場所後の休日

27話 スモウ、恐るべし

 とある砂漠の中央にある白亜の神殿にて、一人の厳つい男が美酒に酔っていた。

 彼を護るのは、牙ある怪物を模した鎧を纏う、数十人の兵士たちである。男は彼らを率いる将にして王であった。

 短く刈り込んだ髪に厳つい顔。誰もが見上げる身長に、まるで子豚をそのまま貼り付けたかのような太さの上腕に太もも。口の右半分は古傷により大きく裂けており、他にも大小様々な傷が全身の至る所に刻まれている。おそらくヒューマンで、これほどのサイズと歴戦の強者としてのオーラをもつ人間は、存在しないだろう。

 

「やはり、戦は楽しい」


 この一帯を支配していた神殿は落ちた。力で神殿を守っていた神官兵たちも、男が振るう武力と率いる戦力の前に全滅した。

 男は手にした酒を頭上に掲げ、一気に飲み干す。古傷から飲んだ酒をだばだばこぼしても、男は上機嫌であった。

 尻に敷き、椅子代わりにしている神像の具合も心地よい。


「なんと非道な……その御方を、何と心得ておる! 我ら神官が、どれだけ毎日」


 兵士にとらわれている神官が男に食って掛かるものの、男はただその親指を下に向ける。神官の白髪首が、床に転がった。


 この神殿を男の軍勢が攻め落とした時、男が始めたのは神官一人ずつとの対面であった。見どころがあれば、その生命を助けてやる。反発、従属、自殺、棄教、神官たちは様々に口にした。だが、誰も男の目には叶わなかった。神殿の床に転がる首は九十九。あと一つで、百である


 最後の百人目として男の目の前に連れ出されたのは、見目麗しいエルフの巫女であった。銀色の髪に白く輝く肌、美しい顔には優美さだけでなく憂いもあり、見る者の目を惹き付ける。それでいて、弱き者を助け、強き者を諌め、時には教義を拡大解釈してまで人を救う道を選ぶと、人格面の完璧さも謳われている。


 この宗教の信徒の多くは神よりも何よりも、巫女に惹かれて門を叩く。

 こうとまで言われている逸材だ。


 男の前に連れ出された巫女は、男に申し出る。


「お人払いを」


「駄目だ」


 男の答えは、簡潔であった。

 巫女はしばし逡巡した後、しずしずと男の元に向かう。


「ほう」


 近づいてきた巫女に、男は興味を持つ。それはこれまでの九十九人の神職をもってしても、引き出せなかった感情であった。


 巫女は男を無視し、彼が腰掛けにしている神像、その威厳ある顔にひざまずく。

 巫女がゆっくりとその細腕を伸ばし、神像の顔に手を伸ばした途端、神像の顔はドロドロに溶け始めた。


「ふはっ!」


 男は息を楽しげに吐くと、別の女神像の神像に突き刺しておいた大剣を引き抜き立ち上がる。男の剣が、無作法に荒々しく振るわれる。

 赤い数十の噴水が、神殿を濡らす。この場に待機していた兵士たちの首が、一瞬ですべてはね跳ばされていた。男の大剣は極大であるものの、この広間の端に届くまでの長さは持たない。だが男は一振りで、兵士全員の首をはねてしまった。

 九十九の神官の首に加わる、兵士たちの首。男は再び、神像に腰掛ける。

 神像の顔を溶かし尽くした巫女は、男に話しかける。


「だから、お人払いをお願いしたのです」


「力を自分から示しておいて、何を抜かすか。久々に同胞の力を見せられたのだ、こちらも滾って当たり前だろう」


「人の生命はどうでもいいですけど、戦力を自ら減らすのは感心できません」


「ああん? コイツらのことか? ふん、この程度の兵士たちなぞ、すぐに集められるわ。我が軍は連戦連勝! 常勝軍には、金も人も何もかも寄ってくる! かつての魔王軍のようにな!」


「どうやら、お互い、良い身体を手に入れたようですね」


 男と巫女、彼ら二人は魔王憑きであった。

 身体はそれぞれヒューマンとエルフであるものの、その魂は四百年前に力を失った高位魔族である。


「だが、解せぬ。お前はこの神殿を根城にしていたのであろう? もし、お前がその力を持って抵抗していたら、神殿は落ちなかったはずだ。兵士よりも、拠点のほうが、失って痛い物だと思うのだがな」


