なつめと
二人で何度か、行き先の駅を確認し、電車賃を確認し、みはるに多めの交通費と食事を持たせ、私とは逆方向の電車に乗っていくあの子を見送った。みはるは最後まで、電車の中から私に手を振っていた。
みはると一緒に外を歩く。そして、家族と自分と向き直ることを決めたあの子を私は見送る。
そんな、なんとも不思議な体験をしながら、今日の朝を私は過ごした。
なつめさん、私、家に帰ろうと思うんです
みはるがそういった時、私はどんなことを感じたのだろう。
寂しかった、この生活が終わってしまうことが。
仕方のないことだと思った。自分と向き合うことができたら、この子がいつかここを去っていくのはわかっていた。
でも、何故だか、どこかほっとしていたような気がする。
きっと、みはるは進むべき場所に進めるのだ。胸の奥で行き先を塞いでいた何かが、壊れてどことなくすがすがしい風が吹いているような気がしていた。
ああ、私も歩かなきゃ。
みはるが乗った電車を見送って少しぼーっとしてから、私は逆側のホームに向かって足を動かす。
日常が、帰ってきた。
―――――――――――――――
仕事場に着いて、いつも通り仕事に取り掛かる前の整理をしてから、私はスマホを自分の小脇に置いておいた。普段は集中の邪魔になるからしないけれど、今日は約束がある。無事に向こうについて、連絡ができる様になったらとみはるに電話番号を書いて渡しておいた。駅名で調べたところ、みはるは片道7時間ほどの遠くのローカル線から来ており、当然、今は携帯はもっていない。連絡が来るのは、だいぶ先だろうけれど万が一ということを考えて、私はいつでも目が止められるところにスマホを置いておくことにした。
「ごめんね、坂上さん、後ででいいからこの書類チェックお願いできる?」
同僚で年配の女性の石田さんが、私に書類を渡してくる。会計書類は複数人で確認するのが決まりなのだ。
「わかりました。あ、今見ますよ」
そういえば、この人とはみはるが居ついてすぐに、誘拐の話をしてたっけ。あの頃は、誘拐のことは気が気じゃなかったけれど、今ではあまり気にならなくなったのはみはるからそういった危うさが消えたからだろうか。いや、今からでもそういった問題は起こりうるのだろうか、あの子が保護されたら今までどこにいたのかという疑問は当然、出てくるに違いない。
「・・・・・」
清々しい気分でごまかされていたが、そういった問題もあるのか、なんにせよ平穏無事に済むことを祈るくらいしか今の私にできることはないのか。思わず、ため息が漏れた。
「・・・大丈夫?どこか、ミスしてた?」
書類を捲りながら、ため息をついたから誤解されたようで石田さんが困ったようにのぞき込んでくる。私は慌てて、否定する。
「いえ、すいません私事です。書類は大丈夫ですよ、ミスはないと思います」
「そう、よかった。でも、どうしたの?坂上さんが悩み事なんて珍しいじゃない」
「そう、ですかね?悩み事なんてしょっちゅうですよ?」
特にここ数週間はみはる関連で悩みっぱなしだった。悩んでいない時間のほうが珍しかったんじゃないだろうか。
「そう?坂上さんなんというか、クールであんまり表に出さないものね」
クール?自分が?いつも人付き合いにおびえて、肩ひじを張っているからそう見えるだけじゃないだろうか。はは、と愛想笑いが漏れる。
「でも、最近、いいことあったでしょう?それはよくわかるわ、笑顔が増えたもの」
言われて、え?と声が漏れて思わず自分の顔を触る。そういえば、以前は愛想笑いなどしていただろうか。
「何があったの?彼氏さん?それとも・・・・」
石田さーん、仕事してねー。会話に火が付きそうなったあたりで部長がデスクの向こうから間の抜けた声を出す。石田さんはあらごめんなさーい、と朗らかに笑って自分の席に戻った。
いいこと、あったっけ、あったかもね。
ふう、と息を吐いて、集中を戻す。自分のやるべきことをやらなきゃ。
昼休憩のチャイムが鳴って、昼休みに弁当箱を開けた。今日の昼食は自分で作ったものじゃなくて、みはるが作ってくれたものだ。
何宿何飯かは忘れましたが、お礼です!
といって、みはるが用意してくれたのだ。ふたを開けると、不格好な野菜炒めや卵焼きが並んでいる。そういえば、あの子あんまり料理うまくなかったな。どことなくみはるらしくて、くすっときてしまう。
「あら、彼氏の手作り弁当?」
気づくと石田さんが私の近くに寄ってきていて、同じように弁当箱を開けていた。
「え?まじですか」
なぜか、同僚の男性の根岸さんまで寄ってきている。普段はこんなことなどなかったので、思わず困惑する。
「え?いや、あの・・・」
「んー、でもどことなく、かわいらしさを意識してるわね。彼氏ではないか・・・」
「そんなもん、弁当見ただけでわかるもんですか」
「わかるわよー、根岸君。お弁当なんて相手に対する思いが詰まってるんだから、そこら辺の心理テストよりあてになるわよ。例えば、そこの卵焼き・・・焦げたところを無理矢理かくしてるところから、あまり上手じゃないなりにーーーーー。」
「おわー、主婦おそるべしって感じですね」
私をほっぽって脇で二人が会話している。はは、と私は愛想笑いを浮かべながら箸に手を伸ばしかけて、気づく。
紙があった。小さな紙の切れ端。
なつめさん、ファイトです!
