途中で飲み物を買った、お金が無くなった。残った三円は適当に落としておいた。
そんなことを何度かして、何度目かの終点にたどり着いた。
路線図を見るけれど、もう私のいた町は載って無くて、ここがどこの県なのかもわからなかった。こんなとこまで着くんだ。
時刻表を見るけれど、これより遅くの電車はなくて、どうやら私の道行きはここで行き止まりみたいだ。
そして、どう考えても私が買った切符じゃ、料金が足りなかった。
改札でもたついたら、駅員に目を止めらるのが見えていたから、監視カメラがないところ見つけてフェンスを乗り越えて駅の外に出た。
あまりにも簡単に出られてちょっとびっくりする。
こんなことなら、お金取っとけばよかったと考えるとちょうどおなかが減った。あたりまえだけれど、食べ物を得る手立てはもうなかった。
仕方ないので、駅の近くのベンチに座って休んだ。
視界をまわすと暗くてよくわからないけれど、地方の小さな町みたいだった。ただ、それ以外のことはよくわからない。
寝ようと思ったけれど、目は冴えっぱなしで寝るに寝られなかった。よくよく考えれば、こんな誰の家でもないようなところで寝た経験なんかなかった。時折、自分がしてきたことが思い起こされて、そのたびに首を振ってその雑念を消す。苦しいことを思い起こすのはもうたくさんだった。
朝がきた。通勤時間なのか人が多く行きかっていた何となく人目に付きたくなくて、人通りから外れたところで膝を組んで座り込む。
途中、何度か人が通りがかって私のことをちらっとみたけれど、反応は示さなかった。よくわかんないもんね、私だって話しかけないよ。
日が照ったら、日陰に隠れた。おなかが減る。日が陰ったら少し人通りにでてみた。喉が渇く、電車の行きかいが減って、人通りが少なくなっていく。空腹も乾きもだんだん感じなくなってくる。フードはできるだけ目深にかぶって、髪もフードの中にしまった。女であることはできるだけ隠す、幸いあんまり女性らしい体つきじゃないから、これで性別はわからないだろう。そういう目的で迫ってくる輩もいない、はずだ。
でも、これ以上、私は何を守るのだろう。もう、自分が自分でいることに耐えられないのに。死にたくはないけれど、どうやって生きればいいのかもわからない。そんな私に、もう守るものなんてないはずなのに。
涙がまたこぼれてきた。誰も気にも留めない。あたりまえだ、私だって気にも留めない。
でも、涙は止まらない。もう、水分だってほとんど残っていないのに。どうして、どうして、どうして。
「-----助けて」
誰に言ったのだろう。そもそも誰にも聞こえてない。行きかう人は誰も気にしない。それはそうだ、私だってーーーー。
女の人がいた。スーツを着た若い女の人。線が細いのにどこかまっすぐな視線で私を見ていた。
その人は、人ごみの中で立ち止まって、じっと変わらず私を見ている。
最初は気のせいだと思った。
でも、その人はずっと私を見て―――――――――すっと手を差し出した。
「―――――――――え?」
ちょっと疲れたようにため息をついて、私に、手を、差し出していた。
「立って」
言われるまま力のない足で立ち上がる。頭がまだ、状況を呑み込んでいない。
「どうしたの」
問われて、うまく動かない口で慌てて返事をしようとした。
「私、あのおなか減って、喉乾いて、家出してて」
しどろもどろに、言っていると家出というワードを出したことに慌てる。警察に引き合わされるようなら逃げなければいけなかった。
「そう、わかった」
そんな私をよそに女の人は私の手を引いて歩いた。最初はどきっとしたけれど。温かい手だったからなんとなくついて行ってしまった。私の手が冷たいだけかもしれない。
そのまま歩いたけれど、近くの交番に連れていかれるような様子はなくて、ほどなくして小さなアパートの一室に辿り着いた。
女の人は無言でカギを開けて入ると手を放して、居間に上がって私にちょいちょいと椅子を指さした。私は慌てて靴を脱いで言われるがまま椅子に座る、一人暮らしの家の小さな椅子がきぃと揺れた。
女の人は冷蔵庫と冷凍庫をごそごそ漁ると、ラップに包まれたいろいろを取り出してレンジに入れていく。レンジを眺める女の人をぼーっとながめながら、私は状況がよく呑み込めないままだった。どうして、私を家に上げたのかな、善意?それとも特殊な性癖を持った人?はたまた、何か特殊な宗教の人?世間知らずの頭で想像を働かせようとするけれど、空腹でうまく回らない。
しばらくして、料理とご飯が私の前に置かれて、小さな可愛らしいお箸とお茶も置かれた。
私は恐る恐る、その女の人を見る。女の人は肘をついて、私をじーっと眺めていた。相変わらず、無言で。
怖くなって、何を試されているんだろうとこわごわと自分を見る。おかしいところがあるだろうか。何かお眼鏡にかなわなかっただろうか。
「食べないの?」
そう聞かれて、食べていいということにようやく気が付いて、私は慌てて手を合わせて箸に手を伸ばした。
ご飯に注意が向いたことではじめて、意識が食べ物のにおいや味を認識した。
おいしいどうかはよくわからない。ただおなかが減って、死んでしまうかもしれないと思っていた胃に意識に生きるべき何かが流れ込んでくる。
死なずに済んだのだとそれだけが分かって、ほっとして、涙がぼろぼろと零れてきた。
おいしい、と思う。涙の味ばかりがするけれど。鼻水とかいっぱい垂れているような気もする。でもそんなの関係なしに口に入れた。
泣きながら口に入れた。おいしい。おいしい。
私は、私は、まだ、生きていられる。
私はまだ生きていていいんだ。
女の人はどこか微笑ましげにしながら、私が食べるのを見ていた。
---------------------------------------------
後から聞けば、これもなつめさんのわがままだったのだろうけれど。
私は今でもあの時、手を取ってくれてよかったと思っている。
まぎれもなく、これは私が救われた、そんな話だから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます