エピローグ5-4 みはるとなつめ

 私、不肖みはる、大学一回生。入学から一週間。やりたいこと、いまだに見つかっていません。当然、なつめさんとは悲しい夜の別居生活が続いている。いや、その分ハグは山ほどしているわけだけど。


 時は必修英語の授業終了後。この後の予定はないのでサークル見学に行くのが新入生の常道なわけだけど。気分は陰鬱を極める。


 「ぐええええ」


 ためにためた感情というか懊悩が口から、濁った音波になって出ていく。貞淑な女子がというか、人間が発するのかも怪しい音が当たりに響く。


 「みはるん、何そんなに悩んでんの?」


 みはるんという呼称に私は若干背筋をぞわっとさせながら隣を振り向いた。同じ英語の授業の畑中さんが首を傾げて聞いてくる。ちなみに畑中さんとは英語の授業しか一緒じゃない。会うのも数回くらいだが、謎の愛称がすでに定着してしまっている。控え目に言って変な人だった。この前、あきのにそんな電話をしていたら、鏡を見ろ変人と言われた。失敬な奴だ、あと、別れの日の愁傷さはどこに置いてきた。


 「やりたいことが決まらないの・・・」


 「またアバウトな悩みだ。・・・・でも青春してるねえ、私もそんな時期があった」


 ふぅーと軽く息を吐いて畑中さんは電子タバコを吸っていた。ほぼ化粧もしてない見栄えだが素で顔立ちが整っているというのがよくわかる。ただ、表情が死んでいることが多いのでプラマイでいえば若干マイナスより。あと、髪が異様に長くて真っ黒。服装はTシャツジーパン、所属は哲学科。お手本のような変人だった。脳内のあきのが私にチョップかましてきた。脳内のはずなのにいてえ。


 「電子タバコって未成年でも吸っていいの?」


 「私、一浪してっからもう今年、二十歳なの」


 「誕生日は?」


 「12月25日、クリスマス。家は仏教だけど、その日は家族総出の大パーティよ」


 「へえ、すごい。でもダメじゃん。まだ十九じゃん」


 「・・・そもそも、喫煙所で吸ってほしいかなあ」


 私の逆サイドで同じく、微妙な顔をしている加納さんが声をかけた。加納さんは私と学部がおんなじなので英語以外にも結構被っているが、気づいたらいつのまにやら、固定の友達みたいなスタンスになっていた。いやほんと。誇張表現でなく、気づいたらなんか一緒にいた。私が一回、どこで最初にコンタクトを取ったか思い出そうとしたがさっぱり思い出せなかった。そのくせ、ものすごい親しみやすい感じでにじりよってくる。なんでかわかんないけど、目がちょっと怖い。実は私は、この人も隠しているだけで、大概変人なのではないかと思っている。あきのよりは巧妙に隠された感じじゃないから、何というか色々滲みだしているのである。


 「嫌よ、あっこ煙臭いじゃん。あと、ぱりぴばっかでうっさいし」


 「横暴にもほどがあるな・・・」


 「私たちが煙臭いのは考慮されてないのね・・・」


 加納さんと二人でふぅーとため息を吐いた。そんな話をしていると、教室に人がいなくなってきていたので、私はよっこいせと立ち上がる。


 「じゃあ、サークル見学行ってくる」


 「私も、いこっかな」


 「頑張れ、みはるん。私はもうちょっと吸ってから行くよ」


 「そういや畑中さん、もうサークル決まってんだっけ」


 「陶芸部」


 「うわー・・・畑中さんらしいですね」


 「だろ。あー・・・そうだ、みはるん講義の時間割見せて」


 「え・・・うん、いいけど」


 私はスマホに画像で保存していた講義リストをみせる、とりあえず、興味のありそうなのを片っ端から入れたけれど、大半はガイダンスばかりで正直まだよくわからない。いくつか、この講義は厳しいぞと教授に脅されるものがあって心が折れかけたから、これの通りになるかはわからないけれど。


 畑中さんはしばらくその講義をふんふんとみて、自分のスマホで写真を撮った。


 「私の講義リストなんて撮ってどうすんの?」


 「ん?こうしときゃ、暇なときにみはるんがどこいるかわかるだろ?適当に知らない授業参加するのも面白そうだし」


 「わ、・・・わたしのもいりますー?」


 「いや、あんたはいらん」


 「はあ・・・・・?」


 加納さんの頬がぴくぴくと揺れる、声から少し怒りが滲みだしている。おう・・・と、思わず声が漏れたけど。肝心の畑中さんはじゃねーと流していた。そのままだと喧嘩が始まりそうだったので、加納さんを連れてサークル棟に向かう。教室を離れてしばらくしたら、案の定。


