みはるとあきの
予想していても、こうなるとわかっていても、痛いもんは痛いよね。
トイレにいるときに被せられた水を滴らせながら、思う。
誰がやったかはすぐわかった。聞き覚えのある女子の声が外でする。そして、そこにあきのが混じっていないこともすぐわかった。
たとえそいつがどうでもいいやつでも、他人から浴びせられた悪意というのはうんざりする。心がいてえわ。
ドアを開けようとすると、うまく動かない、何かひっかけているのか、押さえているのか、びくともしない。
もう、これ以上関わんなとか、あんたのせいだとか声が外でしている。まあ、この子らも相応のストレスを抱えて、どうしようもなくやっているのかもしれない。あきのもなんだか、この集団と距離を離しているみたいだし。
私のせいねえ。まあ確かにそうかも、でもねえ。
「知ったことじゃないわよ、はっはっは」
あんたらは私の事情なんて気にしない。だから、私もあんたらの事情なんて気にするものかよ。
便座に立って勢いよく跳ぶとトイレの天辺にしがみついて、そのまま外に出る。
ざわ、と外にいた見慣れた集団が一歩引く、ちょうど着地点ができて非常によろしい。
着地することとか、あんまり考えていなかったので、濡れた上履きが思いっきり滑って着地点の近くにいた一人にぶつかってしまう。
「あで!」
ぶつかった一人に寄りかかる形になる、そのまま手を引っ張って立たせたり、はしてくれないか。私がぶつかった子は慌てて他の集団のところまで身を引く。おーおー、服が濡れちゃってかわいそう。なんて他人事に考えていると、集団内の一人がゆっくりと近づいてきた。
顔がばれた時点で逃げるかな、と思ったが当てが外れたみたいだ。
その一人がポケットからカッターを出した。あー、なるほどね、意趣返しなわけだ。
私はしりもちをついたまま、その状況を眺める。にやにや笑いは絶やさない。心臓が動悸を打ち始める。
私がよっこいせと立ち上がると、壁にドンと突き飛ばされる。そのまま、頬の近くにカッターが当たった。わー、壁ドンだなどと色めき立ってみる。緊張感が背筋からジワリと這い上がる、心臓が動悸を打つ、水ではない汗が体中から噴き出す。いやあ、凶器って怖いね。あたりまえだけど、とぼけるのが精いっぱいだ。
これが、自分の首に当たればどうなるかと考えてしまう。でも、ここで負けるわけにはいかなかった。
ここであったことをチクったら殺すから。
真剣な目だ。脅しとしては百点。現に、私の体は完全に拒否反応を起こして、足が軽く震えだす。
でもね、殺すはだめだよ。嘘だってばればれじゃん。
そうはならない。確信がある。そんなことはできやしない。だから非常に愉快だった。
理解すると、急に笑いが込み上げてきた。
笑う。嗤う。嘲笑う。爆笑する。哄笑する。狂笑する。
恐怖も、悲観もまとめて、笑い飛ばす。こいつらは何もできやしない。
何を・・・・。
おかしくなったので、逆に胸倉を掴んであげた。脅しも、それが虚勢だと相手に実感を与えてしまってはダメなのだ。動揺に、相手の視線が揺れる。ああ、愉快。嗜虐心と狂気が心底から満たされる。
「嘘ついちゃだめだよ、見捨てられて不安な癖に」
言葉は思考を外してするっと出てきた。
相手の激情のスイッチが入るのも自然だった。
ガンと耳元で音が鳴り響く、カッターが突き立てられたのだと理解するのに数瞬かかった。頬が熱い。足がへたり込みそうになるのを何とか耐える。
ガタガタと相手の顔がゆがむ。耳元でカッターが震える音がする。
何人かが、小さな悲鳴を上げて私とカッター女子を引き剥がそうとした。ただ、私もそいつの胸倉を掴んでいたのでまとめて引っ張られる。
いまいち立っていない足腰と一緒に引きずられて、バランスを崩して二人一緒に倒れこむ。
カッター女子が慌てて私から離れようとしたので、足を掴んでみた。こけた。それが何かおかしくてーーーーー。
あ、ここだ。
すうっと息を吸い込んだ。肺を限界まで大きくする。緊張でうまくいくのか不安だったけれど決行をしっかりと。
「---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------」
むせた。
たすけて、っていう予定だったんだけど、限界まで張り上げた声は、もはや何の音波なのかも判別不可能な音が出る。私の声かよ、ほんとにこれ。でも、しっかりと音量は出たはずだ。場所も教室近いし、多分大丈夫。
ごほごほ、と私がむせていると、彼女はぼーっと私を見ていた。放心しているらしい、時間稼ぎができてよろしい。
やばいって、人くるって。
誰かが声に出した。そう、その通り。よくお気づきで、もうちょっとぼーっとしてただけると嬉しかった。
カッター女子が慌てて立ち上がりそうになったので、また足を引っ張った。ずっこける。パンツ見えてる。
そのまま、足に抱き着いてやった。私の意図をようやく理解したようで、顔が青ざめる。
そう、あんたらはこのままいじめの現行犯で見つかるのだよ。
はなせ・・・っ、このっ、
顔を蹴られた。何人かが同じように顔や腕を蹴った。痛い。でも離さない。痛い。痛い。痛い。
蹴られた。目を閉じる。痛い。こんの・・・。早く誰か来てくれないかなあ。痛い。目をつぶったまま適当に足を引っ張る。またこけたみたいだ。その代わり足が顔に飛んできた。ぐらんと頭が揺れる。なつめさん、元気かなあ。顔に傷出来ても、嫌いにならないでいてくれるかなあ。痛い、痛い、痛い。
ああ、痛い。痛いなあ、体も心も、何もかも痛い。でも、でも、今日で終わらせるのだ。離してなんてやるものか。
泣きそうになった。逆に今まで泣いてなかったのか。笑いそうになるけれど、笑った顔も蹴飛ばされた。
うざいのよ。離してよ。あんたなんて・・・。
言葉が痛い。否定は痛い。でも離さない。思い出にしがみつくみたいに、カッター女子の足にしがみつく。痛い、痛い、でも、でも、離すな、離してなるものか。
足が止まった。
その事実に気づくのにちょっとかかる。おそるおそる顔を上げると、私を蹴っていた女子たちが一様に一つの方向を見ていた。
私もその方向を見ると、トイレのドアが開いていた。
いやあ、さすが対応が早い、信頼した甲斐があった。まさか、一番最初に見つけてくれるとは思わなかったけれど。
「あ、あきのじゃんハロー」
泣きそうになるのを堪えながら手を振った。呆れた視線が返ってくる。ただ、そのままあきのは担任を呼んでいることを全員に告げた。
そこまできてようやく私はふうと息を吐いた。身体中の痛みを感じながら、やっと戦いが終わったことに、安堵した。蹴られるのが収まると、全身の痛みと熱が脳内をがんがんと木霊する。
でも、これで終わりだ。あとは教師と親に事情を説明して、しかるべき判断を待てばいい。
涙がぼろぼろと零れるのを感じながら、私は周りが慌ただしく動いているのを目を閉じて聞いていた。
なつめさんに良い報告できるかな。いじめられなくなりましたって。
父親と担任に、こうなる前にちゃんと自分たちを頼るように、しこたま怒られるのはまた別のお話。
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