みはると
帰ろう、と思ったのは親と向き合おうとか心の内を打ち明けようとか、そんな大した理由じゃなかった。
このままここにいたら、なつめさんと一緒にいられなくなる。
誰かに見つかる形で、なつめさんと無理矢理引き離されるのが一番、最悪だ。
だから、私は自分からあの家を出ることを決意した。絶対、いつかあそこに戻るために。
・・・我ながら、だいぶ、視野狭窄している気もする。そもそも、どうして私はあの人との関係をこれほどまで大事にしようと思っているのか。最初に見つけた相手を誰でも親と思うひな鳥のようだ。
実際、そうなのかもしれない。打ち明けた心の内も、いずれは他の誰かにも話せる時が来るのかもしれない。でも、あの人のことを知って、私の話をした。それはきっと、今まで他の誰にも打ち明けたことのないような話だ。
それを初めてすることができたのが、あの人なのだ。そこにいたるまで、根気よく付き合い、自分の心も打ち明けてくれたのがあの人だったのだ。
将来のことはわからない。でも、正直な今の心はそう決まっていた。
長い、長い時間を電車に揺られる。でも、行きの時ほど、長くは感じられない。きっと、終わりが見えているからだろう。
なつめさんとの思い出に揺られながら、時間を過ごす。電車を乗り継ぐ。ごはんを食べる。水を飲む。また電車を乗り継いで、思い出に揺られた。
大事なものをなくさないように、つらいことがあっても手放さないように。大事に、大事に。ぎゅっとなつめさからもらったカバンを握りしめた。
ーーーーーーーーーー
帰ってきた。
広がる景色が、匂いが私の町だと脳に知らせている。数週間ぶりの生まれた町。
安心と感慨にゆるみかけた心を締め直す。
油断してはならない。糾弾されてもならない。堂々としていなければならない。そして、私は私のなすべきことをして、堂々とあの場所に帰る。
ふぅと息を吐いた。
戦う準備はできた。頭だって下げていい。今はそれより大事なことが確かにある。私は何ものでもないけれど、あそこにいたいと思っているのだ。
バスに乗って、家の近所までたどり着く。ご近所さんに見つかるかもとか思ったけれど、特にそういうことはなく、家の門まで辿り着いた。
辿り着いたところではて、と気が付く。
両親の車がある。朝早くに出てきたから、まだあの人たちが帰っている時間ではないはずだが。
首を捻りかけるが、むしろ啖呵を切るには好都合だと思い直した。玄関のドアに手をかける。息を吸って、吸って、吐いた。どこからでも、かかってこい。
バン、と勢いよく、ドアを開けた。そのまま、乱暴に靴を脱いで家の中に入る。リビングにつくと両親が幽霊でも見るみたいに、私を見ていた。
さあ、決めてやらねば、第一声を。これ以上ないってくらいに「おか・・・・えり」え?
父が泣いていた。はあ?母も泣いていた。うん?
母に抱きしめられた。ああ?
「おかえり、・・・・よかった。本当に、よかった」
父を見た。いつも怒鳴り散らすこの人なら、私の予想通りにしてくるかもと思った。
父はうずくまって、ただ涙に震えていた。・・・・・・なにこれ?私はこの人が泣いているところを初めて見たかも。
タックルをかまそうとしたら、そのまま誕生日パーティが始まったくらい違和感がある。肩透かしどころではない。
ひたすらに困惑していると、母が思い至ったように。私の体をぺたぺたと触ってくる。
「大丈夫だった?ご飯ちゃんと食べてた?知らない人にひどいこととかされなかった?あらでも、血色はいいわね。服もきれいだし、友達の家とかにいたの?」
「・・・・・助けてくれた女の人がいたから、そこで居候してた」
「そうなの?!また、お礼の電話をしなきゃ。生活費とかかかってたらそのお支払いもしなきゃ。あ、お父さん、警察に電話、電話、見つかりましたので大丈夫ですって。探偵さんにも」
「お、そうか。そうだな」
母に言われて、父はわたわたと携帯を取り出して電話をかけ始める。なんか、君が悪いくらいにとんとん拍子に話が進む。はい、はい、ありがとうございました。はい、後日お願いします。そんな、やり取りを繰り返す父を端目に眺めながら、私は抱き着いたままの母の質問に答える。
「ご飯食べてた?インスタントばかり食べてなかった?」「食べてた、大体手料理出してくれたし」「お風呂は入ってた?着替えとかも出してくれた?」「入ってたし、着替えてた、洗濯は自分でもできたし」「ひどいこととか、いたいこととか、やらしいこととかされてない?」「されてない!!」
いい加減、我慢がきかなくて私は母を体から引きはがす。そこで、母ははっとしたようになって私から身を引いた。さっきまでの勢いはどこへやら、どことなくよそよそしく距離を測りかねているような感じがした。
父も同じような感じかと思ったら、こっちはこっちで何かを決意したような顔をして、私ににじりよっていた。殴られでもするのか、と思って若干、身を引くとばっと勢いよく、父の頭が下がった。