 「なんなの!もう!あの人はあ!!」


 と、爆発してたけれど、耳を塞いでやりすごした。大学って、いろんな人がいるなあとしみじみする。


 「しかし、サークル、何にしようかなあ」


 必ずしも入らなきゃいけないわけじゃないけど、何かしら糸口になると思って色々見ているのだがいまだにピンとこない。


 まず、運動部はダメだった。ガチなのばっかりで中高と運動していない私には荷が勝ちすぎる。ゆるいのはゆるいので、出会い目的というのがにじみ出ていてダメだった。今の私は別に出会いとかいらん。ちなみに吹奏楽も運動部と見た感じ、一緒だった。文化部よね?あそこ。


 続いて、合唱部。こちらは比較的未経験者ウェルカムだったが、歌ってみて自分が音痴なことに気が付いてやめた。一緒に行った加納さんは、気にしなくていいよといっぱいフォローしてくれたが、私個人が自分の歌声に引いてしまったのでダメだった。声量ならまけてねーんすけどね。ちなみに、軽音部は合唱部と同じ理由でパスされた。


 続いて陶芸部、こちらは畑中さんと一緒に顔を出した。言われた通りろくろを回してみたけれど、いまいち何がいいのかさっぱりだった。作った容器のフォルムがー、と部員の方は喋っていたが。私ははあ、としか言えなかった。しばらくしたら、造ったものができあがるからねと言われたがあまりとりに行く気にならない。多分、畑中さんが受け取ってくれるだろう。ちなみに畑中さんは私が先輩に講釈垂れてもらっている横で、無言でろくろと向き合っていた。集中力すげーなという感じだった。ちなみに畑中さんは即日入部届を書いていた。


 茶道部。お茶菓子がおいしかった。作法が煩わしかった。以上。


 漫研。漫画はちょこちょこ読んでたけど。ガチ度で引いた。以上。


 ヨガ部。しばらく話を聞いてたら、ちょっとカルト宗教っぽかった。後々、他のサークルの先輩に聞いたらヨガ部なんてものは正式には存在しないらしい。怖い。


 文芸部は端から見学しなかった。私にとって、理想の小説はお姉ちゃんのものであり。お姉ちゃん以上のものをかける気がしなかったのである。


 委員会に誘われた。ただ誘われる前に、ほぼすべてのサークルの人たちにあそこはブラックだからやめとけと言われていたので丁重に断った。委員会の先輩は疲れた顔でそうだよね、ごめんねとだけ告げて、新入生を求めて幽霊みたいにさまよっていた。よくよく見ると、目のクマが酷い。大学組織も闇がふけえなあ、と目を細めた。


 しかし、やりたいこと、見つからない。


 「ぐえええええええええええ」


 「呻き声が大きくなったね・・・」


 加納さんと一緒に、自販機前のベンチで休憩する。結構時間がたって、大体新歓コンパとかに移行しているので、もうサークル棟は徐々に静かになってきている。


 「加納さんはもう決めたの?」


 「うん、合唱にしよっかなって。ボイスパーカッションのサークルもあるっぽいけど、雰囲気が合わなさそうだったから」


 「・・・合唱って、新歓コンパ今日じゃなかったっけ?」


 「そうだよ、一緒に行く?」


 「んー・・・いいや。楽しんできて」


 「そう?じゃあ、・・・私行くね?」


 加納さんは少し名残惜しそうにすると、新歓の場所を確認して去っていった。私はその背中を見ながら、はあとため息をつく。


 夕暮れの中で、ほとんど散ってしまった桜が風に流されていく。さらさらと桜の木の間を風が慣れていく音がする。


 春の夕暮れ時は日差しは暖かいのに、風は寒い。でも少しずつ寒さが増していく。ぶるっと体を震わせた。


 私は、何者なんだろう。


 何ができるんだろう。何もできたことなどないのかな。そんなことはないと思うけれど、具体的には何も思いつかない。


 これだけ色々見て回ったけれど、何一つピンとくるものがなかった。いっそ、合唱か陶芸に入ってしまおうか。そうすれば少なくとも知り合いのどちらかはいるのだから。


 しばらく俯く。手に持ったカフェオレの缶が滑り落ちて、コロコロと転がる。半分ほど残った中身がじわりとアスファルトに染み出した。


 違う、そうじゃない。それはなつめさんに言われた。私のやりたいこと、じゃない。


 私は何ができたんだろう。私は何をしたいんだろう。


 問うても、問うても。答えなんてでてこない。新しい何かをしようにも、興味が全くわいてこない。どうやっても違うという感覚しか感じられない。


 やっぱり私には何もないのかな。これから何かにならなきゃいけないのに。何ならできるんだよ。何にならなれるんだよ。


 一人でいると、みじめで泣きたくなった。これだけたくさんの人がいて、これだけたくさんの選択肢があって、私だけが何一つできない、何者にもなれない。


 みんながたくさん何かになる準備をしてここに至っているのに、私だけが何の準備もせず試験会場に来てしまったみたいだ。


 答案は配られている、みんな書き始めている。なのに私はペンの一つも持っていない。問題文一つ理解できてやしない。


 私が悪いのだ。わかってる、そんなことは。だから、私が、私の力でなんとかしなくちゃ。そう言い聞かせる。


 なつめさんのためにも。自分のためにも。


 平気、と言って嘘をついた。平気じゃねえ。体は問題ないけれど、心はもう折れかかっている。このままだと、なつめさんの家に帰ることすらできそうにない。いつかの私の声がした。だめだ、今は無視しろ。


 無理矢理立ち上がった。もう一度、サークル棟を目指す。何かを探すために進んでいるのか、自分から逃げているのかよくわからなかった。


 玄関をくぐって、2階が文化部のエリアだった。そこでまだ見ていないものを探す。


 大半の部室はもう空で、サークル棟自体がもう仄暗い。かつんかつんと廊下を歩く自分の足音がやけに耳に残る。


 暗い廊下の一番奥で、まだ電灯がついている部屋があった。サークル棟の端っこ、他の部室に比べて少しだけ大きい部屋。


 ちょっと臆病になる自分を踏み越えてひょこっと首を伸ばす。よくわからない匂いがした。薬品でもなく、人間の匂いでも、紙の匂いでもない、初めて嗅ぐよくわからない匂い。


 中には先輩と思しき二人の男の人、片方は眼鏡をかけている。それと一人の女の人。それぞれスケッチブックを見ながら、手持ちの紙になにやらペンを走らせている。さらさらとペンの音が静かな部屋に響き渡っている。ふと見回すと、いくつも絵が飾ってあった。大きいもの小さいもの見たことない、画板のようなものもあれば、小さなスケッチブックが乱雑に置かれたりもしている。美術部か、ここ。


 絵なんか描いたっけ。私。中学の頃の美術くらいじゃないかな。高校では選択は書道にしちゃったし。


 そんなことを考えていると、女の人が部室をのぞき込んでいる私に気が付いた。そのまま、片側の男の人の肩をぽんぽんと叩くと、私を指さす。


 眼鏡をかけた男の人は私をみると、なんというか手慣れた感じの笑顔になった。


 「新入生・・・・だよね?見学?」


 「え、あ、はい」


 「そっか。まあまあ、座って」


 私は言われるままその人たちが囲んでいた机の席に座る。改めて部室を見回すと、絵だけじゃなくていろいろある。靴型のオブジェや棒人間みたいな人形。どでかい折り紙みたいなものもあった。美術って色々あるなあ。


 中に入ると、さっきの独特な匂いがまた強くなる。絵具と木材の匂いなのだとそこでようやく理解する。


 「じゃあ、とりあえず、自己紹介ね。俺が三回で社会学部の森田、呼ばれるときはモリかモリさんだな。一応、部長で専門は油絵かな」


 「私は文学部で同じく三回の棚橋さや。さやさんって呼んでね。一応、副部長ってことになってるけど、あんまり気にしないでね。専門は水彩かな割となんでも書くけど」


 「・・・・」


 「えーと、そんでこいつが二回で文学の山崎。みんなにはザキとか呼ばれてて。専門は折り紙。まあ、こいつしかやってないけど」


 「あ・・・えーと、私、川瀬 美春です。一応、外国語学部で。絵とかは特に経験ない・・・です」


 「はは、いいよ。そんなやつばっかだから。で、川瀬さん」


 そんな話をしていると、部長はどこやったかなと部室内をひっかきまわしながら道具を集め始める。色鉛筆と絵具、バケツ、あとクレヨンかな?


 それらを私の前に集めると、最後に自分のスケッチブックを私に渡してきた。


 「え?え?」


 「そんじゃ、描いてみて」


 「え、いったい何を?」


 「なんでもいい、目に映ったもの。頭に思い描いたもの。なんでもいい抽象画でもいいし、写実でもいい。もちろん風景でもいいけど、ちょっとこっから見える風景はあんまりおすすめできないかな」


 そう言って、部長はちらっと窓の外を見る。窓の先は隣の棟のようでほとんど壁だった。


 それはそれとして、え、ほんとに何を描けばいいのだろう。私は困惑する。


 「え、えっと試験みたいなものですか?」


 入部試験的なやつだろうか、だとしたら一切受かる気がしなかった。私なにより本当に何を描いたらいいのか分かんない。


 慌ててる私を見て副部長の・・・えと、棚橋さんはくすっと笑って、森田さんをひっぱたいた。


 「いったあ!」


 「ごめんねえ、このあほ。説明しないから。別に試験とかそんなんじゃないの、そういう企画でさ」


 「なんでもいいから描いてもらって、何を描いてきても俺たちが評価を書くっていう・・・企画だよ」


 ぼそっとした声で言われたから一瞬誰かわからなかったけれど、山崎さんが声を出していたみたいだ。気づくと私の隣に立っていて、飲み物を置いていた。立ってから気が付いたけれど、山崎さんはめちゃくちゃ背が高い人だった。そのくせ、手足は異様に細い。細長さんだとなんとなく思った。