「なにせ、この身体を乗っ取ってから日が浅いものでして。それに、今後のことを考えると、神殿にいる巫女よりも、同胞を失った巫女の方が、みなさん耳を傾けてくれるでしょう?」


「そう来たか!」


 男は嬉しそうに手をたたき、巫女は意味ありげに微笑む。

 もはや、巫女の善意は腐り果てていた。

 たとえどんな聖人でも、容易く魔へと落としてしまう。

 これが、魔王憑きの恐ろしさである。


「どうやら、ワシの覇道と、貴様の道は違うようだ。行く先が同じ以上、後に争うこともあるだろう。だが、それは今ではない」


「ええ。私の道と、貴方の道は違います。お互い頑張りましょう。そう言えば、シュンシュウの城が出現した話、ご存知ですか?」


 巫女はふと思い出したかのように、シュンシュウの名を出す。

 男は顎を撫でると、愉悦を隠さず答える。


「うむ。あやつが城を復活させたとの話、聞いている。弱き身体から徐々に強い体に乗り換えていく慎重なあやつが、自身の権威と能力を顕にする。おそらく、よほど強い身体を手に入れたのだろう。魔の王の座を競うのが、楽しみでたまらんわ!」


 ガハハと豪快に笑う男。一方、巫女はそんな男を見て、首を横に振る。


「残念ですが、その情報はもう古いです」


「なんだと?」


「これを見てください」


 巫女はどこからともなく、携帯式のランプを取り出す。

 ランプと言っても、その大きさは人差し指の爪より少し大きいぐらいの極小サイズだ。そんな大きさなのに、ちゃんと灯りがともっているのは大したものだ。

 ランプを見ていた男は、突如目を見開く。


「むう! まさか! この灯りは!」


「はい。シュンシュウの魂です。私も偶然見つけた時は驚きました。急いでこのランプに入れましたが、もし少しでも遅れていたら、きっと消滅していたでしょう」


「信じられぬ。高位魔族ともあろう者が、ここまで弱々しくなるのか」


 もはや、ここまで弱っていては、シュンシュウが他の生物に憑くのは不可能だ。

 四百年前、勇者に敗れ肉体を失ったときでさえ、ここまで弱ってはいなかった。

 おそらく回復には、千年以上の時を必要とするだろう。


「シュンシュウ、何があった?」


「スモウ……オソロシイ……リキシ……コワイ……」


 男の問いかけに答えるシュンシュウであったが、その言葉からは強さがすべて抜け落ちていた。もはやこれでは、灯りとしてただ生きているだけだ。


「スモウ? リキシ? なんだそれは?」


「オオ……オオ……」


 シュンシュウの魂がぶるぶると震える。それは怯えであった。

 男の眉が不快げに歪んだところで、巫女はランプを手元に戻す。

 おそらく、ランプを出したままだったら、男はシュンシュウの魂ごと、ランプを握りつぶしていたに違いない。それは、もったいない話だ。


「私も何度もスモウやリキシについて聞いたのですが、無駄でした。シュンシュウはもはや正気を失ってます。いったい、どんな目にあえば、ここまで壊れてしまうのでしょうか……」


「スモウにリキシ、言葉の意味はわからぬが、とてつもない力を感じる単語よ。かつて我らを退けた勇者ですら、高位魔族の魂を滅ぼすには至らなかった。もしかしたら、人類は四百年の時を経て、我々を滅ぼす手段を編み出したのかもしれん」


 魂を滅ぼされぬ限り、ほぼ不死同然の高位魔族。身体を滅ぼされても、乗り換えればそれでいい。しょせんは借り物の身体である。だが、シュンシュウの精神がこうして壊れたことにより、その優位性は崩れ去ろうとしていた。 

 だが、そんな状況を分析する男の声色にあるのは、喜びであった。

 思わず巫女がたずねる。


「もしかして、喜んでますか?」


「わかるものだな。強敵を前に恐れを抱くな、ただ猛れ! 我が覇道の前に立ちふさがるなら、打ち砕くのみよ! どうせ倒すのであれば、それぐらいの相手でないと、やりがいがなかろう!」


「私には、どうにもその気持ちが理解できません。ですが、スモウやリキシについては、最大限の注意を払うようにします。これより先、私が切り拓く魔道を、邪魔させるわけにはいきません」


 男は覇道を叫び、巫女は魔道を謳う。

 彼らはこれより自らが見出した道を突き進んでいく。

 やがて道が、武の道を歩む者たちとぶつかるのに、長い時は必要としなかった。

 

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