みはるとなつめと

 片道7時間をかけた電車での旅は、どうやら自動車で高速に乗れば四時間ほどの道のりだったようだ。連休のある日、途中、パーキングエリアで何度か休憩しながら、私と両親はなつめさんのいる街に向かっていた。お姉ちゃんは家で勉強をしているとのことだった。ただ、どことなく楽しそうだったから意外と家族の目を盗んで羽を伸ばしているのかもしれない。


 山を越えて、川を越えて、街を越えた。いつか見たことのある光景のはずだけど、行き方が違うと随分と違って見えて全く別の場所にいるみたいだった。名前すら知らなかった街が、地理の授業で見たいくつかの符合と一致していく。私が辿り着いたあの名前の知らない町もちゃんと名前があったみたいだ。あたりまえなんだけど、ちょっと不思議な感じがした。


 なつめさんの家にも当然住所がある、カーナビに番地名まで入力されたそれをみながら、私はほんのりと違和感に包まれていた。夢みたいだったあの場所が、現実のちゃんとした場所、名前を伴って存在している。


 私たちが一緒に暮らしたのは上山市閻魔町の6-23番地207号室。滞在期間は4月29日から5月25日まで。私の町までの片道運賃はしめて9170円、電車で所要時間は7時間26分。坂上夏目さん25歳、会社員、独身、両親と離れて一人暮らし。


 くすっとほくそえむ。なんだか漂流して竜宮城に到達したと思ったら、実は近くの波止場の旅館にでも泊まっていたような気分だった。夢みたいだった場所が現実に存在して、私は今そこに片道4時間ほどかけて自動車で向かっている。それだけ自分が認識が歪んでいたということかもしれないし、なつめさんが頑張ってくれていたということかもしれない。


 「はやく会いたいなあ、なつめさん」


 言葉は窓から流れ込む風に乗って消えた。


 エアコンかけるから窓閉めてーという母の声に応えて窓をしめる。父が久しぶりの旅行だなあ、と声を浮足立たせて呟いて、お礼をしに行くんでしょうと母が笑いながら言った。私はイヤホンをつけて、窓の外を眺める。


 ちょっとだけ眠ろうかな。目をつむると、眠気は意外とすぐやってきた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 高速を降りて待ち合わせ場所のカフェについた。私がスマホでメッセージを送ると、なつめさんはもう中に入っているみたいで、私たちもいそいそと入店する、父がワイシャツの首元をきゅっと閉めて、母が土産物を確認した。


 先に入店した人がいることを伝えると、カフェの店員さんは奥のテーブル席に通してくれた。


 奥の席にはちょこんとちょっとおしゃれ着に身を包んだ小柄な女の人が、なつめさんが座っていた。わ、外向きの服だいつも部屋着か仕事着ばかりだったから、新鮮。素敵。美人。


 思わず小走りで駆け寄って、なつめさんが気づく前に隣の席に滑り込む。なんならそのままずいと顔を近づける。


 「わっ・・・、みはる?」


 スマホを眺めていたなつめさんはちょっと驚いたように私を見た、でもすぐにっこりと微笑んだ。


 「そうです!みはるですよ!!声は聞いてましたが、お久しぶりです!服とってもかわいいですね!いっつも部屋着ばっかり見てたからとっても新鮮です!」


 自分でもびっくりするくらい、口がぺらぺらと動く。なつめさんはちょっと微笑んだまま面食らっていたけど、ゆっくりと私を落ちつかせると、父と母と向き直った。


 両親ともに若干、困ったような顔をしていたけれど、改めてなつめさんと向き直ると深々と頭を下げる。


 娘が、みはるがお世話になりました。本当にありがとうございました。


 なつめさんは微笑んで、でも相変わらずちょっと困ったようなか顔をしていた。


 「いえいえ、私もみはるさんにはとっても救われましたから、・・・あの立ってるものなんなんで座ってください」


 父はごほんと咳払いをして、失礼しますといってからおごそかに椅子を引いてなつめさんの正面に座る。母はあなた、取引先の人みたいと軽く笑ってから私の正面に腰を下ろした。


それから、またお礼やらなんやらを語り始める。なつめさんは困ったような顔のまま、ずっと話を聞いている。


 私はちょっと浮足立ったまま、そんな二人の会話を聞いている。


 重ね重ねですが、本当にありがとうございました。坂上さんのような方に拾っていただかなければ、みはるは我が家に無事帰ってくることも、こうやってまた足を運ばさせていただくこともできませんでした。生活費やみはるをこちらに送っていただいたお金もあるでしょうし、その分のお礼をと思いましてーーーー。


 「いえ、本当にお気になさらず。私のわがままでやったことなんで、そうかしこまらずに・・・」


 いえいえ、それでもお礼をしなければーーーー。


 そんな調子で一方的にまくし立てており、なつめさんはずっとおろおろしている。こうしてみるとなつめさんも年若い女の人なのだなと実感する。自分よりはるかに年上の人たちに頭を下げられてどうすればいいのかわからないのだ。それはそれとして、おろおろして困っているなつめさんはちょっと新鮮だった。