 「そうそう!評価って言ってもあれね。ガチな奴じゃなくて、無理矢理にでも褒める!がコンセプトだから何描いても褒めるからさ。気負わず書いてよ」


 「はあ・・・・」


 「毎年やってるんだけどね、今年の傑作はあれだね。へのへのもへじ描いたやつ。モリはべた褒めだったじゃん」


 「いや、あれはネタじゃなくてほんとによかったんだって。だってただのへのへのもへじじゃないんだぜ、ディティール、力の入れかた、画用紙に対するバランスどれとっても最高だった。あいつはベテランのへのへのもへじ野郎だった」


 「でも、入部しなかったよねー。どこ行ったっけ、彼」


 「書道部、ですね」


 「納得のクオリティだな・・・」


 先輩たちは三人はおのおの楽しそうに話している。寡黙に見えた山崎さんも創作の話になると楽しそうだった。いいなあ、と心の黒い部分がこぼれる。何かできる人ってのは、いいなあ。私、なんにもできないのに。


 スケッチブックに目を落とす。描かなくちゃ、何かを。でも正直どれだけつまらなくてもリンゴを描け、とか言われる方がましだった。何を描いてもいい、なんて言われてもわかんない。


 「どう、描けそう?」


 「あ、はい」


 嘘をつくな、と誰かが言った。


 「お、いいね。さては、いいの思い浮かんだ?」


 「はは、もうばっちしです」


 嘘をついちゃだめだよ、となつめさんが言った。


 「まあ、気楽に描くと・・・いいよ」


 「はい、もうバリバリです」


 嘘ついちゃだめじゃん。


 私が言った。




 手に取った、ペンが落ちた。


 嘘だ。何も思いついちゃいない。だというのに、言葉ばかりが胸の奥にたまっていく。


 ああ、羨ましい。


 この人たちには自然と描きたい何かがある。私には何もないのに。


 ごぼごぼと黒い水が喉奥の方から湧き上がってくる。出せ、出せと、誰かが口の奥で喚いている。


 出せるわけないでしょ、あんたが出てきたらどうなんのよこの場は。


 いきなり初対面の人にそんなこと言って、通るわけないでしょ。受け入れてもらえるわけないでしょ。


 あんたらが羨ましいなんて、言ってどうなるっていうのよ。


 泣きそうになったけれど、泣くわけにもいかない。こんなところで、突然泣いてどうなる。困らせるだけだ。


 せめて、見せるならなつめさんに。




 ・・・・・・・・・・・違う。




 それだと私が抱えるものは全部なつめさんに行ってしまう。ともすれば傷つけてしまう。私が抱える傷を全部、なつめさんに背負わせてしまう。


 それじゃあ、一緒にいる意味ないじゃん。私が寄りかかっているだけだ。なつめさんの足を私が引っ張っているだけだ。それじゃあ、だめだ。だから自分の足で立つって話じゃなかったのか。


 でも、この傷を抱えているだけでは解決しない。いつか、爆発する。だから、言わねばならない。


 自分に正直にならねばならない。


 ただ、抱えた言葉をそのままま出しては相手を傷つける。言葉を選ぶ、でも、言いたいことは言う。


 難しい、うまくいくかもわからない。でも、それでも少しずつでもいいから、本心を吐き出せ。


 「やっぱり・・・・」


 「ん?」


 「やっぱり・・・あの、思いつかないです。・・・・すいません。描きたいものとか・・・・なくて、どうしたらいいか、わかんなくて、私みなさんみたいに上手くできなくて・・・」


 大丈夫かな、と三人を見た。軽蔑、されないだろうか。間違って、いないだろうか。


 怖い。怖い。どうなるか、分からない。でも、きっと言わなくちゃいけないのだ。


 「・・・・ああ、よくあるよな!俺もよく新作どうしようか、死ぬほど悩むからな」


 「まあ、こんな咄嗟に描けってのが無茶だったよね、ごめんね」


 三回生の二人がちょっと困ったように謝ってくる。ああ、失敗したかな。心配かけたかな。やっぱり、ダメだったかな。


 そう思っていると、スケッチブックが私の手からすっと離れた。見上げると、山崎さんがじっと私のスケッチブックを眺めていた。


 それからしばらくすると、私に向かってそのスケッチブックを向けて、その中の一つのものを指さした。


 「これ・・・何描こうとしたの?」


 「え・・・?」


 スケッチブックには確かに、黒い線が引かれていた。先が少し丸くて下に棒が一本だけ伸びて途中で切れている。描いている途中で確かペン落としたのだ。


 「何って・・・・えと、多分、人?・・・です」


 「そっか」


 そう言うと、小さな紙きれを取り出すと、懐からペンを取り出して、何か書いていく。幾度か悩む様子を見せたけど、そのままスケッチブックからそのページを切り取ると、ぱんと壁に張った。


 小さな角ばった文字で何かかが書いてある。



 『画用紙内に小さく、ただ佇んでいる人が、行く当てのなさをよく表わしている。途中で途切れた線から、大学に入学したてで何をすればいいのか、何を表現すればいいのかわかない様がありありと伝わってくる。行き先を見失った人の心の内はこれほどまで寂しく、悲しみに満ちているということを空白の中に線を一本引くだけで見事に表現した作品である』



 「うん、いい絵だね」


 「え?」

 

 絵?これが?こんなんでいいの?