そう、小さく丸い文字で書かれた横に、茶色い髪のデフォルメされた女の子が応援している絵が書かれていた。多分、みはる自身なのだろう。またくすっと笑う。ああ、本当にみはるらしい。
脇で同僚二人が無言で目を合わせていた。
「お疲れさまでしたー」
私が上がる際にそう声をかけると、どうやらまだ残業するらしい部長は無言で手をひらひらと振った。部長は普段、あまり残業しないのだが珍しい。
更衣室を出て会社の門を出ようとしたところで、石田さんに声をかけられた。
「坂上さん、今日、ごはんにいかない?」
珍しい、入社当初はよくご飯に連れて行ってくれていたけど、最近はあまりなかった。・・・・私が断る機会が多くなったから、気を使ってくれていたのかもしれない。
「いいですよ、どこ行きましょうか?」
一瞬迷ったけれど、帰ってもみはるが居ない部屋が思い浮かべられたのでいくことにした。少しは、寂しさがまぎれるかもしれない。
石田さんはにっこりと笑うと、駅前の居酒屋さんの名前を言う。静かだけれど料理がおいしい居酒屋だ。
いいですね、と私が返すと隣を通った根岸さんが目を丸くしていた。どうやら、私がご飯に行くのが珍しいのかもしれない。
「あら、根岸君も来る?」
石田さんはそんな根岸さんをみて、からからと笑って声をかける。根岸さんは、カバンを開けて急いで財布をチェックしてから、行きます!と笑顔で答えた。そのやり取りに、私も思わず笑顔になる。なんだかんだ、ノリのいい人たちだ。みはるが見ても笑顔になりそうだ、と思った。
―――――――――――――――
居酒屋に入って、料理をいくつか注文する。石田さんがあらかた注文して、根岸さんと私がそれぞれ欲しいものを追加で頼む。
料理とお酒が届いたあたりで、石田さんがにやりと笑ってこっちに身を乗り出してきた。
「で、何があったの?いい人いたの、それかいいことあった?」
「あ、それ僕も聞きたい。最近、坂上さん上機嫌ですもんね」
ああ、そういうことか、と思わず、納得がいった。この人たちは私の様子の変化が気になって、ご飯に誘ったのだ。
私は少し迷ったけれど、もう隠す必要もないことだし、話すことにした。それにもう、あんまり自分の言葉を隠したくないかな。もう、未来で言えなかった自分に泣くこともないだろう。
ちょっとだけ正直になろう。
「一緒に暮らしている人がいるとか?」
「いま・・・した」
「ええ!」
「根岸君、うるさい!で、誰々?ん、過去形?」
「今日、出てっちゃったんです」
「ええ!!」
「根岸君、うーるーさーい。で、それは彼氏さん?」
「いえ、知り合いの女の子です。家出したっていうから、ちょっと居候してて」
「あー、そうだったの。それでお弁当がかわいかったのね」
「なーんだ、よかったー」
「ん?」
「その子がいろいろ、吹っ切れて今日、帰っていったんです」
「そっか、どんな子だったの?」
「それが笑っちゃうんです。高校生だっていうのに、子どもっぽくて、でも明るくて」
「いいわねえ、若いわねえ」
「石田さん、セリフがおばちゃんっぽいですよ」
「言われんでも、もうとっくにおばちゃんよー」
「あはは」
「でも、最近、変なのに納得がいったわー。その子が坂上さんを明るくしてくれたのねー」
「あの、私、そんなに変でした?」
「変と言っても、悪い意味じゃないわよ。いい意味で殻が取れたというか」
「そうそう、坂上さん、最近すごい笑うようになりましたよね」
「クールな態度で有名だったからねえ、坂上さん」
「ええ・・・。私、全然、そんなんじゃないんですけど」
「ふふ、誰も素の坂上さんを知らなかったってことよ。その子が解きほぐしてくれたんでしょうねえ」
「同期の奴が最近、坂上さんにどきってしたって言ってましたよ」
「あー、わかるわあ。クールな女子が急に笑うようなったら。私でもどきってくるもの」
「はは、だから私、そんなんじゃないですって」
「あー、今の笑顔写真に撮りたいわ。撮っていい?撮ったわ」
「はや!僕も撮っていいですか?」
「あはは、なんですかそれ」
「あんたはだめよ。私の坂上さんを汚させるわけにはいかないわ」
「ご無体な・・・石田様・・・・」
「控えおろう、根岸。卵焼きとってくれない?」
「どうぞ、どうぞ、お局様。で、撮っていいですか?」
「だめ」
「ひどい!」
二人がけらけらと笑い、私も笑った。こんなに笑顔でお酒を飲めたのは初めてかもしれない。
店を出て、二軒目をどうしようかと二人が話していると、スマホが鳴った。
ぶーん、ぶーんと振動するスマホを慌てて取り出して、番号を見る。初めて見る番号、だけれど誰かは何となくわかった。
「坂上さん、どうする?」
石田さんがそう聞きかけて、目を細める。私のスマホに電話がかかってきているのを見て、様子が変わったのを察したのかもしれない。
「さっき話してた女の子?」
「はい」
私がそういうと、石田さんはひらひらと笑顔で手を振った。本当に、察しがいい人だなと軽く笑う。
「じゃ、仕方ないわね。私たちはまだ飲んでくるわ、また、明日ね」
根岸さんがちょっと驚いたような顔をするけれど、石田さんが軽くひっぱたいていた。その様子にも笑いながら、私は二人に手を振って、小走りで駆け出した。
「おつかれさまです!」
「「おつかれさま」でーす」
二人から少し離れてから、急いで通話ボタンを押す。でも、ちょっとだけ怖い。頼むから、間違い電話なんて、やめてよね。
通話ボタンを押して、少しだけ沈黙があった。ちょっと、緊張する。そういえば、こんなふうに電話で話したのは初めてだったけ。
「もしもし、なつめさんですか?」
「うん、私だよ、みはる」
ちょっと、涙がこぼれた気がした。でも、きっとこれは寂しいからじゃない。そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます