対話
私の家には家出少女が住んでいた。
「なつめさんはどうして私を拾ってくれたんですか?」
「さあ、どうしてだろ。実は、わかんないんだよね」
そう口に出すと、妙に震えた声が自覚できた。さっきまで泣いていたから、喉がおかしくなったみたいだった。みはるは私の返答に首をひねってうーんとうなる。なんとなくだけど、みはるから少し緊張しているようなにおいがした。
「例えば、なつめさんの知り合いに似ていたとか」
「・・・いや、みはるは誰にも似ていないよ」
みはるは少なくとも、私の人生には今までいたことのない人種だ。快活で、明るくて、楽観主義で、でもどこか寂しくて何かを隠している。そう、思わせた。
「じゃあ、・・・なつめさんが昔、家出をしたことがあったとか?」
「そんなことは・・・ない、と思う」
あっただろうか。思い出そうとするが、考えても少し頭痛がするくらいで、明確な記憶は出てこない。だというのに、誰かが泣いている声だけは妙に鮮明に思い起こされた。
「そういえば・・・・」
「ん?なんです?」
みはるがずいっと距離を詰めてくる、私はそれに合わせて少し身を引く。そうえいば、この子は全体的に妙に距離が近いな、とどうでもいいことに気が付く。
「みはるの泣き声が昔聞いたことあった気がしてさ」
「・・・私、小さいころになつめさんに会ってたりします?」
いぶかしげなみはるに対して、私は首を横に振った。もちろん、そんな記憶はない。
「そうじゃなくて、ただなんとなく、似たような泣き方をしている人を知っていただけ」
誰だったっけ。・・・思い出せない。ただ心の中で似た泣き声がずっと木霊している。忘れてはならないことみたいに。
「というか、私、泣いてましたっけ?」
みはるはちょっと顔を赤らめて、口を尖らせた。自分の恥ずかしいところを、話題に出されて恥ずかしいのかもしれない。
「泣いてた、泣いてた。私がごはんだしたらぼろぼろ涙こぼして食べてた」
そんなに前のことじゃないのに、思い出すとなんだかおかしかった。その時、私は確か無言でみはるを部屋まで上げて、昨日の残りの夕飯を温めて出したのだ。みはるは涙とご飯を一緒に口に含みながら、一心不乱に食べていて、私はそれをただじっと見つめていた。その時は私も頭がなんだか空っぽで、みはるが食べ終えてから、自分の分の夕食がなくなってるのに気が付いたっけ。
「あ―ー・・・」
気が付いた。
昔、親に叱られて、食事を取り上げられたことがあった。反省するまで、食事を与えないって。私は何度も泣いて謝ったけれど、丸一日、許されることはなくて、次の日の朝にようやく出された食事を、私はみはると同じように涙をこぼしながら食べていた。思い返してみると、みはるを見ていて、何か思ったときは常にそういった私自身の昔の情景が一緒に思い起こされてきた。つまり。
みはるに重ねられていたのは他でもない私、自身なのだ。
「昔、家に帰れないことがあってさ」
「・・・はい、・・・?」
みはるは唐突に話題を切り替えた私に少し首を傾げるけれど、かまわず私は話を続ける。
「旅行にいったんだけれど、ちっちゃい頃だったから親から離れて歩いているうちに帰り道が分からなくなっちゃって」
みはるは真剣な面持ちのまま、黙って聞いている。
「歩き疲れて、怖くて、どうすればいいのかわからなくなって。ずっと道の端っこでうずくまってたんだよね」
「もう、帰れないのかな、私はどこにもいけないのかな。これから一人なのかなって考えたら寂しくて」
「結局、その時は自分で歩きなおして、見たことある場所にたどり着けたんだけどさ」
私は、あの時、
「誰かに助けてほしかったんだよね」
だから
「だから、君を見たとき、たすけなきゃって」
「そう、思ったんだ」
私は何より、
「自分を、助けたかったんだ」
紡いだ結論は、すとんと私の心の真ん中に落ちて綺麗に固まった。それがまさしく私という人間の真実だということが感覚で納得できた。ざわついていた心が、震えていた胃が、乱れていた心臓が落ち着きを見せた。ずっと正体がわからなかった、暗い何かがそれだったのだとようやく気が付いた。同時に、これを隠していた理由も。
「つまるところ、私はさ」
「こんな身勝手な理由で、みはるを助けたから」
「怖かったんだ」そして「嫌われたく、なかったんだ」
理由は曖昧だったんじゃなくて、知らないうちに曖昧にしていたのだ。話してみれば、簡単な話で、同時に自分がどれだけ弱いのかもよくよく理解できた。
「これが私」
そこで初めてみはるの顔を見た。はじめてみはるの顔を、昔の私というフィルターを通さずに見ることができたのだと思う。
そこにいたのは、小さな女の子、じゃない。私が飼っている小動物でもない。家出少女というのすら余分だ。
みはるという一人の人間がいるだけだった。
「わかりました」
「じゃあ、私の話をしますね?」
みはるはにやりと笑った。
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