 「あー・・・いいな。そうみるとこれもなかなかいいもんだな」


 「ははは、みはるちゃん。いい作品ができたね」


 「でも、私、何もできなくて・・・」


 「そだね、でも何もできない。何も描けないってことがとっても表現できてるんだよ」


 言われて、私は改めて、描いたものを、棒だけが描かれたそれを、絵を、見る。真っ白い画用紙に一本だけ描かれた、寂しい線。何かを描こうとして何も描けなかった線。


 「言ったでしょ?何描いてもいいって、描けないことを描いてもいいんだよ」


 棚橋さんにぽんと肩を叩かれた。私はしばらくその絵と山崎さんが書いた言葉をぼーっと見ていた。


 描いた。描いた?描いたことにしてもらった。でも、多分、私の『今』に最も近い絵。『描けない』という絵。


 『まもなく閉館時刻です、館内に残っている方は速やかに帰宅してください。各サークルはカギの返却を忘れないようにしてください』


 「お、もうそんな時間か、俺らも出なきゃな」


 音楽とともに館内放送が流れる。私は森田さんに言われてようやくはっとして席を立った。だめだ、まだぼーっとしている。


 「かわせ みはるちゃん・・・・みはちゃんでいいか。みはちゃん、よかったらご飯食べに行かない?」


 「え、あ、・・・はい」


 「お、いいな。行こう行こう。ザキは?」


 「行きます・・・・、今月はまだ余裕あるんで」


 「お、珍し。ザキはいっつもすぐに帰るのに。さては今日会った下回生に惚れた?」


 「さやさん、そんなからかい方してるとみはさん逃げちゃいますよ・・・」


 「うーん、はぐらかしおってからに・・・。ところで何食べにいこっか」


 「やすじか・・・・マン麺か・・・、将月でもいいか」


 「俺はマン麺の担々麺が食いたいです」


 「ザキは辛いのしか言わんからなあ。みはちゃん、定食屋と中華屋・・・ってかラーメン屋と、お好み焼きどれがいい?」


 「え・・・えーと定食屋さんがいいです」


 「おし、じゃあやすじ行くか。忘れもんないなー?カギ閉めんぞー」


 「やすじは・・・」


 「キムチゲ定食でしょ、あんたはどうせ」


 「はは、ばれました・・・・」


 「あ、すいません。なつめさんに・・・一緒に住んでる人に連絡してきます」


 「お、了解。出たとこで待ってるよ」


 「俺、鍵返してくるわ」


 「じゃ、俺も先出たとこいます」


 それぞれ一旦別れた。なんだろう、心が動いている。暗い部室を振り返った。部室の中に小さな絵が貼ってある、小さな線とそこに描かれたもの。それが認められたこと。どくん、と心の奥で何かが脈打つ。喉の奥で黒く染まっていたはずのものが色を赤く変えて身体中を巡っている。力だ。活力だ。ぐっとそれを内にためた。じっとじっと。