 「お父さん、そこまで。なつめさん困ってるよ」


 私が言うと、母もそうねえ急にこんなに謝られてもねえといって同意した。父はちょっとはっとしたようになって、これはこれは申し訳ないと少し落ち着く。なつめさんもちょっとほっとしたような顔になった。私がちらっとなつめさんを見て笑いかけると、なつめさんは困ったように笑い返してくれた。


 「あのお礼はありがたいんですけど、やっぱりお気持ちだけで結構です。この件に関しては本当に私が一から十までわがままでやったことで、一歩間違えれば誘拐扱いされてもおかしくなかったんです。なので、お礼をもらってしまうと申し訳ないし、なにより私が納得いかなくなってしまうんです。だから、そのお金はみはるちゃんの将来のことに使ってあげてください。」


 そこまで言い切って、なつめさんはふうっと息を吐いた。今度は父がちょっと困ったような顔になる。私はみはるちゃんよびにちょっとむずっとして椅子に座り直した。母はあらあらと笑っている。


 そこまで言うなら・・・と、父はお礼の茶封筒を引っ込める。母はこれくらいなら大丈夫かしら?となつめさんに笑いかけて、お土産のお菓子を渡す。なつめさんは最初は戸惑っていたので代わりに私が受け取っておいた。


 「え、みはるがもらうの?」


 「後でなつめさんの家に行ったときに食べましょー」


 こらこらと父が私を窘め、母は笑っていた。そこまで話したころ合い、で店員さんがやってきて注文を取っていく。ちょうどお昼ぐらいのころ合いだったので、私たちは飲み物とご飯を頼んだ。


 その後は、なんというか、主に私の話だった。


 みはるはご迷惑をおかけしませんでしたか。いえ、ご飯とか作るの手伝ってくれましたよ、お皿洗いもする・・・とは言ってくれましたし。みはる、あなた本当にしたの?た、たまーに?はあ・・・もうちょっと仕込んどくべきだったわ。はは、まあでもいるだけでこちらは癒されてましたので。そう、愛玩動物的な感じで役割を果たしていたの!それは一緒に住んでいるんじゃなくて、飼われているっていうのよ。うぐ・・・・。すいませんねえ、今度は厳しく仕込んどきますんで。うわー、いやだー!みはる、うるさい、あんた手料理とか作ってみたくないの?あ、それはやってみたい。じゃあ、今度から手伝いなさい、いろいろ教えてあげるから。ははは、こんな娘ですが、今回の件で私らも色々と教えられましたこいつの姉のことは聞き及んでいますか?あ、メールで何回か聞きました、受験されてるんでしたっけ。そう、こいつに言われるまで結構、厳しく当たってしまっていて・・・。お父さん、ひどかったよねー。・・・・反省はしてるんだ、ただな。うまく、伝えられないことってありますよね・・・。そうなんです・・・、相手のためになるように思ってはいるんですが・・・。えー・・・あれで?みんな、みはるみたいに正直でいれるわけじゃないの、それがみはるのいいとこだけどね。へへへ、もっと褒めてください。あ、ご存じかもしれませんが、調子に乗るとどこまでもつけあがるのでご注意ください。あはは、なんとなく知ってます。ぬわー!みんなして私を―!また家出すんぞー!


 笑って過ごした。とてもとても、笑って過ごした。


 一応、お昼を食べ終えて解散しようということになった。両親はこのまま近くを観光して近隣の旅館へ、私はそのままなつめさんさんの家にいくことになっていた。明日帰るときにまた、私を拾ってくれる算段だ。


 「あの、本当に案内とか大丈夫ですか?」


 なつめさんが尋ねるけれど、お気になさらずと両親は首を横に振った。まあ、そこらへんは私が主張を思いっきり通しておいたので大丈夫である。


 別れ際に、じゃあ明日までお願いします。と言ってから、父は懐から封筒を取り出した、さっきのお礼のお金が入った封筒だった。え、となつめさんが困惑して、私も訝しげに父を見る。ただ、母だけはじっとそのさまを見ていた。


 これはあなたにはお礼としては受け取っていただけませんでした。我々も現金をただ渡すというのも少しぶしつけでした。


 「だからみはる、これはお前が持っていなさい」


 「え・・・私?」


 「そう、これは坂上さんにお礼をするためのお金だ、だからお前が持っていなさい。ちゃんといつか大事な時に恩返しができるように」


 「あの、そんな・・・、私は」


 「----うん、わかった。お父さん」


 「みはる・・・?」


 「うむ、じゃあ任せた。では我々は観光にでも行きますので、これで失礼します」


 「すいませんが、明日までみはるをお願いしますね?」


 「・・・・はい」


 なつめさんは困ったような顔をしている。


 私はそんななつめさんを見ながら、お父さんから渡された封筒を胸でぎゅっと握りしめた。


 いつかもらった物を返せるように。


 そんなことを思いながら。

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