謝っているのだと理解するのに数秒かかった。
「みはる、すまなかった。あの後、お前の先生や友達に話を聞いて、お前が本当にひどいことをされていたんだと知って、俺は、・・・本当にすまなかった」
「え・・・?ああ、うん」
我ながら、間の抜けた返事が口から零れ落ちる。母も泣きながら、ごめんね、ごめんね。とつぶやいていた。どうにも要領がつかめなくて、どことなく居心地が悪くて、私は踵を返した。
「疲れたから、部屋で寝るよ」
想定していたのと違っていたから困惑した。何より、あの人達に謝られても、私はどうしたらいいのかわからなかった。
部屋に戻ってごろんと寝転がった。言い訳みたいに部屋まで来たけれど、眠たいのは本当だった。長い間、電車に揺られたのと緊張のせいだ。
まぶたが落ちかけたころに、部屋のドアががちゃりと開いた。
「あ、帰ってきてる」
お姉ちゃんがひょこっと顔を出して、寝ころんでいる私を見下ろした。
「うん、ただいま」
眠気の帯びた頭でどうにか返事をする。
お姉ちゃんはそのまま、部屋に入ってくると寝ころんでいる私のわきにちょこっと座った。
「どうしたの?ぼーっとして」
「ううん、疲れた。あの人たち、ずっと謝ってばっかなんだもん。今まで、そんなことしたこともないのに。わけわかんない」
「あー、そっかあ。そうだね、久しぶりに帰ってきたらそう見えるか」
「んー?」
「あの人たちね、みはるが家を出てから、すごい慌てようだったんだ。あの後、学校に電話してそんでみはるが本当にいじめられてたって知ってさ。謝らなきゃって」
「ああ・・・・」
「面白かったよ?ずっとみはるに謝らなきゃって、それで二・三日したら私のところまできて謝りだしたの。みはるに怒られたからだってさ」
「そういえば、そんなこと言ったかなあ・・・」
「結構、かんどーしたよ?普段、喋らないくせに、そんなこと思ってくれてたんだって」
「だってさ、お姉ちゃん。最近、全然、小説書いてなかったじゃん。私、あの話好きだったのに」
「そっか、ありがと。よく覚えてるもんだね。でも、ちょっとだけ思い違いかなあ」
「え?」
「私が小説書かなくなったのは、誰かに言われたんじゃなくて、今はしないほうがいいなって自分で決めたから。あの人は関係ない。大学受かったら、思いっきり書いてやるんだから」
「でも、いっつも泣いてじゃん」
「はは、それはそうだけどね。まあ、あの人たちもさ、そこらへんは反省したみたい。最近はそんなにうるさくないよ」
「そっか、よかった」
「あと、あんまり嫌いにならないであげなよ。あれでも、みはるが出てった時は本当に心配してたし、みはるのカバンがトイレで見つかったときなんてぶっ倒れかけてたし、なんだかんだここまで面倒みてくれてるんだしさ」
「うん、知ってる・・・。さっき、滅茶苦茶にされてきたもん」
「ま、それでも怒ってばっかだったり、愚痴ってばっかだったのもましになったから。これも、みはるのおかげだねえ」
「・・・・私は、わがままいっただけだよ?自分は何もしないで、逃げ出して」
「ふふ、そうだねえ。でもそういう、わがままが大事だったんじゃない?」
「・・・・?」
「たとえ、何もできなくても、こうしたいっていうのを言ってきたのは、いつもみはるだよ。その気になれば、簡単に変われることだったのに、私もあの人たちも変わろうとしなかったんだから」
「お姉ちゃんも変わったの?」
「んー?ちょっと根詰めるのやめようかなって。もうちょっと、余裕をもってやるよ」
「そっか、そっちの方がいいよ。やっぱり、泣いてるのなんて見たくないもん」
「・・・ありがと」
「・・・・・・」
「でもね、みはるやっぱりあんたが変えたんだよ。何もしないなんて、大間違いでさ。なかなか、あんなにちゃんと正直に言えないよ」
「はは、でしょー。私ってばすごいんだから、もうさいきょー」
「・・・・さては眠いでしょ。あんた」
「うん、ちょっと疲れた」
「いいよ、眠りな。話はまた聞かせてよ」
「うん、あ、お姉ちゃん。八時くらいになったら起こしてくれない?」
「いいけど、なんか用事あんの?」
「うん、大事な約束だから、絶対ね」
「おっけー、任せて。じゃ、おやすみ」
お姉ちゃんは小さく手を振って、私の部屋を出ていった。ぱちりと外で音が鳴って、電気が消える。
目を閉じると、そのまま眠りが追いついてくる。
なつめさんになんて話したらいいかな。そんなことを考えながら。浅い眠りに落ちた。
なつめさんと私であの部屋で暮らす。
そんな夢を見た。
ーーーーーーーーーー
「もしもし、なつめさんですか?」
「うん、私だよ、みはる」
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