 なつめさんにご飯がいらないことを謝り、少しサークルの人たちと食事に行ってくることを告げた。


 「せっかく、ご飯作ってもらってるのにごめんなさい」


 「ううん、行きたいとこがあるんでしょ?いいよ、行ってらっしゃい。また、話聞かせて?」


 「はい!」


 優しい言葉が胸に染み込んでいく。うん、私には帰れる場所がある。だから外に飛び出しても大丈夫だ。


 電話を切った。ちょっと小走りでサークル棟を飛び出す。外に出ると、たくさんのサークル棟の人たちに交じって、棚橋さん、えーとさやさんと、山崎さん、ザキさんがいた。


 「お、来た来た。みはちゃん、こっちこっち」


 「モリさんは・・・?」


 「え、どこでしょ」


 「お、揃ってる。んじゃいくか、やすじはなこっちだ。結構近いからみんな使ってんだ」


 「やすじかあ、閉館直後は混んでるかなあ・・・。席開いてるといいけど」


 「埋まってたら・・・、マン麺ですね」


 「えーと、ザキさん?・・・うれしそうですね?」


 「こいつ、大の辛いもの好きだからね。・・・ところで、みはちゃん、さっきいってた一緒に住んでるって同棲?」


 「え?あ、そうです。なつめさんっていう人と一緒に住んでます」


 「そっかー・・・・ザキに春が来るかと思ったのに」


 「俺のことより、さやさんは・・・彼氏さんとちゃんと仲良くした方がいいです」


 「・・・・・うるへーわい」


 「しかし、なつめって女の人っぽい名前だな」


 「はい、女の人ですよ?」


 「え?マジで」


 「おお、さらっといったね。カミングアウトとか怖くない人か」


 「・・・・そんなに怖いことなんです?」


 「いいと思うよ・・・自分の好きなものはちゃんとそう言った方がいい」


 「おー、さすが哲学科。動じねえなあ、俺ちょっと正直びびったのに」


 「いやあ、私はビアンの子何人か知ってっけど、ここまで堂々としてる子見たの初めてかも」


 「え?まじで。何人って、そんなにいるもんなの?」


 「うん、本人のためにも言わんけど、あんたの知り合いにもいるから」


 「まじか、なんか俺の知らない世界があるんだな・・・」


 「モリさんは、・・・はやく素人童貞卒業しましょう」


 「お前もだろ・・・ザキ。というか、さやはいいとして、女子の前で素人童貞とかいうなよ」


 「おい、どういうことだこらあ。なんで私が女子カウントされてねえんだ、おらあ」


 「そういうとこだろ」


 「俺は・・・高校のころ彼女いたんで」


 「・・・・え、マジ?」


 「あれ、そだよ。あんた知らなかったっけ。ザキ基本的に下ネタに動じないでしょ?」


 「・・・・・・マジかあ」


 「はい、新入生の前でガチへこみしなーい。というか、私はそのなつめさんの話をちゃんと聞きたいんだけど、みはちゃんはそういうの踏み込んでいい人?」


 「はい、大丈夫ですよ」


 「幾つくらい?さんってことは、年上?」


 「はい、25歳・・・今、26かな」


 「え?同棲ってことは、えーと致してるんだよね」


 「えーと・・・それは、実はまだで」


 「「・・・・・・・」」


 「耳を聞きそば立てるなあ!男子ども!!」


 「いや、理不尽だろ!聞こえてくるって!!」


 「不可抗力・・・です」


 連れて行ってもらったやすじという定食屋はとても混んでいたけれど、運よく四人分席が空いていた。大学生や教職員とい思しき人たちががやがやと話している。


 騒がしくて仕方なかったけれど、私の周りの三人も負けじと大声でしゃべっていたので、なんだか楽しかった。モリさんは唐揚げ定食を頼んでいて、一番安いの頼むなよとさやさんにつっこまれていた。さやさんはモリさんの金欠話やザキさんの面白話をたくさんしてくれた。ザキさんはキムチゲ定食を黙々と食べていたけれど、時折喋るときはやっぱり他の人と同じで大きな声になっていたのが、なんとなく面白かった。


 私はとりぽん定食を食べた。唐揚げがおっきくて美味しくて、モリさんとザキさんはご飯のお代わりを店員さんに頼んでいた。途中で、団体客が入ってきてだれかと思ったら、陶芸部の人達みたいで畑中さんが私を見つけてちらっと手を振った。私もこっそり手を振り返しておいた。


 「みはさん・・・明日、ヒマ?」


 「明日って・・・土曜日ですよね?多分、用事ないと思います」


 でも、なつめさんと買い物行くかな、何かたりないものあったっけ。


 「明日もね、朝からサークルの部室開いてるから、またおいでよ。絵描かなくてもだべってるだけでも楽しいし、さ」


 「それに、外文は・・・誰かいたっけうちのサークル。柳瀬のやつが外文か、あいつに聞けば単位の取り方教えてくれるよ」


 「柳瀬はだめだよ、あいつ単位やばいから。ますだーに聞いた方が確実だよー」


 「もし描きたかったら、絵を描いても・・・いい」


 「はい・・・・」


 絵、絵かあ。描きたい?描きたいかなあ。わからない。でも、明日もこの人たちに会えたらきっと楽しいと思った。


 何かしたいって思った。後から思えばここが取っ掛かりだったんだろう。


 その日、私はそのまま美術部の先輩方にご飯をおごってもらい。夜遅くに帰路についた。


 帰り着いて、ドアを開けるとすでに寝間着姿のなつめさんが迎えてくれた。


 「おかえり、みはる」


 「ただいまです、なつめさん」


 そのまま勢いでなつめさんにがばっと引っ付く。お風呂上がりの温かさと湿っぽさ、あと私たちが使っているシャンプーの匂いがする。そのままふーふーと息をする。一日の疲れが吹き飛んでいくのを感じる。うーむ、なつめさんがいたら私一生、健康でいられるのでは?


 「んー?みはる唐揚げ食べたでしょ?」


 「む、ばれました。でも残念、正確にはとりぽんでした」


 なつめさんが私の髪をくんくんと嗅いだ、私はちょっと照れ臭くなってぴょんと離れた。


 「お風呂入ってきますね」


 「いってらっしゃい」


 その日、私はなんとなくなつめさんが寝ている布団の中にはいっていってそのまま抱き着いた。布団の中のなつめさんの身体は薄い寝間着のおかげで体温がよく分かった。


 「どしたの?みはる」


 寝入りかけているからか、なつめさんの声は小さい。私は抱き着いてそのままぎゅうっと抱きしめた。


 「私、今日、ちょっとだけやってみてもいいかもってことが思えました、だから・・・・・もうちょっとだと思います」


 「そっか、うん楽しみ。それがちゃんとやりたくなったら教えてね?」


 「はい」


 それだけ話すと、私はもそもそと布団からはい出して、自分のソファで眠り込んだ。


 もうちょっと、もうちょっと。



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 翌日、私はもう一度、美術部の部室の門戸を叩いた。


 部室にはさやさんとザキさんだけで、どうやらモリさんはまだ家で寝ているらしい。


 「ゲームとかして、・・・遊ぶ?それか、絵、描く?」


 「描きたい、です」


 「お、いいね。今度こそ描くの決まってるって顔してるよ」


 「いえ、全然決まってないです!!でも何か、とりあえず何か描いてみたいです!!」


 「うん、・・・それがいい。・・・筆とペンどっちがいい?」


 「えーと、どっちがいいのかわからないので教えてください!」


 「・・・さやさん」


 「おっけー、任しとき。まずペンはねーーー」


 さやさんに教わりながら、ペンを握る。力を籠めすぎず、緩めすぎず。張っていた肩ひじを軽くたたかれ力を抜く。


 深く、息を吸って吐いた。言われるまま練習でスケッチブックに何本か線を引く。


 私の手で何かが描かれる。ただ単純に、それが面白い。


 一通り、教えてもらった後、ようやく真新しいスケッチブックにペンを伸ばした。


 何を描きたいかは相変わらず決まっていない。


 少し迷ったけれど、始まりは昨日と同じにした。小さく、細い、一本の線。


 しばらくそこで止まって、その人と向き合う場所にもう一つ線を、人を描く。


 次は何だろう、青色かな。


 ペンに手を取ろうとしたところで、さやさんは、私は向こうにいるねと言った。私ははいと返事をして、自分の絵に向き直る。


 青は何を描こう。練習用の紙に青をとんとんと叩いて、色を確かめる。鮮やかすぎる。もっと紺っぽいやつがいいな。


 「すいません、ザキさん。紺色のペンってあります?」


 振り向くと、ザキさんは折り紙でなにやら作っていた。折り紙?だよねあれ。ザキさんは腕くらいありそうな紙の造形物にせっせと折り目をつけている。


 ザキさんは少し部屋をぐるりと見まわして、端っこに落ちているペンを見つけてくると、私に手渡した。お礼を言って練習用の紙に線を引いてみる。うん、こっちの色がいい。


 夜の青の色。大丈夫、描ける。この線二つの、二人の出会いは、きっと夜だ。根拠はないけれど、そういう確信があった。


 端っこから線を一本、一本引いていく。スケッチブックにかじりつくみたいになって描きこむ。


 街灯を描こうと思った。なんとなくだけれど、街灯があると思った。


 ここは道だ。通り過ぎる人がいる。顔もない幾人の人たち。二つの線が、二人が周りを行きかう人たちに埋まりそうになる。


 人ごみに埋まらないようその人たちの輪郭を描き足していく。一度引いた線の上から無理矢理書き足すと、ちょっと不格好になるけれどこっちの方がいい。


 明確なイメージはない。でも描こうという衝動は止まらない。私の心の奥にたまっていた。脈打つ何かが、喚いている、叫んでいる、声を上げている。描け、描け、産みだせ、作り出せ、表せ、表現しろ。わけもわからないまま、私は私を吐き出していく。ここに。ここに。


 どくんどくんと脈が打つ。心臓が鳴る。突き動かされる衝動のまま、ただペンを走らせる。


 最初の線は、人は、少女になった。うずくまってどこにも行けない。夜の街で一人、どこにも帰れない。


 もう一つの線は、女性になった。少女を見て立ち止まる。たくさんの人が通り過ぎるなか、ただ一人立ち止まった。


 理由は、わからない。この時の私は、まだ知らない。


 でもそこに理由がある。女性には女性の。少女には少女の。行きかう人にも、書き表せていないたくさんの人にも、すべてに理由がある。


 それをすべては描ききれない。描ききれないけれど、一つ一つを必死に描きこんでいく。


 この人はきっと今日仕事で疲れていた、だからうつむいている。この人は見知らぬ人間が怖かった、だから目をそらしている。この人はそもそも見えていなかった、スマホを見ている。この人はーーーーーー。


 ことんと飲み物が置かれた。振り向くと、さやさんとザキさんが笑顔で私を見守っていた。


 無言で頷く。


 女の人を描きこむ。この人は、自分が救いたかった。本当はわがままなのに。そんな自分が許せなかった。助けたい自分に嘘をつき続けていた。でもどこかで救いを求めていたから、少女に目を止めた。この少女を救えば、自分も救われるような気がしている。だから、立ち止まる。でも、本当は芯の強い人。これと決めたら曲げない、でも優しい、そんな人。


 少女を描きこむ。この人は救いを求めていた。あるべき場所から逃げ出して、ずっとずっとうずくまっていた。誰かを恨んでいた。でも、結局、自分の無力さが原因だったのだと知ってしまって、そんな自分に耐えられなくなった。逃げて逃げて、逃げた先になにもなくて立ち止まってしまった。空腹と渇きで心が崩れて、自分が自分でいることに耐えられなくなった。わがままで、ばかで、よわい、そんな私。


 これは、そうあの時の、私たちの絵だ。


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 ふうと息を吐いた。


 描き切った、と思う。描ききれたよね?


 息は長い長い道を歩いた後みたいに乱れていて、手や足には震えに近い疲労感がある。


 胸の奥に妙な虚脱感がある。まるでずっとここに入っていた何かを思いっきり吐き出したみたいな。


 達成感と、虚無感とが同時に押し寄せてきてしばらくぼーっとする。


 「描けたのか?」


 振り向くと、モリさんがいた。いつのまに。ほかの二人もそれぞれ椅子を用意して私の後ろで見守っていた。


 「は、はい」


 私がそう答えると、モリさんはスケッチブックを持ち上げて絵をじーっと見る。それからしばらくして口を開いた。


 「全体的に隙間が多いな、空白は使い方次第だが、これは単純に描きこみが足りない。線一本一本の引き方がまだ甘い、こんどさやにちゃんと教えてもらえ。人それぞれの表情に対する書き込みは細かいが、背景や体全体からみるとアンバランスだ。引いた視点で絵を見ることを覚えろ。この中央の二人は一回、線を引いてから上から書き直したろう。プランを途中で変えたんだろうが、ちゃんと下書きした方がいいぞ」


 うえ、と声が漏れる。ダメだし、されているんだろうか。いや、ちょこちょこ修正の仕方を言っているから、アドバイスしてくれているのだろうか。


 「----というのが、俺の、新入生っていうひいき目なしに見た感想だ。この絵にそんなバイアスはいらない」


 「え?」


 「モリさん・・・・わかりにくい」


 「みはちゃん、ごめんね。こいつ、褒めてんのよ。これ以上ないってくらい」


 「褒めて・・・私の絵を・・・・ですか?」


 「ああ、褒めに褒めたぞ。新入生に遊びの企画で描いてもらう絵じゃない、これは立派な作品だ」


 「あら、べた褒めじゃない。これはへのへのもへじ君を越えたか?」


 「おのおのの表現に優劣をつけるもんじゃないが、込められた意味まで考えたらこっちの作品の方が断然俺は好きだぜ」


 「私も・・・・って、みはちゃん大丈夫?」


 「え?」


 気付いたら泣いてた。ああ、でもこれは悲しい涙じゃない。ただ、ただ。


 「大丈夫です!ただ、嬉しくて。私、なんにもできなかったから!何にもなれなかったから!ちょっとでも何かが作れたことが、嬉しくて!!」


 ああ、ああ、本当に。嬉しい。こぼれる、こぼれる。笑いながら、泣く。よかった、よかったよ。


 涙にむせて、さやさんによしよしと撫でられる。ザキさんが紙を一枚持ってきて、モリさんに手渡した。


 モリさんはそれにさらさらと何かを描くとスケッチブックごと私の絵をよく見えるところに貼ると、評価用の紙をバンと張り付けた。


 『名作!!』


 「はは、ごり押しすぎるでしょ」


 「俺の時もこれでしたよね、モリさん」


 「しゃーねえだろ、ザキのときもそうだけど、すごいもんはすごいとしか言えねえんだよ」


 「折り紙しかできない俺を、無理矢理評価したのモリさんだけでしたけどね」


 「いいだろ、別に。折り紙しかできねえって言われたら、それでいいっていうっきゃねえだろ。それで充分すごかったしよ」


 「ははは、懐かし。変な奴きたーって話題になったよね。みはちゃん。大丈夫?」


 「はい!!」


 「お、泣き止んだか。じゃ、この絵に題名をつけてくれ」


 「え、題名ですか?」


 「そうだ、これはちゃんとした作品だからな。題名がいる。それに題名、というか意味付けは大事だ。意味付け一つで一本の線も作品になる」


 そう言ってモリさんは昨日私が描いた絵を指さした。そう、昨日、私が描けなかった、描けなかったことを描いたという意味をもらった絵。


 意味?この絵の意味は。


 私となつめさん。


 でもそれを口にするのはちょっと恥ずかしい。この時、私たちはお互いの名前すら知らないわけだし。


 まだ、自分に正直になることもできないでいた。そんな私たち。


 だから、この絵は。この絵のタイトルはそう、決まっているのだ。





 「OLと家出少女」

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